第5話『迷走』

【奥本】

何が起こったのか分からずに、僕はスマートフォン片手に立ち竦んだ。

あれ?僕、紅姫ちゃんに電話したんだよね?

どうして?なんで?

なんで宮鬼くんが電話に出るの?

無言のままの僕の耳に宮鬼くんの声が響く。

「もしもーし!奥本せんぱーい!もしもぉーし!!」

一旦切るべきなんだろうか。そしてまた後日かけ直した方がいいのかな。

でも…それじゃあ何も解決しないことは分かっていた。

恐る恐る尋ねる。

「あの…これ、紅姫ちゃんの電話だよね?」

「そうですよ」

当たり前のこと聞かないでくださいよぉー。

いつもの口調で、なんて事はないと言った風に宮鬼くんは言う。

「ど…どうして?どうして紅姫ちゃんの電話に宮鬼くんが出るの?」

聞きたくはない答えが返ってくるのは容易に想像がつく。でも、ここで逃げたらこの先もう二度と紅姫ちゃんには会えない、そんな気がした。

「どうしてって…紅姫さんと一緒に居るからですけど」

やっぱり…。目の前が暗くなる。僕が無言になったのをいい事に、宮鬼くんは話し出す。

「奥本先輩からの電話に、紅姫さんがなかなか出ないからボクが代わりに出たんです。って言うか、奥本先輩と紅姫さんってどういう関係なんですかぁ?」

知らないなら教えてやるよ!そんな思いを込めて、力強く言葉を発する。

「元カノ。紅姫ちゃんは、僕の元カノだよ。一緒に居る仲なのに知らなかったんだね」

最後にほんの少しの嫌味を混ぜる。けれど、その嫌味が僕に更なる落ち込みを与えた。

「元カノ!?へぇ〜…紅姫さん、奥本先輩みたいな人が好みだったのか…意外。っていうか、そんなの知る訳ないじゃないですかぁ。奥本先輩はそういう話しをしたがらないし、ボクと紅姫さんは今日…つい数時間前に会ったばっかりなんだもん」

今日会ったばかり…もしかして、トラブル対応の時にかけていた私用電話の相手は紅姫ちゃんだったんだろうか。

だとしたら、どういう経緯で2人は知り合ったんだろう。

SNS?合コン?最近よく目にするマッチングアプリ?

いろいろ考えたけれど、どれも違うと否定して頭を振る。自分から出会いを求めていくなんて、紅姫ちゃんらしくない。

でも…だったらどうして?宮鬼くんとは何処でどうやって知り合ったんだろう。そして、今2人は一緒に居る。耳を澄ませて向こうの気配を探る。大声ではないが、数人が話しているような声が聞こえる。肝心の紅姫ちゃんの声は…

「景都くん!私が出るから。奥ちゃんでしょ?電話代わって」

聞こえた!と同時にガサガサガタガタと雑音が入る。そして

「もしもし?奥ちゃん??」

「紅姫ちゃん!!」

変わらない声に、安堵と愛しい気持ちが込み上げてくる。僕は…今でも紅姫ちゃんのことが大好きだった。

「紅姫ちゃん、あの…」

「ちょっと待って!」

電話の向こうの…紅姫ちゃんの後ろ…数人いるであろう話し声が徐々に小さくなっていく。宮鬼くんの声も聞こえない。紅姫ちゃんが何処か人が居ない場所へと移動したのが分かった。

「奥ちゃん、ごめんね。私が早く電話に出られればよかったんだけど…その…奥ちゃんから電話が来ると思ってなかったから、びっくりしちゃって」

申し訳なさそうな声が聞こえる。そんな時の紅姫ちゃんの顔が、すぐ浮かんできた。怯えたような、今にも泣きそうな目で僕を見るけど、僕と目が合うと申し訳なさと恥ずかしさでサッと視線を逸らす。大丈夫、怒ってないよ。優しくそう告げると、嬉しさと安心から柔らかな笑顔になる。そんな笑顔を思い浮かべながら、

「大丈夫だよ。僕の方こそごめんね。急に電話しちゃって」

そう伝える。聞きたいことは山程ある。話したいことも山程ある。けれど、何よりも聞きたかったのは、紅姫ちゃんの声だった。僕の名前を呼ぶ、紅姫ちゃんの声。

「ねぇ、紅姫ちゃんと宮鬼くんって…その…あの…どういう…」

どういう仲なのか聞こうと思ったけれど、最後の方は上手く言葉にならなかった。聞きたいか聞きたくないかと問われたら、聞きたくないが本音になる。けれど、これは僕にとっては逃れられない。聞きたい聞きたくない云々ではなく、聞かなければならないことだ。

