第9話『可愛い後輩』
【奥本】
仕事が終わった後で、僕は宮鬼くんと二人で会社から近い所にある居酒屋に来ていた。
四人席の座敷タイプの個室に、二人向き合って座る。宮鬼くんはビールを、僕はジンジャーエールを注文した。
「かんぱーい!!」
「乾杯」
無理矢理テンションを上げるように、宮鬼くんは高々とジョッキを掲げる。僕はそのまま口をつけた。キツめの炭酸が、仕事終わりの体に染みる。
「ねぇ宮鬼くん、これからどうすればいいのかな……」
焼き鳥を口に運びながら僕は質問する。
さほど混んでいない店内。注文した品が運ばれてくるのも早かった。
「とりあえず……紅姫さんに……電話してください」
「え!?」
同じく焼き鳥を頬張りながら宮鬼くんが答える。ぷっくりと膨らんだほっぺたが可愛い。まるでリスみたいだ。
「なんで?!どうして紅姫ちゃんに電話する流れになるわけ??」
いきなり紅姫ちゃんの名前が出てきたことでも十分動揺しているのに、さらに電話だなんて……。
「会う約束をしましょ。まずはそこからです」
「会うのっ!?!?」
今に始まったことじゃないけど、宮鬼くんの考えていることが全く読めない。今ここで宮鬼くんと飲んでるのは、鬼姫の物語の真実を聞くためだと思ってたんだけど。
「そんなに驚かなくても……。先輩、紅姫さんに会いたくないんですか?」
「それは……会いたいよ。会いたいに決まってるじゃん!でも……もう何年も会ってないのに、いきなり会いたいって電話するのってどうよ?」
紅姫ちゃんと別れた理由は未だに思い出せない。その時の記憶だけ、ぼんやりと靄がかかっているよう。気づいたら僕の隣にいなかった。お互い初めての恋人だった。大好きだったのに。今でも大好きなのに。どうして別れてしまったんだろう。会って確かめればいい。分かってる。でも……紅姫ちゃんがそれを拒んだら?僕はそのことに耐えられる自信がない。情けないくらい、僕は紅姫ちゃんが大好きだし、きっと依存してる。別れて会えなくなってからも、メールで連絡を取り続けてるのもそういうこと。紅姫ちゃんはただ、連絡が来るから返事を返してる。ただの惰性で返信してるだけかもしれない。それに……
「あぁ、もうっ!!いつまでグダグダ悩んでるつもりですか!?先輩が電話しないならボクから紅姫さんに電話します!!」
紅姫ちゃんと会えない理由をダラダラ並べ立てながら、それでもどこかで強がってカッコつけようとして、ジンジャーエールのグラスを片手に、頬杖をつきながら僕が言うのを遮って、宮鬼くんはテーブルに置いていた自分のスマートフォンを手に取った。
「待って!待ってよ!!ごめん、僕がかけるから!!」
慌てて宮鬼くんの手からスマートフォンを取り上げる。それを返してから僕はスーツのポケットから自分のスマートフォンを取り出す。
「紅姫ちゃんに電話して、会う約束すればいいんだよね」
鞄から手帳を取り出す。20××年6月。紅姫ちゃんと別れてから彼女はいない。仕事用の手帳だけど、完全週休二日制なので土日の出勤予定は無い。休日出勤してまでやらなきゃいけないような急ぎの仕事も今は無い。
「せんぱーい、手帳見る必要あります??彼女もいないし休出だって無いし、週末完全フリーじゃないですか〜」
あははは、と笑いながら宮鬼くんは言う。そう、週末の予定は無い。同じくらい、平日終業後の予定も無かった。
軽く息を吐いてから、紅姫ちゃんへと電話をかける。宮鬼くんは祈るように手を組んで僕を見つめていた。
『もしもし?奥ちゃん?』
「あ……紅姫ちゃん、あの……今、大丈夫??」
指で手帳の日付をなぞる。その手は今度は頭へと向かい、落ち着きなく髪を撫でる。自分でもよく分かってる癖。誰かと話す時や緊張している時、考え事をしている時……僕はこうして落ち着きなく髪をいじる。
『うん、大丈夫だよ。どうしたの?』
電話の向こうの紅姫ちゃんの声は落ち着いていた。大丈夫。言える。紅姫ちゃんに“会おう”って言える。それに、紅姫ちゃんの声を聞いたら安心できた。声で分かる。紅姫ちゃんは、僕のことを拒んだりしない。
「あのね……昨日、会おうって話ししたでしょ。そのことなんだけど……」
手帳の日付を確認する。直近ならこの日しかない、と決めた日の数字を見つめ覚悟を決めた。会うなら早い方がいい。……早く会いたい。
「金曜日……今週の金曜日はどうかな?……そう、二十四日。僕が仕事終わってからになっちゃうけど……えっと……それでも良かったらなんだけど……」
宮鬼くんが驚いた顔で、箸を持ったままフリーズする。ちょうどお刺身をつまもうとしていたところだった。
『……いいの?奥ちゃん、忙しくない?私は……大丈夫だけど……』
そこで紅姫ちゃんの声が遠くなる。電話の向こうから“あきー”と呼ぶ男の人の声が聞こえた。掠れ気味の独特な声。きっと宮鬼くんのお兄さんだ。前世の恋人か。ロマンチックではある。それはそれは強い繋がりを持ってるんだろう。だから、今世でもこうして出会った。紅姫ちゃんと僕が別れたのは……もしかしたら……宮鬼くんのお兄さんの想いがあったから?僕と紅姫ちゃんが気付いてないだけで、強い想いが念やおまじないみたいになって僕たちを引き離した?
