第8話『可愛い先輩』

【景都】

あっという間に午前が終わって昼休みになった。

昼食を食べ終え社員食堂から戻ってくると、奥本先輩は一人デスクでコンビニのサンドイッチをもそもそと食べていた。

スマートフォンのメールやSNSのチェックをしながら、パンを口に運ぶ。その様子は食べると言うよりも…

『小鳥が餌を啄んでるみたい』

小さな口で少しずつパンを食む先輩の隣に座る。先輩は目線だけをボクに送り、またすぐにスマホの画面に戻る。ボクもスーツのポケットからスマホを取り出して、届いていたラインを開く。夕都兄さんからだった。

《鬼姫様はまだ何も思い出していない》

たったそれだけだった。

《そりゃそうだろ。どうせなら何も思い出さない方がいいじゃん》

そう返信し、ポケットへスマホをしまう。

チラリと奥本先輩の方を見る。先輩はまだ小鳥のようにパンを啄んでいる。

そんな先輩は、紅姫さんと鬼姫様のことを知っている。

『ちょっと深いとこぶち込んでみるか』

小鳥のような先輩に声をかける。

「奥本せんぱーい、今いいですかぁ?」

ボクの声に、先輩がパンをくわえたままでこちらを向く。

「鬼姫様の昔話のことなんですけど、最後の部分って覚えてます?」

ボクの質問の意図を探るように、先輩は口をもぐもぐさせながら小首をかしげる。

先輩の狡いところはこういうところだ。

自分が可愛いって分かってやってるわけじゃない。無意識で作り出す可愛さ。

「最後って、火事のところ?えっと……みんな死んじゃうんだよね?三人で手を繋いだまま、焼け落ちてきた建物に押しつぶされて、じゃなかったっけ?」

最後の一口を食べ終え、口元を拭きながら先輩は言う。

「それが嘘だって言ったらどうします?」

「嘘?どういうこと??」

先輩の次の動きは分かっている。デスクの上のペットボトルの水に手を伸ばす。その水を一口含んだところで、爆弾を投下する。

「鬼姫様を……紅姫さんを殺したのは、夕都兄さんなんです」

ゴホッ!と大きく咳き込む音が聞こえた。奥本先輩、本日二度目の咽せタイム。もちろんワザと。ボクは時々こうして先輩に悪戯を仕掛け、遊んであげる。先輩のことが大好きだから。ボクなりの愛情表現だ。

心の中でペロリと舌を出し、キャスター付きの椅子で先輩の傍に寄る。咽せ返る先輩の背中を優しくヨシヨシしてあげる。

「本当のことですよ。あの時、逃げようと思えば逃げられたんです」

いきなり強い力で両肩を掴まれて、座った体勢のままでボクはさらに先輩側へと引き寄せられる。すぐ目の前に先輩の顔がある。

色白な肌。とろりと優しく垂れた目。長いまつ毛。自然体な眉毛。スッと通った鼻筋。薄く小さなピンク色の唇。耳元までのショートカットヘア。髪色は黒。最近のこだわりらしく、前髪は目にかからない長さで真っ直ぐに揃えられている。そのせいで、ますます童顔が際立つ。はっきり言って年齢不詳だ。三十歳だなんて信じられない。頑張れば高校生だと言っても信じてもらえそうな気がする。肌が綺麗な分、フェイスラインのちょっとした肌荒れが目立つ。おそらく剃刀負けだろう。残念な点はそこだけ。悔しいけれど、先輩はやっぱり可愛い。

「宮鬼くん、どういうこと?!僕が聞いた話は嘘だって言うの?!」

ボクの両肩を掴んで揺すりながら、先輩は声を荒げる。

「ちょ、ちょっと先輩!奥本先輩!!落ち着いてくださいよぉ〜!!こんなにグラグラさせられたらボク、話すことも話せないですってば〜!!」

「あ……ご、ごめん……」

スッと先輩の手と距離が離れる。揺すられて乱れた髪を直しながら、ボクは足元から先輩の姿を見上げていく。

しっかりと磨かれた焦茶色の革靴。シワ一つ無いネイビーの無地のスーツ。ジャケットの下のシャツは眩しいくらいに真っ白で、合わせた淡いブルーのネクタイも緩みなく緊めている。パンツの丈はピッタリだけど、袖丈はちょっと長めだ。袖からちょこんとのぞくのは、白くて小さな手の先だけ。それもこだわりなのか、単純にサイズが合わないだけなのか。遊び心のない地味なコーディネートだけれど、真っ直ぐで真面目な先輩が着ると、綺麗でカッコいい。

「はっきり言うと嘘です。あえて真実ではない物語を伝えている人物がいる。ボクたちは鬼姫様と同じくらい、その人物を探しています。そいつのせいで、ボクたちの未来は壊されたんです」

ボクと先輩の席は窓を背にして並んでいる。大きな窓からは初夏の気持ちいい日差しが差し込んでいる。真っ青に澄んだ空を見上げる。梅雨時の貴重な晴れの日。

「先輩、もう一度お願いです。ボクたちの、鬼姫様の未来を変えるために協力してください。鬼姫の物語を、結末を変えるんです。じゃないとボクたち……」

また死んでしまう。

そして、次はきっと奥本先輩も無事では済まないだろう。

俯いたボクの頭を、先輩の小さな手が撫でる。

その優しさと温かさに、ボクはホッと息を吐き出した。

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