第7話 自己紹介
古めかしさの割にしっかりとした石段を一段一段踏みしめるようにして、どれくらいの深さを下りてきたでしょうか。
ルチアの放つ光で足元に不安はありませんでしたが、淡く柔らかな光は遠くまでは照らさず、階段の底は依然として闇の中にありました。
「……………」
「……………」
ルチアは一言も発することなく進み、私も黙々と階段を下っていきます。
彼女は時折首を巡らして、辺りの壁や天井を注意深く見ていました。私もそれを真似て観察してみましたが、代わり映えのない石壁の連続に、すぐに飽きてしまいました。
私はふと、どうしてこんなところまで来てしまったのかと冷静になりました。
どうして家の仕事もほっぽり出して、昨日初めて会ったばかりの人に言われるままに、こんな縁もゆかりもない、得体のしれない場所へとついて来てしまったのでしょう。
この白銀の髪をした少女が、真に信頼に値するかどうかさえ、確かなことは何もないのです。
「エリー」
「は、はいっ」
間抜けで素っ頓狂な声が地下の空洞に反響していきました。
「ふふ。なあに、その声」
ルチアが笑ってくれたのが、唯一の救いだったでしょう。その少し呆れたような笑みには後光が差して見えました。いえ実際に光ってはいたのですが。
「あなたはこの遺跡をどう思う?」
「どう、とは」
「何でもいいわ。言葉になる前のあなたの感覚を知りたいのよ、私は」
「そうですね……」
私は考えるポーズを取りました。
特に何の感想もないところにコメントをするのは難しいものです。
「とても古い遺跡だと先ほど聞きましたが、こんなに深く大きく掘れたとは驚きです。私の家にも地下室がありますが、狭いし天井も低くて」
「そうね。過去には栄えたけれど今はもう失われてしまった、そういう文化や技術がたくさんあるの。遺跡を造るような高度な土木技術もそのひとつ」
ルチアは私の発言から最大限の含意をくみ取ってくれました。
私の方は、ルチアの言葉をごく表面的に理解したに過ぎませんでした。今はもう失われた技術とは何を指すのか、私にはよく分かっていませんでした。
「遺跡には地中深くにあるものが少なくないわ。なにせ遥か昔のことだもの、長い時間をかけて塵が積もり土を被り、もともとは地上にあったものがすっかり埋まってしまうというわけ。そうなると見つけるのも掘り起こすのも一苦労なのだけど……ここはどうやら違うみたいね」
「違う?」
ルチアは壁面を触り、顔を上に向けました。
「この遺跡はもともとこうだったのよ。あれが見えるかしら」
ルチアが指をさすと、その辺りに光が全体的に広がっていきました。夜出歩くときに便利そうです。
それでも、天井はぼんやりとしか見えないほどに高く、ルチアが指した壁の突起物も、詳細な形状などは分かりませんでした。
「あの壁から突き出ているもの。あれはイルミンハーケンでしょうね。壁に打ち込んで使う魔術道具の一つで、あの先端部分が光を発して、この階段を照らしていたの」
ルチアは見てきたように言います。
それは私のよく知る照明器具とはかなり違っていましたが、目の前の人間が自ら発光しているのを思い出せば大した問題ではないように思われました。
「普通のランプを使わなかったのは、地下空間でオイルを燃やすと空気がなくなる可能性があるからかしら。あるいはここが魔術的資源の豊富な場所だったか。どちらにせよ、この階段は造られた当時から光の届かない地下だったのは間違いないでしょうね」
「流石ですね」
私が素直にそう言うと、ルチアは胸を張って誇らしげに返しました。
「単なる場数の違いよ。推測に過ぎない部分も多いし」
「いえ。私には推測さえできませんから」
「そんなことはないわ。想像力は誰にでも備わっているものよ。違いがあるとすれば、それを働かせることができるかどうかだけ。ほら想像してみて。この遺跡がかつてどんな姿だったのか、どんな風にして使われていたのかを」
いつの間にか、私たちは階段の最奥まで辿り着いていました。
そこには期待したような派手なものは何もなく、ただ左右へとこれまた大きな通路が伸びていました。ここはまだ、遺跡の全容を解き明かすための通過点に過ぎないということでしょう。
「ううん……。とても広い場所ですから、何かを貯めておくための倉庫だったとか」
私が思い付きをそのまま口にすると、ルチアはうんうんと頷きました。
