第36話 王城
幾重にも連なる丘陵に覆い隠されるようにして、王城の都市はその壮大さに似つかわしくない静謐さを備えていました。
ずいぶん立派だと思ったトロエスタの城壁さえ、今目の前にそびえる城門の高さに比べると親しみやすいものでしょう。城壁の上部には兵が外を見ることのできる窓が一定の間隔であいていましたが、どこからも人の気配はしませんでした。
「……寒々しいところですね」
私は辛うじてルチアに聞こえる程度の、ごく小さな声で言いました。
城門をくぐって、石造りの廊下を歩いている時にも、肌を刺すような緊張感は和らぐばかりか一層峻烈になるのでした。
「そうかしら。今日は少し暑いくらいだと思うけれど」
「そういう意味ではなくて」
「分かっているわ。重苦しい顔をしたあなたのための、私なりの軽快なジョークよ」
ルチアはいつも通り、平然としています。
巨大な白い石で緻密に造られた建物は、その人工感に比してあまりに無機質で、どんな温度も、音も、私という存在をさえも拒絶しているように感じられました。
森が巨大な一個の生物であったとすれば、ここは巨大な一個の穴か、さもなくば棺のようです。
「ルチア・ルイン様」
寒々とした廊下に、寒々とした声が響きます。
こんな場所ではこんな風に話せばいいのか、と妙な納得をしてしまうほど、空疎で殺風景な空間に似つかわしい声音でした。
「これは、これは。宰相殿みずからお出迎えいただけるとは。恐悦至極でございますわ」
ルチアは今までのいつよりも猫被った声で、慇懃に頭を下げました。
「本日このシオン宮には私しか出仕しておりませんゆえ。もとより、こちらの宮は最低限の番兵が詰めているばかりで、用向きのある場合は事前にご一報いただくことになっておりますことはご承知かと存じます」
「そうでしたわ。旅の疲れですっかり失念しておりました」
「ルチア様をしてそう言わしめるとは、此度の道行きは想像を絶するほどの比類なき悪路険道であったと見えます」
長い廊下の向こうから、初老の男性がゆっくりと歩いてきます。
動きづらそうな衣服に、これ見よがしに大げさな飾り、凍り付いたかのような無表情、ことさらに威圧的な眼差し。言葉を交わすこともせずして、私の最も苦手とする類の人物であると分かりました。
「……………」
木の幹に走る細い溝のような彼の目が、私の上に留まりました。
どんな生き物も、視線には感情が宿ります。何を思うこともなく何かを見ることなどできないはずです。ましてや視線が重なったときには、目は下手な言葉よりも多くのものを雄弁に語るはずなのです。
今、彼の視線は確かに私に注がれているはずなのですが、私はそこから何も感じ取ることができないでいました。
「……それで、今日は宰相殿しかいらっしゃらないということでしたわね。王城に宰相が一人きりというのもいささか物寂しくは感じますが」
ルチアが彼の視線を遮るようにして、私の前に立ちました。
「サフォギアは辺境の小国でございますゆえ。人材不足には王も常々頭を悩ませてらっしゃいます。とはいえ、このシオン宮程度であれば、この老身一つでも十分に事足りまする」
「辣腕グスターヴの名は今もなお健在、ということですね」
「これはまた耳懐かしい言葉。そう呼ばれるには既に私も衰えました」
私は、胸の中にしこりのように凝り固まっていく違和感の正体に気が付きました。
この白髪の目立つ男、グスターヴの言葉には、ただの一つも、本当のことがないのです。
「それにしても、ルチア様がわざわざこちらまで出向かれるとは、よほど火急の用ということですかな」
「いえ。城下町の方に少し用ができたものですから、たまには直に定期報告をと思ったのですが……。王様がいらっしゃらないのなら、また日を改めた方がよろしいかしら」
決して嘘をついているわけではないでしょう。しかし本当のことも言っていない。同じようなところがルチアにもあって、私はそれがどうしても気になっていたのでした。
「それには及びません。私がお聞きしましょう」
グスターヴは手のひらで、奥へ進むよう促しました。
「助かりますわ」
それに従って、ルチアはさらに深い穴の奥へと進んでいきます。
私も気が進まないながらも、その後を追って歩き始めました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます