第11話『本当の僕』

「2人が遅刻だなんて珍しいねー!!しかも二日酔い!?意外!!仲良しなのはいい事だけど、飲み過ぎ注意だからね」

 出社した僕と宮鬼くんを待っていたのは、課長の笑顔だった。


【奥本】

 宮鬼くんと飲んだ夜が明けて、目が覚めたら僕はリビングの床に転がっていた。付けっぱなしの腕時計が指し示す時間は、始業時間を30分も過ぎていた。一瞬、動きも思考も停止する。

「え……?……えぇぇぇぇぇ!?」

 我に返り、急いで立ち上がり短い廊下を洗面所へと走る。猛スピードで顔を洗い髭を剃る。髪を適当に撫で付けながら、ダッシュで寝室に駆け込み着替えを済ませた。冷蔵庫からエナジードリンクを取り出し、床に放り投げられていた鞄を掴み玄関へと急ぐ。

 いつもよりドアが重く感じたが、二日酔いのせいだと思い力任せに押し開ける。太陽の眩しさに目を細める。微かに脈打つような頭痛が鬱陶しい。ドアの鍵を閉めようとしたところで、僕は有り得ない光景を目にして思わず小さな悲鳴をあげた。

「宮鬼くんっ!!??ちょっ……ねぇ、宮鬼くん!!起きて!!」

 部屋の前の通路に、スーツ姿のままで寝転がっている宮鬼くんがいた。ドアが重かったのは、宮鬼くんの体が引っかかっていたからだった。

「宮鬼くんっ!!起きて!!起きてよ、遅刻だよ!!」

 ムニャムニャと眠そうに目を擦る宮鬼くんを、文字通り叩き起こす。そういえば、昨日のお酒の席で僕がここに住んでいる事を話した……ような気がする。

 寝惚けたままの宮鬼くんを引きずるようにしてエレベーターホールへと走る。今さら慌てたところで遅刻は確定だけれど、焦らずにはいられなかった。

 なんとかタクシーをつかまえて先ずは宮鬼くんを押し込む。

「なぁんですか!ボクまだいけますって……ねぇ、先輩」

まだ寝惚けているらしく、意味不明なことを喋っているが全て無視をした。自分も乗り込み目的地を告げてタクシーが走り出したところで、ようやく一息ついてスマホを取り出す。案の定、会社からの着信が数件あった。

「……あっ、お、おはようございます!奥本です。すみません……今、向かってます。……はい、宮鬼くんも一緒です」

電話の向こうから、課長が大笑いしている声が聞こえた。とりあえず怒られることはなさそうだと分かって、僕はホッと胸を撫でおろした。


 そんな水曜日の朝から金曜日の夕方までは、あっという間に過ぎて行った。

金曜日、宮鬼くんは有給休暇を取っていた。

「紅姫さんをエスコートしてくるためですよ!!」

 半休でもよかったでしょ!!という気持ちをグッと飲み込んで、宮鬼くんの分まで仕事を片付けた。

 終業後、会社のトイレで軽く身なりを整える。前髪の乱れと剃刀負けによる顎周りの肌荒れが気になったけれど、これ以上はもうどうにもならない。

 駅まではゆっくりと歩いたつもりだったけれど、約束の10分前には着いてしまった。

 駅前南口の噴水の傍……通りの方を向いて待った。じっとりとした暑い夜だった。飛び出しそうに高鳴る心臓は痛いくらいで、そっと胸に手を当てる。何が大丈夫なのか分からなかったけれど、自分自身に“大丈夫だよ”と何度も心で声をかけた。

 何度目か分からない声かけを終えた時

「奥本せんぱーい!!」

 そう呼ぶ声が聞こえて、その方向へと目を向ける。歩道橋の上から宮鬼くんが手を振っていた。その脇で微笑んでいるのは……

「紅姫ちゃん……」

 宮鬼くんの後を着いて、階段を降りてくる紅姫ちゃん。襟元に白いリボンが結ばれただけの、シンプルな黒のフレアワンピース。長い黒髪は、紅姫ちゃん十八番のアップヘアで綺麗にまとめられていた。お化粧をした紅姫ちゃんは、僕が思っていたよりも、数日前の写真よりも、ずっと綺麗で可愛くて色っぽかった。

「無事につれて来ましたよ」

 カーキのハーフパンツにクリーム色のTシャツというラフな格好の宮鬼くんが微笑みながらそう言う。

「あ……ありがとう」

 真っ先に紅姫ちゃんに声をかけるべきだったのに、緊張のあまり宮鬼くんに縋るような目線を向けた。

「じゃあ、ボクは帰りますね」

「え!?」

 僕の視線を無視して宮鬼くんが言う。

「え!?って言われても…せんぱ〜い、まさかこの後に及んで二人きりは気まずいとか言わないですよねぇ?」

 わざと下から僕を睨みつける宮鬼くん。そんな僕たちを見て、紅姫ちゃんが笑う。

「本当に仲良しなんだね」

「紅姫さん、兄貴達のことは気にしなくていいからね。ごゆっくり!」

 笑顔でそう言って、宮鬼くんは来た道を戻って行った。振り返ることもなく。

「紅姫ちゃん……あの、えっと……来てくれてありがとう」

 本当はもっとスマートに振る舞いたかったけれど……緊張のあまり、結局いつもの僕になってしまう。

「奥ちゃんこそ……。会いたいって言ってもらえて、すごく嬉しかった」

「そ、それじゃあ行こっか。お腹空いてるでしょ」

 そう言って歩き出す。紅姫ちゃんは迷いなくついて来てくれる。またこうして紅姫ちゃんと並んで歩けるなんて思ってもいなかった。高鳴る鼓動に合わせて歩幅も大きくなる。紅姫ちゃんが小走りのようになっていることに気づいて、立ち止まって思わず手を伸ばした。紅姫ちゃんも一瞬立ち止まる。そして……迷いなく僕の手を取った。