「悪くないわね。私もその線はあると思う。そうだとすると気になるのは、こんなに深くまで掘って、一体何を貯蔵していたのかという点よ。よほど大事なものか、あるいは忌み嫌われたものか。ここまでの道のりを考えるとそう頻繁に出し入れするものではなさそうね」
彼女の考えは常に私の二歩も三歩も先を行っていて、私は「なるほど」と感嘆する以外には言葉がありませんでした。
そうなると、私にはますます、ルチアがなぜ私をここまで連れてきたのかが分からなくなるのです。
彼女に肯定されればまるで事実かのように感じられ、彼女に否定されればまるきり虚構にしか感じられない、ルチアの言葉にはそういった類の説得力がありました。
「ルチアの考えも聞いてみたいです。ぜひ聞かせてもらえませんか」
私は半ば返答に窮して、一方で純粋な興味から、ルチアに尋ねました。
ルチアはさほど悩む様子もなく、周囲に目を巡らしながら答えました。
「あまりにも特徴がなさすぎて、何とも判断がつかないというのが正直なところね。部屋の一つでもあればヒントにもなるでしょうけれど、今のところ階段と通路しかないし」
「ええ」
「この必要以上に大きくて深い地下空間、大きさの割に実用的な部分が少ない構造。何となく、儀式関係の建造物なんじゃないかという気はするけれど、……これこそ妄想のような話ね。何か見つかるまではこんな与太話でもして暇を潰すしかないかしら」
「儀式関係?」
この一連の話が「暇つぶしのための与太話」だったということには驚きを隠せませんが、そのことはいったん飲み込みました。
「祭祀祭礼、あるいは礼式。多くはある決まった時期にある決まった手順で行う、何かしらの特別な意味を帯びた行事のことよ。エルフの村にそういうものはないかしら」
私は曖昧に首を振りました。
「ふうん。まあ大抵の民族にはそういう特別な行為の類があるものよ。そして多くの場合、そのための特別な場所が設けられる。ここもその一つじゃないか、というのが私の現時点での所感ね」
「なるほど」
分かったような、分からないような返事をしました。
この時私が思い浮かべていたのは、毎月新月の夜に行われるという長老会の会合や、その年のリンゴ酒の熟成完了を祝って催される酒宴でした。時期と手順が決まっている行事と言えば、村にはそれくらいしかありません。
「ところで、先ほどから気になっていたんですが」
「なあに? 質問は歓迎よ」
「また基本的なことだったら申し訳ないのですけれど。その、エルフ、というのは私のことでしょうか」
変なことを言ってルチアの機嫌を損ねやしないかと、恐る恐る尋ねました。
この地下でルチアと喧嘩別れでもしようものなら、私はたちまち真の闇の中に取り残されてしまうでしょう。それを想像するとぞっとしました。
「ああ、確かにその説明をすっかり忘れていたわね。エルフっていうのは、森の奥深くに住む長身白髪の耳長族よ。身体能力が高く獣を従えていて、同族以外との接触を嫌う習性があるというわ」
「ええ……。なんですかそれ」
口から思わず笑いがこぼれました。
他人の夢の内容を滔々と語って聞かされた時のような、それ以外にどうとも反応しようのない時の、毒気を抜かれて脱力しきった時に出る笑みです。
「あら。笑うほどかしら」
「だって、全然私たちとは違うじゃないですか。森に住んでいるというところくらいしか合っていませんよ」
「確かに、今言ったようなエルフに関する言説はかなり脚色や誇張の類が含まれているでしょうね。というより、ことエルフについては『そうらしい』という話ばかりで、実際に会って話したというような証言が極端に少ないのよ」
私は何だか妙にむず痒いような気分になりました。
もしも私がそのエルフだとするなら、私はなかなか出会えない稀少な存在だということになるのでしょうか。
「でもそうね、あなたたちは今まで見た中では一番エルフに近いかしら。背も高いし、色素も薄いし。ちょっと耳を見せてもらってもいいかしら」
「まあ構いませんけど……」
ルチアは俄然興味ありげに言いました。
別に耳を見られるくらいどうということもないのですが、いざ改まって見せるとなると、妙に気恥ずかしいものです。
髪をかき上げて顔をルチアに寄せると、ルチアはじろじろと遠慮のない視線を私の耳に注ぎました。
