第10話『反発』

【雅都】

 深夜0時過ぎのコンビニ。お客さんの姿は無い。都会ならばもう少し遅い時間でもお客さんが途切れることは無いんだろうけれど、ここは住宅街の外れ。通勤通学時間帯の朝と帰宅時間帯の夕方が混雑のピークになる。深夜にやって来るお客さんは残業帰りの会社員か、長距離トラックの運転手、もしくは酔っ払い。幸運にも、強盗に遭遇したことはまだない。

 1人レジカウンターの中に立ち、ぼんやりと正面の壁の時計を眺める。勤務終了は朝の8時。まだまだ先は長い。おまけに0時から3時までは僕1人だ。

「煙草吸ってこようかな……」

 大きく伸びをしながら独り言を零した、その時。

「まぁ〜さぁ〜とぉ〜くん!!」

 びっくりして、伸びの格好のまま声の方…店の入り口に目を向ける。

「景兄ちゃん!?」

 だらしなくネクタイを緩め、ワイシャツは胸元ギリギリまでボタンが開いていて裾もはみ出てる。ジャケットは脱いで腕にかけてあった。相当呑んだらしく、顔は赤いし足元も覚束ないみたいだ。

 そんな景兄ちゃんを、小柄な男性が支えている。同じスーツ姿だったけど、小柄な男性の方は乱れなく着ている。

 慌ててレジカウンターから出て、2人に駆け寄る。近寄った途端、景兄ちゃんが僕に向かって飛び込んできた。僕と景兄ちゃんは身長差はほとんど無く、体型も2人とも細身だ。けれど、景兄ちゃんより僕の方が細い。健康的な細さの景兄ちゃんと、貧弱な細さの僕。ギリギリのところで、小柄な男性が景兄ちゃんのシャツの裾を掴む。おかげで、全力のダイブは避けることができた。きっと受け止めきれなかった。

 まるで猫のように僕の肩に顔を擦り付けてくる景兄ちゃんは、ものすごく酒臭かった。酔っ払ってる時の景兄ちゃんはいつだってこうだ。なりふり構わずというか、ネジが1本飛んだようなというか……。

「兄がご迷惑をおかけしました」

 フラフラと蹌踉めく景兄ちゃんの体を支えながら、小柄な男性に頭を下げる。

「あ、その……こちらこそ、ごめんなさい。仕事場なのに連れてきちゃって。宮鬼くんがどうしてもここに行きたいって言うから。えっと……宮鬼くんの弟さん?」

 小柄な男性が、僕のネームプレートを見ながらそう言う。

「はい。宮鬼景都の弟の、宮鬼雅都です。あなたは?」

「僕は、奥本司です。宮鬼くんと同じ会社で働いてて……えーっと、これでも宮鬼くんの先輩です」

 申し訳なさそうに頭を掻きながら奥本さんは言う。

 見た目や雰囲気から、てっきり景兄ちゃんより年下だと思ってた。ほんのりとピンクに染まった頬が、余計にも幼く見せている。いや……年下の先輩ってこともあり得る。

「そうなんですね。てっきり学生時代の友人同士かと」

「奥本先輩はねぇ〜」

 耳元で景兄ちゃんが話し出す。

「ボクの4つ上の先輩でぇ……」

 まるで僕の心を読んだかのような言葉。相変わらず変なところで勘がいいよな。

「そして、紅姫さんのぉ……モ・ト・カ・レ」

 景兄ちゃんと一緒に来たこの人が紅姫さんの元カレ。あの人が言っていた人。こいつが……

「んん〜??なぁに雅都、すっごい怖い顔してるよぉ??あー!!もしかして嫉妬??大好きな景兄ちゃんが仲良しな先輩連れてきたから、ヤキモチ妬いてんの??可愛い〜!!」

 耳元で大声でそう言われ、僕は思わず両手で耳を覆った。

「うるさいなぁ!いきなり耳元で大声出すなよ。しかもそんな理由じゃないし」

「じゃあなんで怖い顔してるの??」

なんで?なんで??と、しつこく纏わりついてくる景兄ちゃんを、奥本さんへと突き返す。

「すみません奥本さん。こいつ、家まで送ってもらっていいですか?本当は僕が乗せていければいいんですけれど、まだ勤務時間なので。今、近くのタクシー会社に電話を……あ!何すんだよ!!」

