第26話 東雲
夢を見ました。
ベッドから上体を起こすと、頭にすっと血が巡るのを感じます。
窓からは明けたばかりの朝の陽ざしが入ってきていました。
二、三度息を吸い込むと、先ほどまで見ていた夢の内容は早くも濃い霧の向こうに隠されてしまって、思い出せなくなってしまいました。私の見る夢はいつも、そうやって儚く消えてしまうのです。
ただ、笑い疲れた日のような、泣き腫らした夜のような、ふわふわと掴みどころのない感情だけが手元が確かに残っているのでした。
「あ、起きましたか」
開け放たれたドアの向こう、廊下を通りすがりにセシリエが私を見ました。
「……おはよう」
「おはようございます。もう少しで朝ご飯が用意できますから、まだ横になっていて大丈夫ですよ」
まだ夢の感触を確かめていて上の空の私を、セシリエは眠たげだと思ったようでした。
生来寝起きはいい方で、ましてやセシリエが働いているのを尻目に惰眠を貪ることなどできようもなく、私はすぐにベッドから立ち上がりました。
「私も手伝います。何かすることはありますか」
「では下で火を見ていてもらえますか。廊下の突き当りに薪がありますので」
「了解です」
セシリエはぱたぱたと忙しなく動き、すぐに何処かへ行ってしまいました。
彼女の言いつけ通りに暖炉の火を見ると、控えめな火が燻ぶっています。その上でスープの入った小さな鍋が温められていました。
「さて」
私は改めて辺りを見回しました。
恐らくこの家で最も大きいと思われる部屋には、人が何とか二人席につけるかという小さな机が一つあるほかには、ほとんど家具らしいものはありませんでした。暖炉の前に敷かれたカーペットは擦りきれて、ほとんど床が透けて見えそうなくらいです。
机の上には、二人分のパンが用意されていました。
「あっ、ありがとうございます。エリーゼさん」
ちょうど用を終えたらしいセシリエが戻ってきました。
「スープが温まったらご飯にしましょうか」
「はい。……しかしマティスさんは? お姿が見えませんが」
「ああ、お父さんは多分、仕事場の方で寝たんだと思います。よくあることですから大丈夫だと思いますけど、あとで一応様子見に行きますね」
マティスはあの炭焼き小屋で寝たようです。あまり生活に向いた環境だとは思えませんが、見た目通り大雑把な性格なのでしょうか。
そうこうしているうちにセシリエは、テーブルにクロス引き、朝食の準備を終えていました。メニューはじゃがいものスープと、硬いパンです。
「結局、ルチアさんは戻ってきませんでしたね」
「そういえば」
「一度帰ってすぐ出ていったわけでもないみたいですし、かなり遠くまで行ったんでしょうか」
「まったく、居てほしい時に限ってなかなか捕まらないんですよね、あの天使は」
「まあ、天使だなんて。確かにすごく綺麗な方ですけど」
セシリエは私の言葉を遠回しな誉め言葉だと受け取ったようです。
別に容姿を言ったのではないと訂正しようかと思いましたが、セシリエは彼女の背中の翼を見たことがないのかもしれないと思い至り、呑み込みました。
「それにしても、こうなるとルチアは長く空けることも多いですし、しばらく帰ってこないかもしれませんね」
「困ったことになりましたね……」
半ば無理やり私を連れてきておいて、本人がどこかに行ってしまうなんて勝手な話があるものかと思いましたが、あのルチアならばやりかねないという気もしました。
「まあ、いないものを案じても仕方がありません。そのうち戻ってくるのを気長に待ちましょうか」
とはいえ、私には無為に持て余した時間がたくさんあるのです。数日、数か月くらいを彼女を待つことに費やしても、別にさしたる問題があるわけではありません。
「じゃ、じゃあ。これからしばらくエリーゼさんはお暇ということですか?」
「そうですね。もしお手伝いできることがあれば」
「……では、一つだけ、お願いしたいことがあるんですけれど……」
セシリエは言い出しにくそうに躊躇いました。しかしその仕草には後ろめたさというよりは、子供らしい期待感がにじみ出ていました。
「どうぞ。何でも言ってください」
数呼吸おいてから、セシリエは意を決したように口を開きました。
「隣の町まで、一緒について来てもらえませんか」
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