第15話 昔話

 ルチアに連れられて遺跡探索という名の散策をし始めてからというもの、私は見たことのないものを見て、知らないことを知り、訪れたことのない場所を訪れてきました。

 そこには未知への不安とともに新鮮な驚きもたくさんあったのですが、回数を重ねるうちに、そうした驚きも涸れてしまったと思っていたのです。

「ここよ。この隙間から中に入れるわ」

「本当だ……」

 しかしやはりと言うべきでしょうか、ルチアの連れて行ってくれる世界はいつだって想像を優に越えてくるのです。

 私たちは風待ちの丘の裏側に回り、陰になったところにある大きな亀裂の前に立っていました。

「本当に中があるんですね」

「さては全く信用してなかったわね?」

「別に疑っていたわけでは。でも、自分の目で見るまでは流石に信じられなくて」

 その亀裂は、そうと知らなければ本当にただ偶然入った亀裂のように見えるでしょう。しかしごく至近距離まで近づけば、向こう側から冷たく乾いた風が流れ出ているのを感じることができました。

 さらに注意深く見れば、亀裂の周囲にはわずかながら獣道の痕跡があり、昔一度ならず誰かが通ったことのある様子が窺えました。

「それにしても、こんなの一体どうやって見つけるんですか。知っていても見失いそうなのに」

 しかしそれもそうと知っていればの話です。

 広い森の中で、こんなか細い痕跡の糸を手繰ることなど、不可能と言っても過言ではないでしょう。

「色々とやり方はあるものよ。いいやり方も悪いやり方もね。まあ、あなたがこの道を進むのなら、いつか教えてあげようかしら」

 ルチアは自慢げに、そして期待のこもった目で私を見ました。

「考えておきます」

「考えておいて頂戴。それじゃ立ち話もなんだし、入りましょうか」

「えっ。もしかして、ここから?」

「もちろん」

 亀裂は辛うじて中が見えるかどうかで、到底入り口にできるほどの幅はありません。

 何かの仕掛けで入り口を開くことができるのかとも思いましたが、ルチアは亀裂の横の壁に手のひらを当てて、

「エリー、私の後ろによけた方がいいわよ」

 などと不穏なことを言いました。

 言う通りにルチアの後ろに立つと、ルチアの手が壁に接している部分が淡く光を放ちはじめ、やがて炎のように赤熱していきます。

 壁をのだ、と気づいたころには、高熱は壁の中心部まで到達して、半液体状になった岩石がどろりと地面に流れ落ちていました。それに触れた雑草がジュっという水気を含んだ音とともに蒸発するのを見て、ルチアが後ろに避難するように私に指示した理由を理解しました。

「だ、大丈夫なんですか」

 状況についていけていない私は、思わずルチアに声を掛けました。一体何について大丈夫かと問うているのか、私にもわかりません。

 極度の高熱によって生じた上向きの風が、ルチアの髪を雪のようにかき乱していました。

「ちゃんと私の後ろにいれば大丈夫よ。でもそうね、念のため屈んでおいた方がいいかも……」

 ルチアがそう言い終わるかどうか、恐らくルチアの発する熱が壁を貫通して穴をあけた瞬間。

 突如として爆発しました。

「っ……!」

 耳元を力いっぱい叩いたような轟音と、天地をひっくり返すような衝撃が走りました。

 ただの爆発ではありません。

 身体ではなく脳を直接揺らぶられるような不快感、強烈な刺激によってあらゆる感覚が鈍磨していく浮遊感、意識だけが遠く乖離していくかのような非現実感。これとよく似た感覚を、私は一度全身で知っています。

「ルチア、大丈夫ですか」

 どれほどの時間が経ったでしょう、ようやく意識を取り戻した私が呼びかけると、弱弱しい声が返ってきました。

「……………ええ、一応……」

「もしかしなくても、これって」

「ええ。あの時の結界と同じ……。あぁ、あの時のあなたはこんな感じだったのね」

 初めてルチアと遺跡を訪れた時、遺跡を囲むように張られていた結界です。

 あの結界は対エルフ用の特別製だとルチアは言っていましたが、今度はルチアにもしっかりと効いているようでした。

「エリーは……大丈夫かしら」

「無理に喋らない方が。私は平気ですから」

「いえ、……………そうね、少しだけ休ませてもらうわ……」

 そう言って、ルチアは体重を私に預けて目を閉じました。

 私が軽傷で済んだのは、一度経験したことがあったからというのもあるでしょうが、単純に立ち位置の問題だったでしょう。

 ルチアは壁を融かすために正面から向かい合っていて、結界の影響に対して無防備に直撃したはずです。ルチアの背後にいた私でもこれだけの衝撃が来たのですから、彼女が受けたショックの大きさは想像を絶するに違いありません。

