第9話 アフタヌーン・ティー
「父様。お茶を持ってきました」
湯気と香りが立つお茶のカップを三つ持って裏庭へ出ると、すでに父様とルチアが揃っていました。
「エリー。ようやく来たわね」
ルチアは椅子に座って、待ちわびたと言わんばかりに私に笑いかけます。
日除けのパラソルの下で子供のように足をぶらぶらと揺らし、そよ風になびく銀色の髪をなすがままに任せている彼女は、その澄んだ美しさで時間さえ止めてしまいそうでした。
「遅かったな」
父様は庭の奥の方、森がすぐ背後まで迫っているところに立っていました。
「すみません。お待たせしてしまって」
「いや、手間を掛けさせた。お茶はそこに置いておいて、こっちに来てもらえるか」
父様が促すままに、私は奥へと進みました。
そこは特に何があるわけでもない、切り拓いたはいいものの特に使うあてもなくてただ雑草が生えているだけの、ありていに言って無駄な場所でした。
そこに、父様が弓を持って立っていました。
「エリー」
「はい」
父様がことさらに改まった調子で口を開くものですから、私はもうそれだけで、何となくどんな話なのか察しがついてしまいました。
「あら、もしかしてもう始めてしまう感じ? お茶を飲んで一息ついてからにしてはどうかしら」
その時、ルチアが暢気にハーブティを飲みながら口を挟みました。
「ルチア。今はとても真面目なお話をしているところで」
「だからこそ、よ。これからの大事な話をするのに、そこにお茶がないなんてあってはならないことだわ。もしあなたが、なし崩しに結論へなだれ込んでいくことを『決断』と呼ぶのなら話は別でしょうけれど」
「……………」
私は困って父様の方を見ました。
父様は今度は嘆息のため息をついて、重々しい足取りでこちらへ近づき、お茶をおいたテーブルの席につきました。
「あなたもよ、エリー」
ルチアが言うので、私は同じように座りました。
悠長にお茶会としゃれ込めるような気分でもなかったのですが、形だけでティーカップを手に持ちました。
「全く、あなたたちはいつもそうね。何でもかんでも手っ取り早く用件だけ言えばいいというものでもないでしょうに」
「おっしゃる通りです」
私は思わずお茶がむせそうになりました。
「特にアルフレッド。娘にわざわざお茶を持ってこさせておいて無視するなんて、一体どういう了見なのかしら。親しい間柄にも礼儀はあるし、もしも立場が上だということに甘えているのならなおさら悪いわ」
「確かに、配慮が足りませんでした」
「お茶を用意させた時には、少しは談話の心得ができたものかと思ったのだけれど、期待が外れたみたい。人と腹を割って話すつもりなら、相手の気持ちをほぐすための雰囲気づくりも大切にしないといけないの」
「肝に銘じておきます」
「そう言いながら、あなたは目の前のカップに手を触れようともしないのね。私が何も言わなければ、そのまま一口も飲まずに置いておくつもりでしょう? そういうのが駄目だって言っているのよ」
私は二人から目が離せませんでした。
こんな風に慇懃に振る舞う父様を見るのは、生まれて初めてだったのです。私のイメージの中での父様は、いつでもどんな相手にでも、自分のスタイルを突き通して崩さないような人でした。
「感想は?」
「おいしいです」
その父様が、まるで躾を受ける赤子のようにされるがまま言われるがままになっているところなど、見たくなかったような、面白くてたまらないような、……とにかく私はどんな表情を作ればいいのか分からず、ただ黙っていました。
ルチアはひとしきり父様に文句を言った後、私の方を見ました。
「あなたはどう思う、エリー? この父親に言いたいことがあるなら、今言っておいた方がいいわよ」
「えっ。いえ、私は特に……」
急に話を振られて動揺した私が口ごもると、ルチアはそれを遠慮とみなしたようでした。
「アルフレッド、あなたは娘に一言の文句も言わせないような教育をしているの? それとも、自分がそういう威圧感を放っているということに無自覚なだけかしら」
「返す言葉もありません」
私は胸の奥にもやもやとわだかまりが溜まるのを感じました。
確かに父様はお世辞にも気が利くとは言えませんでしたし、それを顧みるところもありませんでした。しかし、私にはそれは欠点ではなく、むしろ長所であるようにさえ思われたのです。
父様の言葉には無駄がないのです。
さながら岩石の一つにもそこにあることに訳と理由があるように、父様の呼吸の一つ、喉の震えの一繋ぎにも、父様の意思が宿っているように感じるのでした。
ルチアの言葉は風のようでした。
体の表面を撫でるのが心地よく、しかしどこから来てどこへ行くのか、杳として知れないところが、よく似ていました。
「ルチア」
私がたまらず声を上げると、ルチアは私の方に比較的優しげな視線を投げかけました。
「なあに」
「気を遣ってもらったことは嬉しいのですけど、今は父様と二人でお話させてもらえませんか。お茶はその後ででも」
「……あなたがそう言うなら、構わないけれど」
ルチアはもの言いたげな目で私を見ました。
目をそらしてしまいたい気持ちをぐっとこらえて、彼女の顔を見据えると、ルチアは観念したように目を伏せました。
「そんな頑固なところは、別に似なくてもいいと思うわ」
そして手のひらをひらひらと振りました。
「アルフレッドも今日はそんな気分じゃないみたいだし、この話はまた今度にしましょう。話の腰を折ってしまって悪かったわね。しばらく黙って見ていることにするわ」
ルチアが私たちから視線を外したのを確認してから、父様と私は再び席を立ちました。
父様は先ほどの出来事などまるで存在しなかったかのように、いたっていつも通りの調子で歩き、いつも通りの実直な調子で私に語りかけます。
「先に謝っておく。すまない。確かに俺は結論を急いでいたみたいだ」
「気にしていません」
「いや、この点では彼女の言ったことは間違いなく正しい。今までお前に意見を求めたことはなかったが、これからはそうではいけないということを、お前にも確認しておいてもらいたい」
その語り口に変節の響きはなく、まさしく父様自身の言葉だと分かりました。
私は内心でそっと安堵しつつ、小さく、しかし確かに頷きました。父様もそれを見て頷きました。
「では今日の本題に入ろう。先日のグズリ狩りの件だ」
父様がゆっくりと語りだしたとき、私たちの周りの空気が急にしんと静謐に冴えた気がしました。
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