第23話 炭焼きマティス
セシリエが案内してくれた父の仕事場は、森の隅っこにひっそりと、隠れるように建っていました。
私たちが借りている町の中の部屋も決して立派とは言えないものでしたが、こちらは輪をかけて質素で―――粗末と言った方が相応しいほどです。
壁になっている煉瓦は大きさや形が不揃いで、その間を小石で埋めてありました。家の土台に当たる部分はないようで、屋根も草で葺いてあるだけのようです。その代わり大きさだけはそこそこで、森の中に入り込んだ部分を含めるとかなりの広さがありそうでした。
「お父さん、この間話してた人、連れてきたよ」
「ん、ああ。入れ」
セシリエが呼びかけ、木の扉を開きました。
「失礼します」
緊張を感じながら小屋に入ると、強烈な木の匂いにはっとしました。
所狭しと積まれた丸太のまだ新しい匂い、村に住んでいたころの家の匂いです。それに交じって、生きている土の匂いもしました。
そして、木の燃える匂い。
「この奥にお父さんが……………。……エリーゼさん、顔色が」
私の顔を覗き込んだセシリエが、みるみる青ざめていくのが分かりました。私の顔も、同じように青ざめていたのでしょう。
「大丈夫、です。……この奥ですね……」
「え、あの、本当に……」
「いえ、少し眩暈がしただけです。さあ、奥に……」
「無理して入ってこなくてもいい」
こみ上げる吐き気に襲われながら奥へ進もうとすると、向こうから大きな人影が近づいてきて、唾を吐くように私に言いました。
傲然と立ちはだかるその男は、私を見下ろしながら遠慮のない口ぶりで続けます。
「そんな顔をしたやつに入ってこられても迷惑なだけだ」
「お父さん」
「セシリエ。肩を貸してやれ。外の空気を吸わせるんだ」
大男―――マティスがそう言うと、セシリエは私の肩を支えて外まで連れ出しました。
的確な判断、と認めざるを得ないでしょう。もしもあのままあそこにいたら、私はいずれ胃の中のものをすべて床にぶちまけてしまっていました。
外に出ると生きた森の匂いがして、胸の嘔気も霧を払ったように消えていきました。
「気分はよくなったか?」
私たちと一緒に外へ出たマティスが、私を様子を見て言いました。
「ええ。お見苦しいところをお見せしてすみません」
「中で吐かれるよりは随分マシだ。……それで、お前さんがあの白い嬢ちゃんの連れか」
「エリーゼといいます。どうぞよろしくお願いします」
「よろしくするようなこともねえと思うがな」
私が挨拶をすると、マティスは渋々といった様子で答えました。
小屋の中で見た時にはかなりの巨漢だと思いましたが、今こうして相対してみるとさほどでもないのに気が付きました。
身体は私よりも一回り大きい程度、背丈はほとんど同じくらいでしょうか。しかし体格はかなりがっしりしていて、存在感は強くありました。
「……女、でいいんだよな」
「はい」
「随分でけえな」
「そうでしょうか」
「俺と同じくらいあるじゃねえか。ここらでこれほど背のある女はいねえ。町でもよほど目立ったろ」
私は先ほどの町中でずっと感じていた妙な視線を思い出しました。
あれはセシリエへの視線だとばかり思っていましたが、私への好奇の視線でもあったのでしょう。セシリエが妙に言葉を濁したのもこのことだったのだと、ようやく分かりました。
「まあ何でもいい。あの部屋の家賃は白い嬢ちゃんから先払いで受け取ってある。壁に穴開けたり床ぶち抜いたりしなきゃ、どう使おうと構わねえよ」
「ありがとうございます」
「セシリエも、仕事さえしてれば何しようと勝手だ。世話焼くなり何なり、好きにしろ」
「あっ、うん」
マティスはセシリエと視線を合わせずに、一方的にそう言いました。
「話がねえなら俺は戻るぞ。……ああ、それとしばらくそっちには帰らねえ」
「……分かった」
そのやり取りがあまりにも非情すぎるように感じて、私は思わず口を挟んでいました。
「待ってください」
「ん? なんだ」
「もう少し、セシリエさんの話をちゃんと聞いてあげてはどうでしょう。さっきから彼女、頷いてしかいませんよ」
私の言葉を聞いたマティスは、はじめは面食らった顔をして、それから心底面倒くさそうに、軽蔑の気持ちさえ込もった顔で私を見ました。
「お前さん、シェヴルの森から来たんだってな」
「そうですが」
「森では初対面の相手の家のことをとやかく言うのが流儀なのか。随分変わった連中だな」
「……これはそういうのではありません」
「じゃあお前さんが変わってるだけか。何だっていいが、この町でうまくやっていきたいなら、早めにその癖は直しておくんだな」
マティスの言い方はあまりにも一方的で、取り付く島がありませんでした。
もはや私の意見など聞く気もないという明確な態度。誰かを拒絶するときにこういう言い方ができるのかと、私は他人事のように感心していました。
「知っていますか。町でセシリエさんが子供に石を投げられていることを」
最早語ることなしと言わんばかりに背を向けたマティスに向かって、私は言いました。
「いつものことだと彼女は言っていました。いつどこから石が飛んでくるか分からない日々を過ごしている娘の気持ちを、考えたことはありますか」
「……考えるまでもねえな」
マティスは振り返りません。
「俺も同じだ。悪ガキどもから石を投げられて生きてきた」
「ならば」
「俺たちはそういう家の子なんだ。森で生きる人間が他の奴らと同じようには生きられん。石を投げられたら投げ返せ。殴られたら蹴り返せ。そうする他に俺たちが生きる術はねえよ」
マティスの言葉には説得力がありました。彼が実際にそうしてきたという事実が、彼の言葉を重くしているのです。
「それがこの町の流儀というわけですか。ずいぶん大した連中ですね」
「そうだ。俺も、町の奴らも、お前さんよりはずっと大した連中なんだよ」
彼の言葉を使って返したのは挑発のつもりでしたが、マティスは意に介した様子はありませんでした。
私はだんだんと頭に血が上って、何としてでもマティスを言い負かしてやりたい気持ちになっていました。彼の言うことにいかに重みがあったとしても、私はどうしても、この強情な男に一泡吹かせてやりたかったのです。
「同じことを、セシリエさんにも言えますか」
「……」
「それがあなたの生きる術なら、セシリエさんにも堂々とそうしろと言えるでしょう。それが正しいことだと、やましいことなど一つもないと、胸を張って言えるはずです」
「……セシリエも分かっていることだ。分かりきったことを言う必要はない」
「なぜ先ほどからこちらを振り返らないんです。私と、セシリエさんの眼を見て言ったらどうですか。振り返らないのは、私の顔を見たくないからだけではないんじゃないですか」
「……………」
マティスはそれ以上何も言わずに、足を踏み鳴らして小屋の中へと入って行きました。
バン、という力任せに簡素なドアを閉める音が響きます。私は淡い勝利の感覚を味わいながら、呆然とした顔で立ち尽くすセシリエを見て、ふと罪悪感に襲われました。
「……すみません。セシリエさんを話の引き合いに使ってしまって」
「あ、いえ」
セシリエは想像したよりもずっと何でもない様子で、私の方を向きました。
「いいんです、別に。むしろ、なんだかちょっと、面白かったです」
「面白かった?」
「はい。お父さんがあんな風に話すの、久しぶりだったので」
そう言って、セシリエははにかみました。
彼女の年相応の屈託のない笑顔を見たのは、それが初めてだったかもしれません。
これが見られたのなら、マティスに喧嘩を吹っ掛けた甲斐もあったかもしれない。そんな気がしました。
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