 それでもルチアは、目こそ閉じていましたが、眠ってはいないようでした。

「……何か喋っていないと意識が飛んでしまいそうだわ。何か話して、エリー」

 こんな無茶振りじみたお願いも、今だけは喜んで聞き入れてあげたいくらいの気持ちでした。

「何がいいですか」

「何でも」

「私がそんな雑なリクエストに応えられるほど器用だと思いますか」

「ふふ、全く」

 ルチアは口元だけで笑いました。作り笑いではなかった、と思います。

「じゃあ昔話をして。あなたの知る限り一番古い話を聞きたい」

「ええ、それなら」

 遺跡探訪に来てこんな目に遭って、その上で昔話をねだるとは、ルチアの好古趣味もなかなか筋金入りです。

 知らずのうちに微笑みながら、私は記憶の糸を手繰りました。

「前にルチアが話してくれましたよね、何百年前、人と魔族が争った戦争があったという話。それであの後しばらくして思い出したんです。そういえば昔、父様が私に語って聞かせてくれたお話にそんな内容があったと。父様に聞いてみたら覚えていないと仰ってましたが……私の記憶では確かにあったはずです」

「続けて」

 ルチアは目を閉じたまま言いました。

「とは言っても、その話の中では戦争について語った部分はほとんどなくて、確か、この森がその時に焼け野原になったという話だったと思います。私たちの祖先は戦時中は戦列に加わって激しく戦ったのだけれど、終結して後にはその行いを恥じ、焦土と化した森の再建のためにここに移り住んできたのだ、と……。私たちが森の外との関わりを最小限に保っているのはその頃からの古いしきたりなのだとも」

「それで、エリーはそれをどう思う?」

「……正直なところ、あまり実感がわきません。それが事実なのかもわかりませんし、仮に本当だとしても、それってもう何百年も前のお話でしょう。森にはその頃の焦土の面影はなくて、私たちの誰も戦争の火をこの目で見たわけではない。それなのにどうして実感を感じられるでしょうか」

「……そう、ね」

 ルチアは重たげに顔を上げました。

 伏し目がちで晴れない表情は、ただ調子が悪いというだけでない、もっと深い愁いを隠しているようにも見えました。

「ありがとう、エリー。もう大丈夫よ」

「本当ですか」

「ええ。まだ少し頭が痛いけれど……、そのうち慣れるでしょう。あまり悠長にもしていられないようだし」

 見上げると、空はだんだんと夕暮れの気配を強めていました。

 思ったよりも長いことここで休んでいたのでしょう。私は夕方には戻ってくれという父様の言いつけを思い出しましたが、すぐに帰ろうという気にはなりませんでした。

「エリー、時間は大丈夫?」

「実はあまり大丈夫ではないんですけれど。今日くらいいいですよ。私だってこのまま帰れませんし」

「その意気よ。帰りは送ってあげるわ」

 ルチアは自分の背中を軽くたたきながら言いました。

 融けた岩壁の穴をくぐり、中に入って行きます。冷えて固まったように見える岩は、まだ触れると思わず手を離してしまうほどの熱を保っていました。

 大岩の内部は、想像していたよりも―――私は掘り抜いただけの洞窟のようなものを想像していたのですが―――ずっとしっかりと造られていて、壁と天井の区別もあり、傾斜のついた床はちゃんと階段状に整えられていました。

 しかし明かりはなく暗闇なので、またルチアがぼんやりと発光して先を照らしました。

「さっきの話について、まだレスポンスをしていなかったわね」

 ルチアが話し始めました。

「アルフレッドがあなたに語ったという昔話、それは恐らくほぼ史実通りよ。この森一帯はかつて大戦の主戦場になった場所の一つで、草一本生えない焦土になったというのもあながち誇張ではないでしょうね。森の再建云々は、まあ、どうだか分からないけれど」

「ルチアがそう言うなら、信じてもいいかもしれません」

「信頼してもらえてるようで何よりだわ。それじゃついでに私の見立てを聞いてほしいのだけれど、この大岩はその当時の要塞ではないかと思うの」

「要塞?」

 ルチアは道が分岐しているところで少し立ち止まってから、さらに階段を上っていく方向に歩きました。

「だって不自然でしょう? 周囲は驚くほど平坦な土地なのに、ここだけがぽっこりと浮いているように見える。こうは考えられないかしら、この土地はかつては山も谷もあったのだけれど、あまりに激しい戦闘によってそれらすべてが