「そのことなんだけど……少し長くなるかもしれないけど、聞いてほしい」

僕の聞きたいことを分かってくれたらしい紅姫ちゃんが話し始める。

ずっと好きだった『鬼里姫』の話し。よくみるようになった夢の話し。仕事を辞めて『鬼里姫』の伝わる場所を目指す決意をしたこと。今日がその旅立ちの日だったこと。そして、早くもその場所に辿り着いたこと。それは咲野丘さきのおかにある神社であること。これから暫くはその神社で生活するということ。その神社に住んでいるのが宮鬼くんを含めた三兄弟であること。宮鬼三兄弟が『鬼里姫』に出てくる鬼姫の護衛であること。そして…自分がその鬼姫なんだということ。

咲野丘…そう聞いた時、僕は南に面した窓に手をかけた。リビングからベランダへと抜ける掃き出し窓を開けて、裸足のままでベランダに出る。夜の涼しい風と、ベランダの冷えたタイルが心地良かった。

僕が住むマンションは、咲野丘の隣に位置する桜平さくらだいらにある。僕の部屋はマンションの11階。ベランダからは咲野原も見える。高台になった坂の上に、今は黒く影のように見える木々と鳥居。そこが鬼里神社だ。そう、僕の住む部屋からは鬼里神社を眺めることができた。

今、あそこに紅姫ちゃんが居るんだ。そう思うと嬉しい気持ちと同じくらい不思議な気持ちになった。こんなに近い所に来るなんて、まるで鬼姫様が僕の所へ紅姫ちゃんを導いてくれたみたいだ。そんな気持ちで、黒く影になった鬼里神社を見つめる。車で行けば30分もかからずに着くであろう距離。今すぐに部屋を飛び出して車で駆けつけるべきかとも考えた。けれど…会いたいと思っているのは僕だけかもしれない。そんな弱気な気持ちがすぐに浮かび上がってきた。ベランダの壁にもたれて空を見上げる。星が綺麗な夜だ。

「奥ちゃん?」

呼び掛けられて我に帰る。紅姫ちゃんの話しは終わっていた。

何かと不思議な、まるでファンタジー小説か映画のような話しだったが、紅姫ちゃんが嘘をついてるとは思えない。紅姫ちゃんの話し声は真剣だった。そして僕は紅姫ちゃんが『鬼里姫』の話しが大好きだったことを知っている。

そして、僕もその『鬼里姫』の物語を知っている。奥本神隠し事件……そうか、紅姫ちゃんはずっと覚えていたんだ。あの時のしょうもない話を。

それに……紅姫ちゃんの話しが事実である証拠はもう一つ。宮鬼くんが会社に連れてきている青鬼だ。『鬼里姫』にも出てくる、三人の守り人にはそれぞれ鬼が付き従っていた。長兄には黒鬼。末弟には黄鬼。そして…次兄には青鬼が。

「…そういうことか」

思わず声が溢れる。

奥ちゃん?電話の向こうで紅姫ちゃんが不思議そうな顔をしているのが、声の調子から分かる。

僕が聞きたかったことの答えは全て出たような気がする。ただ、解決策は全く思い浮かばなかった。どうしていいのか、ますます途方に暮れるばかりだ。

「奥ちゃんは景都くんと知り合いなんでしょ?」

景都くん、と下の名前で宮鬼くんが呼ばれていることに少しムッとしたが、今は置いておくことにした。

僕も紅姫ちゃんに宮鬼くんとの関係を話した。

僕が桜平に住んでいること。桜平から車で30分ほど行った所にある竹宮坂たけみやざかの街の会社で働いていること。数年前に宮鬼くんが入社してきて僕の部署に配属されたこと。今は席も隣で同じ業務を担当する先輩後輩の関係であること。宮鬼くんが連れてきている青鬼が何故か僕にだけ見えること。その青鬼についてまだ宮鬼くんに何も話していないこと。

「奥ちゃんには、見えてるんだね…」

そっかー。と一人納得する声が聞こえてくる。紅姫ちゃんは紅姫ちゃんで、どう対処したらいいのか悩んでいるようだった。

これは今日の電話で解決できる話しじゃない。そう思った。紅姫ちゃんが良いならもう少し話していたいし、気軽に出来るようになったビデオ通話で顔を見ながら話すのもいいなぁとも考えた。

