第24話 洗濯屋
「ところで、それは何をなさっているんですか?」
マティスとのやや険悪な挨拶を終え、もう帰路に就くばかりかと思っていた私は、セシリエが小屋の横で何やらしだしたのを少し離れたところで見ていました。
セシリエは木の桶に水を張り、その中に布を浸しています。
「す、すみません。すぐ終わらせますので……」
「別にそれは構わないのですが、ただ気になったもので」
セシリエはどんな言葉も、まず悪い意味で解釈してしまう癖がありました。今も、彼女は私が痺れを切らして急かしたように聞こえたようです。
それは単に彼女がそういう性格なだけだと思っていたのですが、あるいは彼女が置かれた生活環境がそうさせるのかと思うと、きゅっと胸が痛みました。
「これは、洗濯……です」
「洗濯?」
「はい。お父さんの仕事場からたくさん灰が出ますから」
私は改めて、彼女の手元にある水桶を見ました。
灰で薄く濁った水に浸した布を、セシリエが足で踏んで揉み洗いしていました。時折水を変えて、そのたびに灰と木の実の搾りかすを混ぜた粉を溶かします。
布は服のような大きめのものから、ほんの切れ端のようなものまで様々でした。色合いや使い込み具合も多様で、いろんなところから寄せ集めてきたかのようです。
「ああ、今日のあれはもしかして」
私が合点がいって言うと、セシリエは控えめに頷きました。
「はい。たまにああいう風にお家を回って、洗濯物がないかを聞いているんです。洗濯はけっこう手間ですから、ちょっとしたものだったら皆さんお任せしてくれるんです。その代わりに少々のお代金をいただいて」
「なるほど。それがセシリエさんのお仕事というわけですね」
「そんな、仕事というほどのものでは」
セシリエは恥ずかしそうに、顔を伏せました。
セシリエは言っていました。この世にはいい仕事と悪い仕事がある、と。
彼女のきまり悪そうな表情を見れば、反応を窺うように言い淀んだ言葉の端をとらえれば、洗濯屋もまた『よからぬ仕事』であろうということは容易に想像がつきました。
「いえ、そんなことはありません。立派なことですよ」
私がはっきりと答えると、セシリエは少し驚いたような仕草をして、またすぐに顔を伏せて足踏みしました。
「え、エリーゼさんも、洗ってほしい服とかがあれば、遠慮なく言ってくださいね」
「ええ、ぜひ」
どうしてでしょうか、私はどうしても、セシリエに幸せになってほしかったのです。
ほかの誰よりも、この幼気で痛ましい少女のことを救ってあげたいと思って仕方がないのです。
「そういえば、お父様にはご挨拶できましたが、お母様はどちらに?」
そう言った瞬間に、私はほとんど本能的に、自分が言ってはならないことを言ったのだと分かりました。
「……お母さんは……」
ずっと忙しなく動いていたセシリエが途端に鈍くなり、絶望的なまでに重苦しく絞り出された声を聴けば、誰であろうと理解するでしょう。
どうにか取り繕えないかとも思いましたが、私は自分で思っている以上に動揺してしまっていて、発言を撤回することさえままなりませんでした。
「お母さんは、今はいないんです。すみません」
セシリエが私に向けた不器用な笑顔が、その実どれほど苦心して作られたものなのか、私には分かりません。
「いずれご紹介しますね。きっと喜んでくれると思います」
「そ、そうでしたか。こちらこそ、すみません。……あっ、お手伝いしましょうか。二人でやれば早く終わりますし」
「本当ですか? 助かります」
ひどい失態をごまかすように、水の中に足を入れました。
ちらりと見たセシリエの横顔は、先ほどまでと変わらず、何も気にしていないように見えました。ですがそれは、私の願望が見せた幻に過ぎないのでしょう。
ばしゃばしゃと、水の荒だつ音ばかりが響きます。
大きな桶には二人くらいは足を入れられましたが、足踏みをしていると自然と身を寄せ合うような体勢になります。私は、改めてセシリエの身体の小ささに驚きました。
腕も腰も細くて、まだ発育途上にあることは明らかです。私が彼女くらいの年齢には、まだ元気だった母様の後ろをついて走り回っていました。
「そ、そういえば、エリーゼさんはお仕事は何かされるんですか?」
セシリエが疑いのない瞳で私を見ました。
「仕事……。そうですね、私も何か仕事をしなくてはいけないですね……」
それは今まで考えないようにしていた問題でした。
生きる糧を得るためには何かしらの形で働かねばならない、ということは私にもわかります。しかし、人の町でどんな仕事があるか、私にどんな仕事ができるかについては、皆目見当すらもつかないのでした。
「今までは何を?」
「森に住んでいたころは、身の回りのことをやるだけでしたから。外とのやり取りは父様たちに任せきりでしたし……」
「な、なるほど……」
「逆に、私にできそうな仕事にはどんなものがあるでしょうか?」
「えっ。ええと……うーん……」
セシリエは焦ったように目を泳がせました。
それもそうでしょう。セシリエとて、好きでこの仕事をしているわけではないのです。
「る、ルチアさんに聞いてみるというのはどうでしょう。あの方なら、何かいい伝手をお持ちなのではないでしょうか」
「ルチアに? それはどうだか……いやそうでもない、のか」
私は聞き流そうとして思い直しました。
どうにも私にとってのルチアは浮世離れした印象で、こんな現実的な話は鼻であしらわれて終わりそうな気がしてしまうのですが、人の町で身を処すことに関しては私よりもはるかに知見があるはずです。よくよく思い返せば、彼女はあの部屋を借りるための路銀さえ持っているのです。
「ルチアさんはお優しい方ですから、きっと何とか便宜を図ってくださいますよ」
セシリエは彼女に対して、かなり厚い信頼を寄せているようです。
確かにルチアは私の相談を無碍にはしないでしょう。しかし、彼女がどうにかしてくれると思っていると、痛い目を見るような気がしてならないのでした。
「まあ……聞くだけ聞いてみます」
私はあまり期待しすぎないようにして、ひとまずルチアに話してみることにしました。
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