 電話をかけようと取り出したスマートフォンを、景兄ちゃんに取り上げられる。

「いらない。あ、先輩は歩いて帰れますよね?」

「え?あ、うん。すぐそこだから僕は大丈夫だけど……宮鬼くん、平気?タクシー呼んでもらった方がいいんじゃない?」

 景兄ちゃんを心配してオロオロしだす奥本さん。大丈夫ですよ〜、なんて言って笑う景兄ちゃん。一瞬だけ、僕へと視線を向けた。その目は氷のように冷たかった。

「じゃあ僕、帰るからね。明日……もう今日かぁ。仕事、遅刻しないでね。それじゃあ、お仕事中に失礼しました」

 おやすみなさい。そう言って深々と頭を下げて、奥本さんは店を出て行った。ホッとする間もなく、強い力で肩を掴まれる。景兄ちゃんだ。

「ちょっとお話しする時間もらえるかなぁ、雅都くん?」

 普段ほぼ聞くことのない低い声で、景兄ちゃんが言う。恐る恐る顔を見る。口元にこそ笑みが浮かんでいるが、目は全く笑っていなかった。凍てついた氷のような瞳。そこにうっすらと青い鬼火が見える。気持ちが昂った時に、現れる瞳の鬼火。これはきっと……怒りの鬼火。

 景兄ちゃんは勢いよくバックヤードのドアを開け、入り口近くにあったパイプ椅子に投げるようにして僕を座らせた。ウトウトしていた黄雷が、驚いて目を覚ました。

「ん……景都兄ちゃん??」

 寝ぼけ眼で景兄ちゃんを見ている。その景兄ちゃんは冷たい視線のまま僕を見下ろしている。瞳に宿った鬼火に気付き、黄雷がハッと目を見開き、僕の元へ駆け寄ってくる。

「景都、やめて。雅都は悪くない。黄雷が悪いの。だから……」

「黙って。ボクは雅都に聞きたいの。お前、何か隠してるだろ」

 冷たい瞳に見下ろされたまま、僕は狼狽える。本当に変なところで勘がいい。

「いや……僕は何も……」

 駄目だ……絶対にバレたら駄目なんだ。景兄ちゃんの足元を見つめたまま、僕はモゴモゴと喋る。とてもじゃないけれど、あの目は見れない。怖い。

「とりあえず、夕都兄さんにはまだ黙っててあげる。でも、この先もし奥本先輩や紅姫さんに何かあったら……ボクは真っ先にお前を疑うからね」

「……夕都兄さんのためだよ?鬼姫様には夕都兄さんの所に戻ってきてもらわないと。そうじゃないと、僕たちはまた同じことを……ゔっ」

 強い衝撃と痛みが背中に走る。景兄ちゃんに胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられていた。景兄ちゃんの肩越しに、黄雷の怯えた顔が見える。

「違う……夕都兄さんはそれを望んでない。それに、あの日と同じ事をしても終わらないんだよ?怨嗟の糸を断ち切らない限り……あの物語は終わらない。また繰り返されるだけなんだよ!あの場所に縛られるのは鬼姫……紅姫さんじゃないんだよ!!」

 それと、ボクは奥本先輩の味方だから。

 突然手を離され、ずるずると床にしゃがみ込んだ僕にそんな言葉を吐き捨てて、景兄ちゃんはバックヤードから店に出ていく。慌てて追いかけたけれど、その姿はもう自動ドアの外だった。

「大丈夫??」

 心配そうに僕を見上げ、震えている黄雷を抱きしめる。

「ごめんね、黄雷。怖かったよね」

 誰もいない深夜のコンビニ。いつまでも景兄ちゃんの怒りが漂っているように感じられて、僕は外にある喫煙スペースへ出た。

 見上げた夜空は星が綺麗だった。吐き出した煙が星空へ向かって消えていく。あの日の夜は、土砂降りだったっけ。煙草をくわえたままで、数ヶ月前の記憶を辿る。

 真っ黒な服に身を包んだあの人が店に来た。僕はすぐに気づいた。信じている人だったから、僕はその人の言うことを素直に聞いたんだ。僕はもう、この繰り返しを終わりにしたかった。鬼姫を探して、何度も何度も自らを焼き殺すことを。それを終わりにできるんなら……僕は……

「奥本司を殺すことくらい……なんてことないと思ったんだ」

 煙と共に吐き出した言葉は深夜の星空へと消えていく。

 人と鬼とはどう頑張っても共存していけない。いつかどこかで争い、憎み合う。夕都兄さんも鬼姫様も、そのことはよく分かっているはずなのに。

「どうして……どうして、まだ人と鬼は手を取り合えるなんて思っているんだろう」

 2本目の煙草に火をつけようとした時、1台の車が駐車場に入ってきた。お客様だと気づいた僕は急いで店内へと戻った。

 黄雷だけはまだ、悲しそうな顔をして星空を見上げていた。

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