第12話『迫る』

【紅姫】

 微かな明かりと、雨音で目を覚ました。見上げた天井に見覚えはない。また、私の知らないところで何かが起こっているんだろうかと不安になったが、隣で寝息を立てている人を見て安堵した。

 奥ちゃんがいる。

 乱れた黒髪をそっと直してあげてからベッドを出る。脱ぎ捨ててあったワンピースを身につけ、洗面所へと向かった。鏡に映った私の黒髪も、相当に乱れていた。ぼんやりと鏡に向かったまま、昨夜の事を思い出した。

 二軒目のバーで奥ちゃんにキスをされ抱きしめられて……そして、奥ちゃんの部屋に来た。

 リビングに入るなりジャケットを脱ぎ捨て、乱暴にネクタイを外しながら私を壁に押し付け、そのまま深く繋がるキスをした。

 その後は、順番にシャワーを浴びてベッドに入った。優しく抱いてくれる奥ちゃんは、付き合っていたあの頃と変わっていなかった。

「そのまま…お泊まりしちゃったのかぁ」

 タクシーを呼んで帰るつもりだった。そのつもりで会いに来たのに……私も奥ちゃんへの執着は強いらしい。

 軽く顔を洗って髪を整えてから寝室に戻る。奥ちゃんは目を覚ましていて、起き上がって寝ぼけ眼を擦っていた。

「あ、よかった。帰っちゃったのかと思った」

 私の顔を見ると笑顔になってまた横になった。

「黙って帰ったりしないよ」

 床に脱ぎ捨てられていた奥ちゃんのスーツを拾い、ハンガーにかける。外に出られる格好になっている私を見て、

「もう帰るの?」

 寂しそうな顔で奥ちゃんが聞いてくる。

「もう少し…かな」

 鞄の中からスマートフォンを取り出してから、ベッドに向かう。奥ちゃんの隣に滑り込むと、するりと奥ちゃんの腕が絡み付いてくる。奥ちゃんに抱きしめられた状態でスマホをチェックする。着信も通知も一件も無かった。夕都さんから1件くらいは連絡があるかと思っていたけど……って、私は夕都さんに何を期待しているんだろう。

「ねぇ紅姫ちゃん…僕にキスされたり抱かれたりして嫌じゃなかった?」

 私の顔を覗き込むようにして奥ちゃんがそう聞いてくる。その顔があまりにも可愛くて、私はそっと奥ちゃんの頬に唇を寄せた。

「嫌じゃなかったよ。嬉しかった。奥ちゃんが、まだ私のことを好きでいてくれて……とっても嬉しかった。ありがとう」

 私の言葉を聞いて、安心した奥ちゃんの目が細められる。とろりと優しく垂れた目が、私は大好きだった。

「奥ちゃん、また会ってくれる?」

 そんな優しい目を見つめたままで、奥ちゃんに問う。その瞬間、奥ちゃんの顔が驚き顔になる。そして、またすぐに笑顔に戻る。

「もちろん!!ダメとか嫌だなんて言うわけないじゃん!!僕も……また……この先も何回も紅姫ちゃんに会いたいし、一緒に過ごしたい!!」

 そう言った後で強い力で抱きしめられる。そして長く深い口づけを交わす。奥ちゃんの体温、柔らかさ、匂い、声……全てが愛おしく感じた。こんなに愛おしいと思う人と、どうして別れてしまったんだろう。

 奥ちゃんの体が離れたところでベッドから出ることにした。奥ちゃんがリビングのカーテンを開ける。雨の向こうに高台、そこに建つ鬼里神社が見える。

「こんなに近いんだね。まさかここから見えると思わなかった」

 奥ちゃんの隣に並んで一緒に外を眺める。奥ちゃんの手が私の手を握る。

「ねぇ紅姫ちゃん、僕……紅姫ちゃんに聞きたいことがあるんだ」

 私の手を引いてソファへと移動する。そのまま並んで腰掛ける。

「私に聞きたいこと……それって、鬼姫に関係すること?」

「そう。僕が知ってる事と紅姫ちゃんが知ってる事を合わせたら、分かることが増えるかなって……」

 私の手を握る奥ちゃんの手に力がこもる。

「ずっと不思議だったんだ。なんで別れちゃったんだろうって。僕にはこれと言って思い当たる理由がない。実際、別れた後だって紅姫ちゃんのことが大好きだし、執着してる。それに、喧嘩したり嫌いになって別れたのなら、連絡を取り続けたりもしないでしょ?紅姫ちゃんからも連絡が来るし、僕からの連絡に返信もしてくれる。別れるくらい嫌なことがあったなら、そんなことしないだろうし……そもそも会ってくれないし、ご飯に行ったり泊まったりもしないでしょ」