「少しとがっているように見えなくもないけれど、耳長というにはいまいちパッとしないわね。まあ、これも噂が誇張されていった結果なのかしら」
「も、もういいでしょうか。先に進まないと」
私が言うと、ルチアはすぐに耳から視線を外しました。
「そうね。でもここまで何もないと、そろそろ引き返すことも考えないといけないかしら」
流石のルチアも、代わり映えのない風景に飽きがきていたようです。
こつん、こつん、と足音だけが響く大きな回廊は、よく見ると、壁面に何やら絵か図案のようなものが描かれていました。
ルチアはそれを軽く見てスケッチを取り、今日の探索はここまでにすることにしました。
「はじめての遺跡調査はどうだった?」
帰り際に、ルチアは極めて軽い雑談のような調子で尋ねました。
「何というか、思ったよりも地味ですね。特に何もありませんでしたし」
「あはは。なかなか率直な意見ね」
私は帰り道で気が緩んでいたのと、心身ともに疲れ始めていたのもあって、思ったことがそのまま口に出ていました。
しかしルチアは気を悪くした様子もなく、むしろ上機嫌な調子で笑っていました。
「すみません。つい口が滑って」
「いいのよ。むしろ思ったことは率直に言ってくれた方がありがたいわ。今後の参考にもなるし。それに何より、私はあなたとはもっと親密になりたいと思っているの」
こういうことを、照れもせずに言えるのはある種の才能でしょうか。
むしろ言われた私の方が照れてしまって、ルチアの顔を見ていられませんでした。
「この森には他にも遺跡がいくつかあるから、今後もぜひ一緒に来てもらえないかしら?」
「……時間に余裕があるときだけでよければ」
「十分よ」
そう言って、ルチアは私の手をぎゅっと握ります。
そして微笑むと、その笑顔はまるで天使のようで、私は思わず手を握り返すのも忘れて見入っていました。
「さて、それじゃあ村に戻るのだけれど」
そう言って外の方を見ると、そこにある大きな障害のことを思い出しました。
「……露骨に気が重そうな顔をしたわね」
村に帰るためには、あの不気味で身の毛もよだつ結界をまた通っていかねばならないのです。
思いつく限りの不快感を能う限り寄せ集めたかのようなあの感覚を思い出すと、途端に身体が委縮して、足を動かすのさえ億劫になるのでした。
「もっとも、結界が作用するのは外側から入るときだけで、出ていくときには素通りできるという可能性もあるけれど。その辺りをちゃんと調べるとなると数日がかりの作業になるわ」
「……………行きましょう。行けばいいんでしょう」
私が悲壮な覚悟でもって足を踏み出すと、突然地面がぬかるんだように体勢が崩れました。
地面がぬかるんだのではなく、私の脚が笑ってしまって言うことをきかないのです。まるで私の意志とは別に、身体がこの先に進むことを拒否しているかのようでした。
「流石に見ていられないわね」
ルチアは思いつめたような声でそう言うと、私の目の前に立ち、私の胴体に手を回すようにして抱きしめました。
「えっ、ちょっと」
「口を閉じていて。最初は少し刺激が強いかもしれないから」
ルチアの身体がわずかに震えたかと思うと、彼女のケープの背中の部分がひらりとはだけ、背中の白い肌があらわになります。
そこから、柔らかい光とともに、白い大きな翼が広がり出てきました。
「人を連れて飛ぶのは初めてだから、しっかり掴まっていて」
そして翼が一度二度、たおやかに羽ばたくと、ルチアの身体は重力を失ったかのように、空中へと浮いて行くのでした。
私は彼女に身体に必死にしがみつきながら、みるみる間に遠ざかっていく木々に覆われた地上を見ていました。かなり巨大に見えた遺跡も、どんどん小さくなっていき、やがて水苔の中に置かれた小石ほどの大きさになりました。
「やっぱり。結界は上空をカバーしていないんだわ。専ら地上から入ってくる相手のことを想定して造られているのね」
ルチアが何やら考察していましたが、全く頭に入ってきませんでした。
「あの、ルチア。あなたは……」
私が言葉にならない問いかけをすると、彼女は私をしっかりと抱きしめたまま答えました。
「自己紹介が遅れたわね。私はルチア。この世に数少ない、地上に生きる天使よ」
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