第29話 トロエスタ

「あっ、どうでしたか?」

 なんとか無事にトロエスタの町にはいることができた私たちは、ひとまずテオに教えられた宿屋を尋ねました。

 話がつくまで外で待っていたセシリエが私に駆けよってきました。

「驚くほどにすんなりと。今夜一晩は空いている部屋を使ってもいいとのことでした。あと、帰りに同乗できる荷馬車が出る予定がないかも一応探しておいてくれるそうです」

「よかったぁ」

「ただ、その代わり明日の朝の掃除を言いつけられてしまいましたが……」

「ま、まあ、それくらい一緒にやればすぐ終わりますよ」

 セシリエは励ますように言いました。

 実際、ただで泊めてもらおうというのですから、感謝こそすれ文句を言う筋合いはありません。

 何はともあれ、喫緊の課題が解決したことで、かなり気分が軽くなったのでした。

「それにしても、旅行者を泊める専門の店があるとは驚きました」

「もしかして初めてでしたか?」

「私の村にはまず滅多に人が訪れませんでしたから。セントペールにも、こういう店はあるんですか……って、今私たちが借りているお部屋がまさにそれでしょうか」

「そ、そんな大層なものでは」

 セシリエは首をふるふると振って否定しました。

「あの部屋はずっと空き部屋だったのをたまたまお貸ししているだけで。そもそも、セントペールは大したものもない小さな町ですから、トロエスタみたいな大きな街とは比べ物になりませんよ」

「そう……みたいですね」

 私は首を巡らして、辺りの街並みを見回しました。

 初めてセントペールの町に出かけた時も人の多さに驚いたものでしたが、今はそれとは比べ物にならないほどの人出です。

 大通りには人影が絶える瞬間がなく、両側には二階建ての建物がわずかな隙間も許さないというようにびっしりと張り付いています。しかも、通りを見果たすと、気の遠くなるような遠くに特別立派な建物―――恐らくそこが街の中心でしょうか―――が見え、私たちが今いるここはあくまで街の片隅に過ぎないことが知れました。

 セントペールが半日もあれば歩き尽くせる町だったことを思うと、文字通りトロエスタは桁違いの大都市と言えるでしょう。

「……なんだか眩暈がしてきました」

 あまりのスケールの違いに私が言うと、セシリエはふふ、と微笑みました。

「すぐに慣れますよ。エリーゼさんは私と違って、すぐに人と打ち解けてしまいますし」

「私が? 冗談でしょう」

 信じられない発言に、私は思わず言い返しました。

 これまでずっと森の村で過ごしてきて、見知らぬ人と話すことなどどちらかといえば苦手なくらいです。

「まさか。お父さんとだってあんなに話していたじゃないですか」

「あれは打ち解けていたとは言わないでしょう……」

「そうですか? お父さん、少し強面だし愛想が悪いから、初対面の人には大体まともに喋ってもらえないんです。だから多分、エリーゼさんのことも悪くは思っていないんじゃないでしょうか」

「は、はあ」

 私は釈然としないまま頷きました。

 あの時マティスと言い合ったのは、セシリエのことを放っておけなくなったからだ……とは、流石に言えませんでした。

「そういえば、そろそろ聞いてもいいですか」

 話を変える目的もあって、私はずっとタイミングをうかがっていた質問をすることにしました。

「はい?」

「トロエスタまでやってきた理由です。ついて来てほしいと言われたからついて来ましたが、何か用があったのでは?」

 当初の事情に戻れば、わざわざトロエスタまでやって来たのは、セシリエが言い出したことだったのです。もっともその時はこれほどつらい道のりになるとは思っていませんでしたが。

「……あー……ええと……」

 セシリエは視線を泳がし、曖昧に誤魔化すような唸り声を出していました。

 別に詮索をしたいわけではなかったのですが、滞在時間にもあまり余裕はなさそうなので、用事があるならば早めに済ませておいた方がいいと心配になったのでした。

 セシリエが見るからに動揺していて、私が対応を誤ったと後悔していると、通りの向こう側から人の歓声のようなものが聞こえてきました。

「あっ、何かやっているみたいです。ちょっと見に行ってみませんか」

 これ幸いと、セシリエが私の手を引いて走り出します。

 私もまた内心で安堵しながら、彼女の手を握り返し、人の波の濃い方へと走り出しました。

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