「均す……、そんなことが可能なものでしょうか」

 ルチアの大胆な仮説は、確かに興味深くはありましたが、いくらなんでも荒唐無稽が過ぎるように思われました。

 古代の魔術がとんでもない力を秘めていることは既に身をもって知っていますが、地形を丸ごと変えてしまうとなれば、文字通り桁違いの力になります。

 そんな人知を超えた業があるとすれば、この森を焼き払うことだって容易くできてしまうのではないでしょうか。

「まあ、今のは飛躍しすぎたかしら」

 そのことは流石にルチアも自覚していたようです。

「でもこの大岩が要塞だった可能性は高いわ。ほら、あそこを見て」

「あれは、窓、ですか?」

 ルチアが指さしたところからは、細くではありますが、確かに日の光が差し込んでいました。

「ええ。外側からは見つからないように工夫された窓。あそこから侵入することは難しいけれど、中から外側へものを飛ばすことはできるでしょうね」

「なるほど」

「それ以外にも、壁面のところどころには脆さを補強するための術式が張られていたようだし、さっきの妙に執念のこもった結界といい、ただの隠れ家の類ではないことは確かよ」

 ルチアは次々に根拠を述べ立てましたが、私にはそれがどの程度妥当なのか判断がつきません。私は大戦のことも知らなければ、魔術のことだってよく知らないままなのです。

 私に分かったのは、風待ちの丘全体が一つの大きな人口構造物であって、それが今まで私たちに全く知られないほど巧妙に隠蔽されていたという事実だけです。

「ではここが要塞だとして、どうして周りは平坦になるほど破壊されつくしたのにここだけは免れたんですか?」

 私が尋ねると、ルチアは既に答えを持っていたようでした。

「それは、あれに聞いてみればいいんじゃないかしら」

 通路を抜けて少し広くなった場所、きっとそれなりの人数が集まるロビーか何かだったのでしょうか、その片隅の壁際に、ひっそりと寄りかかるように何かがありました。

 最初は薄暗くてよく見えませんでしたが、ルチアが光を向けると、否応なくそれが何か分かってしまいました。

「ルチア、これっ……!」

「ええ、人骨ね」

 私が言葉に詰まっていると、ルチアは何でもないことのように言いました。

 よくよく考えてみれば、今までの遺跡で一つも見なかったのが不思議なくらいなのでしょう。

 人が生きたところにはその痕跡が残る。当たり前のことなのですが、それが今目の前に現れると、つい見てはいけないものを見たような気持ちになるのです。

「最後までここに残った人のものでしょうね。状態を見るに、要塞を放棄してからそれなりの期間生きていたのかも」

「ルチア」

「思い出して、エリー。最初の壁の結界、壁に穴が貫通した瞬間に発動したの。逆に言えば貫通しきるまでは発動しなかった。それはつまり、発動のための術式が壁の内側の表面に仕掛けられていたということを意味するわ。あの結界の強さも、後々まで整備する人がいたと考えれば得心がいく」

「ルチア、もういいです。分かりました」

 私は遮るように大声を張り上げました。

 閉鎖された空間に声が反響して、遠くまで響いていくのが聞こえました。

「ここは戦争に使われた要塞だった、この人は最後まで戦った。それでいいでしょう。それ以上まだ何か言う必要がありますか」

「……いいえ。ないわ」

 ルチアは遺体から光を逸らし、身体を翻しました。

 別に私は、彼女が冷淡な人間だとは思いません。きっと、ルチアにとってはこの程度のことはよくあることなのでしょう。だから視線も冷めてしまって、を見る目でそれを見てしまうのでしょう。

 私が獲物を射るときにどこを射てば死ぬかを考えてしまうのと同じです。経験が心を凪にするのであって、決して心が凍てついてしまったわけではありません。

 それは分かっていたのです。

 分かっていたのですが、私はどうしても確認せずにはいられませんでした。

「一つ聞かせてください、ルチア」

「何でもどうぞ」

 さらに階段を上ると、いくつかの大きめの窓が開いた部屋に出ました。

 窓からは地平線まで広がる森が見えて、燃えるように沈む夕日の中に、私たちの村も見えました。

「どうして私をここに連れてきたんです。どうして、私に見せたんですか」

 ルチアは、この問いを待っていたと言いたげに感極まったような顔で私を見ました。

「あなたに、私と同じものを見てほしかったからよ」

「どうして」

 なお納得できずに問い詰めようとする私を制するように、ルチアは次の言葉を継ぎます。

「私ね、また旅に出ることにしたの」

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