『奥ちゃん?』
再び聞こえた紅姫ちゃんの声で我に帰る。そんな空想……まさか……ね。
「あの……紅姫ちゃんが無理なら別な日でも……」
『大丈夫!金曜日にしよう。早く……私も、奥ちゃんに会いたいって思ってる』
早く、会いたい……紅姫ちゃんの口からその言葉が聞けて、全身が熱くなる。きっと顔まで真っ赤だ。嬉しい。大丈夫。僕と紅姫ちゃんはまだ繋がってる。大丈夫……。
日時と待ち合わせ場所を決めて、ほんの少しだけ他愛のない話しをしてから僕は電話を切った。
六月二十四日の金曜日。夜六時に竹宮坂駅南口前にある噴水の傍で待ってる。
電話を終えてホッとしてテーブルの上を見ると、料理で溢れかえっていた。
「え!?ちょっと、これ全部頼んだの!?」
電話をしている時間は十分前後だったと思う。その間に随分と店員さんが来るなぁとは思っていたけど、紅姫ちゃんとの会話の方に気を取られ、まさかこんなに注文しているなんて思わなかった。
モグモグと美味しそうに焼き魚を食べている宮鬼くんに詰め寄る。食べ切れる量云々よりも財布の中身が心配だった。いくら独身で彼女もいないからって持て余す程お金を持っているわけじゃない。結婚している人たちに比べたら多少は自由にできるけど……そもそも今日は給料日前だ。
「大丈夫です……全部……食べられますって。先輩、この煮物美味しいですよ」
お待たせしました〜、とビールのジョッキが運ばれてきた。
「いや、あの……それも大事だけど、誰がお会計払うの?僕たちお給料日前だよ?」
宮鬼くんがすすめてくれた煮物に箸をのばしながらそう言う。里芋の煮物。優しい味がした。確かに美味しい。
「え?お会計?ちょっと先輩、冗談はやめてくださいよ〜。約束しましたよね?ボクたち協力しましょう、って。割り勘に決まってるじゃないですか」
そう言って宮鬼くんは運ばれてきたビールを流し込む。ビールよりカクテルの方が似合いそうなんだけどなぁ。こういうのをギャップ萌えっていうのかな。宮鬼くんを眺めながらジンジャーエールを啜る。氷が溶けて水っぽくなっていた。一先ず割り勘だったことに安堵する。
「先輩、お酒飲まないんですか〜?」
メニューをヒラヒラさせながら宮鬼くんが言う。全く飲めないわけじゃない。でも普段から飲む習慣がないから、飲まなくても困らない。でも、今日は……
「ん〜……じゃあ、少しだけ。すいませーん!」
声をあげて店員さんを呼び、宮鬼くんと同じビールを注文する。それを聞いて宮鬼くんが嬉しそうに微笑む。こう言うところ、可愛くてずるいなぁって思う。
次の日も仕事だというのに、僕は宮鬼くんと遅くまで話し込んだ。仕事のこと、宮鬼家のこと、鬼姫のこと、僕が紅姫ちゃんと付き合っていた時のこと……聞きたい事も話したい事も山程あった。僕が紅姫ちゃんと性行為済みということに、宮鬼くんは一番驚いていた。何でそこなんだよ。
「嘘でしょ!?先輩が!?しかも高校生の時でしょ?意外!!!」
「嘘じゃないよー。宮鬼くんだってそれなりに経験あるんでしょー?僕は紅姫ちゃんしか知らないけど」
なんでこんな話ししてるんだろう……酔ってるんだなぁ、僕たち。でも、相手が宮鬼くんだからいっか。宮鬼くんとこういう話しができる日が来るなんて思ってなかった。これから先、きっとたくさん宮鬼くんにお世話になるんだろうな。というか、宮鬼くんの協力がないと……僕一人ではどうにも出来ないだろうなぁ。
宮鬼くんが後輩で良かった。目の前で楽しそうに笑って話す宮鬼くんを見て、そう思った。本当に可愛い顔で笑うなぁ、この子は。
何杯目か分からないビールを口に運ぶ。こんなに飲んだのはいつ振りだろう。心地良い気分のまま、僕は宮鬼くんの話しに耳を傾けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます