第6話『未来を変える救世主』
【奥本】
いつもよりほんの少しだけ早く出勤して、ぼんやりとスマートフォンの画面を見つめる。紅姫ちゃんの顔を穴が開くほど眺めてから、ジャケットのポケットにしまった。
悪夢のせいで寝不足気味だけど、紅姫ちゃんの顔を見たら気力が湧いてくる。
鞄からペットボトルの水を取り出し、一口含んだところで、
「元カレ先輩っ。おっはよーございますっ!」
そんな声が掛けられた。宮鬼くんのご出勤だ。
飲み込もうとしていた水を吹き出さないようにと堪えた結果、僕は盛大に咽せ、呼吸を整えるまでにかなりの時間を要した。
「ちょっと宮鬼くん!!その…あの…そういう呼び方はやめてよ!」
キツい言葉で注意しようと思ったところでブレーキをかける。ここで宮鬼くんを突き放したり、逆に突き放されたりしたら、今の紅姫ちゃんのことが分からなくなる。多少不自然だったり自分らしくなくてもいい。紅姫ちゃんを取り戻すためなら、それも仕方ない。
「だって本当のことじゃないですかー。けど意外だったなぁ。紅姫さんの元カレが奥本先輩だったなんて。そうそう、こいつ。見えてるんですってね?」
そう言うと宮鬼くんは机の上を指さす。キーボードの手前に、小さくなったいつもの青鬼が立っていた。僕の目線を確認して、青鬼がぺこりと頭を下げる。つられて僕も頭を下げた。
「誰にも言ってないですよね?」
グッと僕に距離を詰めて、耳元で宮鬼くんがそう言う。青鬼から目を離さずに、僕は頷く。
「会社では僕にしか見えてないみたいだよ」
今度は僕が宮鬼くんに耳打ちをする。ホッとしたような顔をして、宮鬼くんは僕から離れた。今までこんなに近づいたことはなかったし、気にしたこともなかったけれど、今日の宮鬼くんからは煙草の匂いがした。なんとなく気になり、会話を続けるためにもそのことを口に出す。
「宮鬼くんって、煙草吸う人だったっけ?」
僕のその言葉を聞いた途端、宮鬼くんの顔が驚きと悲しみとが混ざったような表情へと変わる。そして慌ててジャケットを脱ぐと、また僕へと距離を詰める。
「シャツも臭います??」
僕の鼻先へシャツの袖を突き出す。ジャケットほどではないが、うっすらと煙草の匂いを感じた。きっとジャケットからの移り香だろう。この距離でも意識しないと分からない程度の匂いだった。そう宮鬼くんに伝える。
「くっそー。兄さんには、ボクのスーツの傍では煙草吸わないで!!って言ってあるのにぃ。先輩、消臭スプレーみたいなの持ってませんか??」
生憎とその類の物は持ってきていなかった。それよりも、聞きたかったことへの取っ掛かりを見つけて僕は内心でニヤリと笑う。
「昨日ね、電話の後で紅姫ちゃんが写真を送ってくれたんだけど…あの…えっと…宮鬼くんのお兄さんって、宮鬼くんよりも紅姫ちゃんと仲が良かったりするの?」
何食わぬ顔で聞いたつもりだった。けれど“この写真なんだけど”と言って宮鬼くんの前にスマートフォンを差し出す手は少し震えていた。その写真を見て宮鬼くんは不貞腐れたように唇を曲げる。
「兄さんは紅姫さんの前世の恋人。ん?前世の元カレ?なんでもいいけど、恋仲だったらしいよ。ボクも知らなかったんだけどさ。奥本先輩って、まだ紅姫さんのこと好きなんですよね?だったら早めに動いた方がいいですよ。兄さん、女に手出すの早いから」
宮鬼くんの言葉を受けて、青鬼も大きく頷いた。
「ねぇ、奥本先輩…ボク達協力しませんか?」
協力??何を??
受け入れ難い事実と疑問を抱えたまま、僕は曖昧に首を傾げる。
「鬼姫の物語の未来を変えるために、協力してほしいんです。未来を変えないと、ボクたちはまた同じことを繰り返すだけなんです。鬼姫がやっと目覚めた。鬼姫の物語に登場しない先輩が、鬼姫の世界に入ってきた。今までとは流れが違う!チャンスなんです!!ボクたちもう死にたくない!!先輩にしか頼めない!!お願いします!!」
僕の肩を強く掴み、宮鬼くんが言う。何のことを言っているのか疑問はあったが、とりあえず頷く。きっと紅姫ちゃんにも宮鬼くんにも……僕にも関わっていることなんだろう。
宮鬼くんとの付き合いは長い。鬼姫のことを知らない人が聞いたら“また宮鬼が奥本をからかって遊んでる”って思うかもしれない。けれど、僕は分かる。今の宮鬼くんは本気だ。真剣だ。
協力するのはいい。でも…
「紅姫ちゃんは…お兄さんのこと好きなんじゃないかな…」
恋仲だったと言うことは、少なくとも前世では両想いだったということだ。今の紅姫ちゃんの気持ちはどうか分からないけど、再会したことによって、過去の記憶を取り戻したことで、お兄さんへの恋心も取り戻したんじゃないだろうか。
「多分…まだ間に合う……はず」
自分に言い聞かせるように、宮鬼くんがゆっくりと声に出す。言い終わると同時に、始業のチャイムが鳴った。
気持ちを切り替えるために、軽く伸びをしてからパソコンに向かった。けれど、なかなか仕事に集中できないのは僕も宮鬼くんも同じらしかった。
僕らの情けない顔を交互に見て、呆れた青鬼が大きく溜息をついた。
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