第39話 ギルド

「つまり、ルチアはあの仏頂面宰相の命令で、大戦の遺跡を調査して回ってるってことですか」

 私が言うと、ルチアはふるふると首を振りました。

「おおむね間違ってはいないけれど、どうしても聞き捨てならないから訂正しておくわ。『命令』ではなく『依頼』よ」

「何が違うんですか?」

「命令って、立場の上下関係があるからできることでしょう。別に私はサフォギアの臣民じゃないし、ましてやあの男の配下でもない。あくまでも私は要請に応えて協力してあげているだけよ」

「……それほど重要な違いではないように思いますが……」

 私には、ルチアがそこまで躍起になって言い直す理由がよくわかりませんでした。結局は、どういう風に言い表すかというだけの問題ではないでしょうか。

 そんな私の考えを読んでか、ルチアは呆れたように言います。

「どういう風に言うかが、ことのほか大事だったりするのよ。特にああいう手合いにはね。言った、言っていない、っていう言質を取ることにかけては恐ろしく達者なものだから」

「なるほど。道理で」

 ルチアも言葉尻を捉えるのが上手なんですね、と続けて言いかけて、喉元で思いとどまりました。

「それで、これからどうするんです?」

「そうそう、話が戻すわね」

 ルチアは机の上に大きな紙を広げました。

 一面に細かな線と様々なマークが緻密に書き込まれた、見ていると目が痛くなりそうな図面が広がっています。そこに書かれているいくつかの文字に、私は聞いたことがある単語を見つけました。

「地図、ですか?」

「ええ。ここが今いるシオンで、こっちがトロエスタ。私たちはこういう風に丘陵地帯を駆け抜けてきたってわけ」

 そう言いながらルチアがなぞった線は、街道を示す太い線ではなく、薄く途切れ途切れになった細い線でした。

「細かいところは後で見てもらうとして、今見てもらいたいのはこの上の方。湖から川が流れ出る先に広がるこのエリア。何だか分かるかしら?」

「何……と言われても、ほとんど何も書かれていないじゃないですか」

 ルチアが指し示した場所は、何のマークも、標高を表す線さえもろくにない、まさに空白地帯とでも言うのでしょうか。

 ただ何本かの途中で途切れた道があり、それに沿ってぽつぽつとまばらに情報が書き込まれているだけです。

「そうね。ではこっちを見てもらえる?」

「地図がもう一枚?」

「少しだけ詳しいバージョンよ。ほら、色々と書かれているでしょう。これを見れば何となく分かるんじゃないかしら」

 私は地図に覆いかぶさるようにして、小さな文字に目を凝らしました。

 確かに一枚目の地図よりは空白が埋まっていますが、見てみると、バツ印を添えられた日付だの、『巨大な倒木あり』だの、『大きな足跡』だのといった、一体何の役に立つのか分からない、むしろ分からないことだけを示すような、謎の書き込みが大半を占めていました。

「さっぱり。何です、これ」

「あら。あなたにはきっと馴染みが深いと思ったけれど。分からないかしら」

「私に?」

 ルチアがわざわざ言うほど私に縁深いものなど、ぱっとは思いつきません。

 だって、私が知っているものは全て、ルチアも知っているでしょう。私には、ルチアに連れられて森を出てきてからの経験してないのですから。

 そう考えて、ふと私はひらめきました。

「……森、ですか」

 私はあの森についてだけはルチアよりもずっと知っているはずです。

 それに地図に書かれた内容も、森の風景によく合致するではないですか。

「当たらずとも遠からず、といったところかしらね。まあ、今は正解ということにしてあげましょうか」

「でも、あの森からはもうずいぶん離れてきてしまったはずです」

「もちろんシェヴルの森ではないわ。でも、もしシェヴルの森を地図に書き起こすとしたら、きっとこれと同じような形になるのでしょうね」

 ルチアは、一枚目のぽっかりと開いた空白を示しながら言いました。

 森に地図があったという話は聞いたことがありません。

 私を含め、村の人々は周辺の情報が頭の中に入っていましたし、森の外の人はまずそれほど奥深くには入ってこないので、必要なかったというのが正しいでしょう。

「ここも、人の足の踏み入れない地なんですね」

「より正確に言えば、踏み入れない地、ということになるかしら。実はね、このシオンの街は、かつて人類と魔族が覇を争って戦った、その最前線に位置する街なのよ」

 ルチアは地図の中心にある深いグレーの領域を指で叩きました。

「このシオン湖はその戦闘で空いた窪みに水が溜まってできたと言われているわ。本当かどうかは知らないけれど」

「そうなんですか」

「この山を越えた向こうは、旧魔王領―――大戦当時に魔族のテリトリーだった領域なの。何がどうなっているか分からない、ただ恐ろしいものがやって来ることだけは確かな、文字通りの暗黒大陸ね。今でも、人間は不気味がって近寄ろうとしない禁忌の地」

