第35話 道行

「そういえば」

 小高い丘と丘の間を縫うように走る、小石の多い道を歩きながら、私はふと思いついて話しかけました。

「あら」

 ルチアは先を歩きながら、私の方を振り返らずに返事をしました。

「ずっとだんまりしていると思ったら、流石のあなたもそろそろ疲れが出てきたころかしら?」

「そっちはまだまだ平気です」

「でしょうね。それで、何かしら」

「今さらかもしれませんが、名前のことです」

「名前? ……ああ、そういうこと」

 ルチアはすぐに私の言いたいことを察したようでした。

「通行証の話ね。確かに今さらだわ」

「別に大したことではないので、聞かずじまいでもよかったんですが。まあ、ちょうど暇ですし」

「あら。そんなに暇なら先頭を譲って差し上げましょうか」

「そのくだりは二日前にやりましたよ。散々な目に遭ったの忘れたんですか」

「私は遭っていないから、忘れるも何もないわ」

「……別に私も、ルチアから謝罪の言葉をもらおうだなんて思ってませんから、その件についてはもういいです。それで、どうなんです」

「聞き分けのいい子は好きよ。ええと、そうだ。通行証の件だったわね」

「はい」

「エリーゼはいいとして、『ノイマン』っていうのは姓ね。私が勝手につけさせてもらったわ」

「姓、ですか」

「ピンと来ない?」

「正直に言えば」

「まあ、そう言うだろうと思ったからあなたの意見を聞かなかったのだけど。王国の発行する通行証には人間としての名前と姓が必要だったのよ。だからつけた。他に質問があるかしら?」

「その、姓というのは名前とは違うものなんですか?」

「違うわ。名前は個人につけられるものだけれど、姓は親から子へと代々受け継がれていくもの。その家の家族全員が共通して名乗るものよ」

「家族全員が……」

「エルフにはそういう習慣はなかったみたいだから、仕方ないわ。これから少しずつ分かっていけばいいのだもの」

「……その、エルフというのも、結局のところよく分かりません」

「? エルフはエルフよ」

「私たちを指している言葉だということくらいは分かります。私たちは私たちをエルフとは呼びませんが、それはまあそういうものなのでしょう」

「そうね。自分自身を指す言葉は」

「ただ、ルチアの言うことを聞いていると、まるで……エルフは人間ではないみたいです。今だって、あなたは『』と言いましたよね」

「ええ、言ったわ」

「それは、つまり、私たちがから、わざわざそれを用意しなきゃいけない、ということですか」

 ルチアは足を止めて、私の方を振り返ったようでした。

 ようでした、と言うのは、ちょうど道の曲がったところにせり出した木の葉が彼女の顔を遮っていたからです。

 私がたった一歩足を進めれば、ルチアがどんな顔をしているか見られたでしょう。しかし地面に落ちた影が決してその主を追い越すことができないように、彼女の足とともに私の足もぴたりと止まってしまいました。

「……………ルチア?」

 秋の風が吹きました。

 丘の斜面に生えた灌木がそよぎ、懐かしい音を立てて私たちを包みます。ルチアは恐らく私の方を向いたまま、しばらくの間何も言わずにいました。

「……そうとも言えるわね。人は案外、風習や伝統を重んじるから。姿かたちが同じだけでは、同じ人間だとは認めてもらえないかもしれないわ」

 やっと静寂を破ったとき、ルチアは既に私から顔を背けていました。

「ねえ、エリー。これから行くところがどこだか教えてほしい?」

「もちろん。ずっと教えてくれと言っているじゃないですか」

「じゃあ教えてあげる。この丘の向こう、霞草の原っぱを抜けたところに、外海につながる大きな湖があるわ。私たちが行くのはその畔―――」

 ルチアはやや勿体つけて言いました。


「城下町シオンよ」

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