でも…。

再び鬼里神社の方に目を向ける。同じく顔を見るならば…

「ねぇ紅姫ちゃん…今度、会えないかな?」

鬼里神社を見つめながらそう口にする。

「いいの?」

思っていたよりも早い返答に驚いたけれど、断られなかったことに安堵した。紅姫ちゃんの声が少し嬉しそうに聞こえて、思わず笑顔が浮かんでくる。

「ずっと、紅姫ちゃんに会いたいって思ってたんだ。よかったぁ」

本音を伝える。メールをする度に何度も伝えようと思いながらも消去してきた言葉。まさか電話で伝えることになるとは思ってもいなかった。

「嬉しい。私も…奥ちゃんに会いたいなって、何回も思ってたんだ」

舞い上がりそうになる気持ちを抑え、日程や時間はまた今度決めよう、と約束をして電話を切った。

とんでもない夢物語のような話しに巻き込まれていくのを感じていた。不安が無いと言ったら嘘になる。そもそも鬼とどう接したらいいんだろう。いくらネットを調べても、それに対する答えは見つかるはずがない。でも…

「僕には紅姫ちゃんがついてる。だから、大丈夫」

夜風に吹かれながら、鬼里神社を眺める。紅姫ちゃんも、こっちを見てくれているのかな。そう思っていた時、スマートフォンの通知音が鳴った。紅姫ちゃんからだった。

『奥ちゃん、今日は電話ありがとう!会えるのが楽しみ』

その内容だけでも嬉しいのに、さらに画像が一枚添付されていた。電話の後で撮ったであろう写真だった。

紅姫ちゃんが真ん中でその右隣に宮鬼くん。反対隣に…宮鬼くんのお兄さんかな。三人の前で膝に黄鬼を乗せて座っているのが弟さんだと思われる。宮鬼くんの脇にはいつもの青鬼が立っている。黒鬼の姿が見えないことから、この写真を撮ったのが黒鬼だと分かった。

最近の鬼はスマートフォンも使いこなせるのかぁ。と変に感心したところで、気がかりなものが目に入った。

紅姫ちゃんの肩にまわされた腕。それは宮鬼くんの腕ではなく、宮鬼くんのお兄さんのものだった。

嬉しい出来事と同時に、また一つ悩みの種が増えた。

「これ、上手くトリミングして待ち受けにしよっかな」

寝る前の楽しみを見つけた僕は、部屋に入り窓とカーテンをしめる。

「明日も仕事かぁ。宮鬼くん、どんな顔して会社に来るんだろう」

そんなことを考えながら寝室に行き、ベッドの枕元にスマートフォンを置いてから着替えを持ち、風呂場へと向かう。

解決できなかった悩みや問題は、今日一日の汗と一緒に洗い流してしまおう。

手短かにシャワーを浴び終えた僕は、紅姫ちゃんに会えるという幸福感だけを抱えて布団に入り、眠りに落ちるまでずっと、紅姫ちゃんの写真を眺めていた。

ここ数年の中で最高に幸せで、最も謎に満ちた誕生日だった。

けれど僕はその夜、悪夢にうなされた。

燃え盛る炎の中に消える紅姫ちゃん。

僕は遠くから叫ぶだけで、紅姫ちゃんには近づけない。

炎の勢いはどんどん強くなる。

叫び声、悲鳴、怒号、建材が燃える音、建物が崩れる音、サイレンの音……。

焼け落ちた建物から見つかった骨。

「紅姫ちゃんっ……!!」

自分の叫び声で目が覚める。

全身にじっとりと汗をかいていた。気持ち悪い。

部屋はまだ薄暗く、スマートフォンで時間を確認すると深夜3時だった。

こんなにも酷い悪夢を見たのはいつ以来だろう。

手が震えている。動悸もする。汗が滴り落ちる。

「紅姫ちゃん……」

スマートフォンの画面に映る紅姫ちゃんに呼びかける。

そういえば、鬼姫の物語の最後は火事の場面だった。

それに……

「僕が神隠しで連れていかれた場所は、焼け落ちた神社だった」

全身に鳥肌が立つ。ただの偶然なのだろうか。そうだとしても嫌な予感は拭えない。怖い。

どうか、紅姫ちゃんは怖い夢を見ていませんように。再び布団に潜り込んで、僕は固く目を閉じた。

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