第37話 報告

「お待たせしました」


 それほど待たされないうちに、グスターヴは仰々しい紙束を脇に抱えて、姿を現しました。

「お急ぎになる必要はありませんでしたのに。もとはといえば私が突然押しかけたせいでしょう」

「そのお心だけで十分です。なに、ちょうど机仕事にも疲れて人と話したい気分だったところです」

 ルチアとグスターヴは、短い言葉をあいさつ代わりに交わしました。

 二人の会話は淡白ながらきわめて深遠で、私にはかえって空疎な言葉遊びに聞こえてしまいます。

 私ははじめはルチアの隣に座っていましたが、何となく居心地が悪くて、立ち上がり、ルチアの背後に控えるようにして立っていました。グスターヴも私には一瞥もくれることはなく、ルチアの前に向き合うようにして座りました。

「さて、では報告を聞きましょうか。此度の調査は……トロエスタ方面の森林地帯でしたかな」

 膝高のテーブルにばさりと広げた紙には、小さな文字や図面のようなものが所狭しとひしめいていました。

「ええ。あの辺りは今でも人の多く住む地域ですが、中心近くとなると途端に情報の少ない場所でしたから、いつもより入念に準備して参りました。そのせいで報告が遅くなってしまったことは申し訳なく思っておりますが……」

「ルチア様にしかできないことです。どうして私たちに恨み言が言えましょう」

「そう言っていただけると救われますわ。……結論から言えば、大戦末期第四戦跡―――シェヴルの森には、ほとんど見るべきものは残っていませんでした。わずかばかり残っている遺跡も重要器物はすべて破棄済みで、結界魔術が数か所まだ生きていたくらいでしょうか」

 そう言って、ルチアはテーブルの紙のうち、地図のようなものが描かれた一枚にいくつかの小さな印をつけました。

「ふむ……。結界とはどういった類の?」

「よくある設置式のものです。特定の属性に強く反応するよう再調整を施された痕跡があった点は気になりましたが、汎用の認知迷彩タイプですわ。中は兵站基地であったと思われる大きな空洞がありました」

「博士の論文にあったものですか。彼は傍証が増えたと喜ぶでしょうな」

 グスターヴは嘆息しながら、紙にさらさらと何か書きつけました。

 今二人が話しているのは、森でルチアと私が訪れたあの前史遺跡のことでしょう。それは分かりましたが、それ以上の話の内容は私にはさっぱり分かりませんでした。

「では、結界が強く働く特定の属性というのは」

「残念ながら、私ではなかったということだけお伝えしておきます」

「最早術式そのものは失われていましたか。……やはり大戦期の遺跡を調べるには、時が経ちすぎたということですかな」

「そうかもしれません。私も調査を続けるにつけ、時間がかつての痕跡を刻一刻と消し去っているのを実感いたします」

 二人はそう言って、しばらく沈み込んだように黙っていました。

 それから、ルチアは地図につけた印を一つ一つ指さしながら、それぞれの遺跡について説明を加えました。彼女の報告は簡潔にして詳細、それを受けたグスターヴの質問もよく要点を押さえたものでしたが、生憎なことにそのほとんどは「何も見つからなかった」という一言に集約できるものでした。

 やがてルチアは思い出したように、印の一つを指さして、

「ああ、それともう一つ。ここの結界は少し変わっていたのですが……宰相殿の興味を引くでしょうか」

「どうぞ」

「では。ここは辺りでもひときわ小高くなった岩のような地形で、恐らくは要塞か前線基地であったと思われますが―――少々変わった点が一つ。この遺跡には比較的大きな内部空間をもちながら、外部に通ずる入り口が一つもありませんでした」

「それは、転移魔術を用いていたということですかな」

「もちろんその可能性もあります。ですが、あるいは……」

 ルチアは躊躇うように言い淀みます。グスターヴは急かすことなく、静かに次の言葉を待っていました。

「この遺跡は全体を覆う結界がない代わりに、内壁の一部に仕掛けられていたんです。外からの侵入者を撃退するためだけならば、むしろ効率がいいとも言えましょう。内側から容易には出られなくなることを代償に。……そして中には、目立った傷のない白骨が一人分、残されていました」

「……………なるほど」

 グスターヴは非常に深い含蓄を込めて、そう呟きました。

 その白骨は私も見ました。暗い要塞の中にひっそりと佇んでいた一つの痕跡。彼が何を思い何のためにそこで息絶えたのか、私には想像もつきません。

 ルチアの話を最後まで聞き終わったグスターヴは、物憂げに腰を上げました。

「今度の報告はこれで以上ですかな」

「ええ。詳細な報告書はまた後日差し上げますわ」

「お待ちしております。……ところで」

 ようやっと話が終わったものと思って気を抜いた私に、グスターヴは鋭い視線を向けました。今度はしっかりと私を見据えながら、やはりその眼からは何の感情も読み取れませんでした。

「そちらの方は、初めてお目にかかるかと存じますが」

「ああ、ご紹介が遅くなりましたわ。これはエリーゼ・ノイマン。トロエスタの街で出会って、しばらくの間旅路を共にしております」

「そうでしたか。……私は僭越ながらこの国の宰相を務めておりまする、グスターヴ・ハンソン・ショーグレーンと申します。以後お見知りおきを」

 グスターヴは、今まで私を半ば無視していたことなどすっかり忘れたように、恭しく頭を下げました。

 そして、こちらも挨拶をしなければと肩肘を張った私が声を発する前に、「では失礼します」と言って、さっさと背を向けて去って行ってしまいました。

 振り返ることのない背中に、コツコツと冷たい靴音だけが響きます。

「……どうすればよかったんですか、あれ」

 私がルチアに向かって言うと、彼女は奥歯で笑いをかみ殺しているようでした。

「あれで十分じゃないかしら。十分だと思ったから行ってしまったのよ。そういう男よ、あれは」

「こう、何だか釈然としません」

「でしょうね。あなたはああいうタイプ、苦手そうだもの」

 ルチアはいつも通り見透かしたような口ぶりで言います。

 それから立ち上がって、両腕を上に伸ばしてのびをしました。やはりルチアもそれなりに肩に力を入れていたということでしょうか。

「さあて、じゃあ野暮用も済ませたところで、そろそろ行きましょうか」

「え?」

「どうしたの素っ頓狂な顔をして。ここはシオン城、私たちの目的地を忘れたのかしら」

「ええと、シオンに行くと言っていませんでしたっけ」

 私が聞き返すと、ルチアはどことなく楽しげな笑みを浮かべました。


「ええ、それじゃ行きましょう、城下町シオンへ」

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