「その答えと、鬼姫のことが関係あるかも……ってこと?」

 私の問いに奥ちゃんが頷く。

「僕が神隠しにあった話し、覚えてる?あの時から僕は選ばれていたんだと思う。そう考えないとおかしくない?神隠しにあって鬼姫の物語を聞いた僕が、数年後に鬼姫の物語を知っている紅姫ちゃんと出会って恋人同士になるなんて。紅姫ちゃんと出会うように仕組まれていたんだと思う。……あ、勘違いしないで!紅姫ちゃんを好きだっていう気持ちは仕組まれたものじゃないから!!鬼姫の話を知らなくても、僕は紅姫ちゃんを選んでたよ。絶対に」

 必死になる奥ちゃんが可愛くて、真剣な話をしているのに笑いが込み上げてくる。そんな私を見て奥ちゃんが“笑わないでよ!”と真剣な顔で言う。

「紅姫ちゃんはどう思う?」

「んー……多分だけど、私と奥ちゃんが別れたことについて、夕都さん……宮鬼三兄弟は関係ないと思う。あの兄弟が私と奥ちゃんを別れさせたとして、今になってまた再会させる理由が分からない。再会したら絶対に恋仲に戻るって分かってるから尚更。私と奥ちゃんが一緒にいたら不都合だと思う人が他にいるはず。一番怪しいのは、奥ちゃんが神隠しにあった時に鬼姫の物語を聞かせた女の人かな。鬼姫の物語に当て嵌めたら誰になるんだろう」

 そこで私は鬼姫の物語を思い出す。登場人物は多くない。鬼姫と三人の守り人、二人の巫女、大蛇、鬼姫の母、村を襲った二人組……それだけ。

「鬼姫とそのお母さん、宮鬼くんたちを除くとして……僕は巫女のどっちかが怪しいと思うんだよね。僕が神隠しにあった時に鬼姫の物語を聞かせてくれたのは、真っ白な着物を着た髪の長い女の人だった」

「白い着物を着た髪の長い女の人……それって、白巫女かな」

 鬼姫の物語での白巫女の立ち位置は何だった。鬼姫を守るために里を訪ねてきた白と黒の二人の巫女。いつも二人一緒だったのに、ある日白巫女が一人だけで神殿を訪ねてきた。その晩に襲われた北の村と白巫女の小屋。呪詛の紋を残して消えた黒巫女。それを見て、みんなは黒巫女を疑った。でも、神殿が燃えたあの日、大蛇も神殿に現れた黒巫女も言っていた

「白が裏切った……」

 そう言った瞬間、何度も夢に見たあの光景が目の前に浮かんだ。

 燃え盛る炎の中にいる私と、もう一人の女性。ずっと、その人が鬼姫だと思っていた。けれど鬼姫は私だと言う。ならばあれは誰?物語には記されていない。燃え盛る神殿の場面には鬼姫と宮鬼三兄弟の長兄、次兄しか登場しない。

「紅姫ちゃん?紅姫ちゃん、大丈夫?」

 奥ちゃんの声で我にかえる。

「奥ちゃん、私帰るね。夕都さんに確かめたいことがあるの」


 奥ちゃんの車で神社の傍まで送ってもらう。雨はまだ降り続いていたので、傘も貸してもらった。

「上まで送っていかなくて大丈夫?」

 坂の下に車を停めて、奥ちゃんがそう聞いてくる。

「うん、ここで大丈夫。ありがとう」

 今はまだ、奥ちゃんと夕都さんを会わせない方がいいだろう。去っていく奥ちゃんの車を見送ってから、神社に向かって坂を上がる。来た時から一週間も経っていないなんて信じられないくらい、この数日でいろんな事があった。もしかしたら全部夢なのかもしれないとも思った。けれど……。

「夢じゃない……」

 踏みしめるコンクリートの道路も、それを打つ雨の匂いも音も、奥ちゃんの温もりも匂いも声も、そして……この神社も。

 全てが現実で、今ここに確かに存在するものだ。そして私は自らの意思でこの街に、この神社にやって来た。心惹かれる物語を追って……。

「答えは全部ここにある」

 門をくぐり石段を昇る。昇りきった所で足が止まった。

 黒い鳥居の下でビニール傘を差し、煙草をくわえて佇む夕都さんがいた。

「あぁ……おかえり。遅かったね」

 素っ気なくそう言い、夕都さんは私に背を向け歩き出す。その後に私も続く。夕都さんは境内を突っ切り社殿の前も通り過ぎ、その脇にある小さな小屋のような場所でやっと立ち止まった。自然と私もそこへ向かう。

「紅姫……いや、鬼姫様。俺は……貴女に謝らなければいけないことがある」

 真っ直ぐに私の目を見つめ、夕都さんが言う。

「私も、夕都さんに聞きたいことがあります」

 視線を逸らさず、そう声に出す。

 夕都さんの顔が、さっと曇る。それに気づかなかったふりをして、私は傘で顔を隠した。

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