「ありがとう」

 優しく微笑む紅姫ちゃんは、やっぱり誰よりも可愛かった。

 手を繋いだまま、駅前の道を歩いた。会話こそ少なかったけれど、居心地の悪い思いはしなかった。2人並んで歩く感覚が、ただただ懐かしかった。

 火曜日に宮鬼くんと2人で来た居酒屋に僕たちは入った。僕が烏龍茶を頼んだのに対して、紅姫ちゃんは最初からハイボールを頼んだので驚いた。

「紅姫ちゃん、お酒強い方?」

 思わず先日の自分の醜態を思い出してしまう。紅姫ちゃんに介抱されるのは恥ずかしい。男として、最後までしっかりリードしていきたかった。

「強くはないけど……好きなんだよね」

そう言って紅姫ちゃんは笑った。

「奥ちゃんは?」

「ん〜……ちょっと前に飲み過ぎて寝坊して遅刻しちゃった。だからそんなに強くないのかも」

 えへへ、と僕が笑ったところで飲み物が運ばれてきた。乾杯、2人でそう言ってグラスを合わせる。

 会えなかった時を埋めるように、僕たちはお喋りになった。聞きたい事も話したい事も尽きることはなかった。

 2時間ほどでその店を出て、2軒目に向かった。竹宮坂の街で一番高い15階建てのビル。その最上階にある、夜景が見渡せるバーだ。全席が個室仕様になっていて、座席は全て窓の方を向いている。2名用の個室に通され、紅姫ちゃんと並んで座った。……宮鬼くんが調べて教えてくれたお店だ。

「綺麗……」

 窓の外に広がる竹宮坂の夜景に見惚れる紅姫ちゃんに、僕は見惚れていた。

よっぽど覗き込まない限り、通路から個室の中は見えないような造りになっていた。ゆっくりとカクテルグラスを口に運ぶ紅姫ちゃん。柔らかそうな頬がほんのりと赤く染まっている。この先どうしよう。どういう展開に持って行ったらいいんだろう。あまり遅くならないうちに帰した方がいいのか、それとも……

「その癖、変わってないね」

「え?」

 笑いながら紅姫ちゃんが言う。そして、紅姫ちゃんの手が僕の髪に触れる。

「緊張してる時とか考え事をしてる時に、髪を触る癖。昔と一緒」

 僕の頭を軽く撫でて、紅姫ちゃんの手が離れる。それが合図だったかのように、僕の中で押さえ込んでいた気持ちが目を覚ました。

 紅姫ちゃんの肩に、頭を凭せかける。伝わってくる紅姫ちゃんの体温を感じた後で、首筋にそっと唇を寄せた。そのまま軽い口づけをしながら、顔へと近づく。

「……奥ちゃん……」

 戸惑うような紅姫ちゃんの声が溢れる唇を、僕の唇が塞ぐ。そのまま、紅姫ちゃんの体をグッと抱きしめる。いきなりこんな事するなんて……よくないなって思う。でも、止められなかった。紅姫ちゃんを離したくない、離れたくない。

「紅姫ちゃん、気付いてるよね?僕が……紅姫ちゃんに執着してること」

 耳元で囁くように言う。ずっと押し込めていた紅姫ちゃんへの執着。依存とも取れる甘え。抑えられそうにない。それなのに……どうして僕は紅姫ちゃんと別れたんだろう。あれは本当に僕の意思だったんだろうか。何かもっと……大きな力が働いていたんじゃないだろうか。あの日の……神隠しの時みたいに。

 紅姫ちゃんの肩に頭を乗せ、指先でフェイスラインから首筋にかけてをなぞる。柔らかくてすべすべな白肌。抵抗しない紅姫ちゃんの唇に、もう一度口づける。さっきよりも深く、長く。

「ねぇ紅姫ちゃん、今日…泊まっていくよね」

 紅姫ちゃんの手を握ってそう言う。滅茶苦茶な事をして、言っているのはわかっている。お酒のせいにできるほど、今日は呑んでいない。抑えようと思えば抑えられるかもしれない想いと欲望を、野放しにしているのは僕の意思だ。そのくらい、紅姫ちゃんを離したくなかったし、離れたくなかった。

「……奥ちゃん、あの……」

いいの?

 躊躇いがちにそう言う紅姫ちゃんの頬にそっと口付けて、僕は席を立った。

 深い話は、僕の家に着いてからにしよう。聞きたいことはまだまだ沢山ある。

 別れたあの日のこと……鬼姫の物語のこと……紅姫ちゃんの過去の記憶のこと……宮鬼くんたちのこと……そして…………僕たちのこれからのこと。

 僕が知らないことを、きっと紅姫ちゃんは知っている。

 紅姫ちゃんが知らないことを、きっと僕は知っている。

 2人で1つにすればいい。何から何まで……全部。

『もう絶対に、紅姫ちゃんを手離すなんて事はしない』

 紅姫ちゃんは僕のものだ。僕が……守るんだ。

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