 ルチアは恐ろしさの欠片も感じられない、あっさりとした口ぶりで言います。

「それでも長い時が経ち、シオンの街が発展するにつれて、人はこの禁忌の地へと興味を傾けていった。有益な資源を求めて、新天地に望みをかけて、そして未だ雲霧の向こうに隠された歴史の秘密を暴くため。そうして、サフォギア王家によって有志団体を追認する形で発足したのが、開拓者ギルド『フォアライト』というわけ」

「フォアライト……」

 よく見ると、二枚目の地図の端っこには無骨な飾り字でフォアライトと書かれていました。

 恐らく、この地図は開拓者からもたらされた情報を―――どんなに些細なことであれ大切に―――かき集めた資料なのでしょう。なるほど、全く見知らぬ地へ探検するとなれば、大きな倒木があったなんていう一見無益な情報も、何かの役に立たないとは限りません。

「……ところで、もう今は魔族は住んでいないのでしょう? ギルドなんて物々しいものが必要になるほど危険な場所なんですか?」

 私は素直に思ったことを尋ねます。

「何百年も人の手の入っていない原生の森は、いわば野生の国よ。特に、魔族の影響を受けた魔獣の類が跋扈していて、並大抵の人間や準備の足りない開拓者では生きて帰ってこれれば御の字ね」

「魔獣くらい、私たちの森にもいましたよ。確かに危険といえば危険ですが、数人がかりで武器があれば……」

 私が記憶を掘り起こしながら反論すると、ルチアは私の言葉を遮るように首をふるふると振りました。

「魔王領の魔獣はあなたが想像しているよりも強かよ。それに、あなたはまだ分かっていないようだけど、人間はあなたの想像以上に脆弱なの。シェヴルの森だって、外縁部はともかく、奥地は人間が容易に入って行ける場所じゃないのよ」

「はあ」

 私はまだ彼女の言いたいことが分からず、生返事をしていました。

 それを見てルチアはまた呆れたように肩をすくめつつ、話を続けました。

「エリーにこの話を持ってきたのは、まさにエルフが人間より強くできているからよ。あなた、仕事をしたいと言っていたでしょう?」

「したいというか、しないといけないらしい、というか」

「まあどっちでもいいわ。ちょうど私も、次は旧魔王領の調査に出かけたいと思っていたのよ。エリーがフォアラインに加盟すればギルドからの報酬も出るし、何かと都合がいいと思ったのだけど、どうかしら」

「……都合がいいというのは、目のつくところに置いておけて安心、という意味でしょうか」

「どう解釈してもらってもいいわよ」

「はあ……」

 私は視線を逸らして、考えるふりをしました。

 実際のところ、私には断る理由はひとつもないのでした。多少の身の危険はあるにしても、今までと同じようにルチアに付き添って歩き回るだけでいいなら楽なものです。仕事をしないといけないという問題も片付きそうです。

 ただ、ルチアがもってくる話に言われるがまま乗っかっていいのかということだけが気がかりでした。

「ちなみにですけど、もし嫌だと言ったらどうなりますか」

「嫌なら強要はしないわよ。ただ、私はどちらにせよ旧魔王領に行くから、フォアライトの報酬なしでついて来るか、ここに残るかを選んでもらうことになる。その場合、自分の日銭は自分で稼いでもらうことになるわね」

「……実質選択肢はないじゃないですか」

「そうかしら? シオンはサフォギアの王都だもの、一人でも生きていくだけの選択肢はたくさんあると思うわよ」

「ああもう、分かりました。ついて行きます。フォアライトとやらに入ればいいんでしょう」

 私がそういうと、ルチアはにっこりと笑いました。

「あら。無理強いしたつもりはないわよ。自分の意思でついて来る、とそういうことでいいのよね?」

「はい。それが一番都合がいいので」

「よろしい」

 そしてルチアは立ち上がり、壁に掛けたクロークを羽織りました。


「さ、じゃあ早速行きましょうか。フォアライトに」

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