第4話

 アキラ先生がモツ煮込みを食べていた顔を思い出している。あんまり豪快に食べるので、じっと見詰めてしまった。僕の視線に気がついた先生が、どうしたの? と言う感じで可笑しそうにする。ほら、こっちもおいしいよと言われて、生の軟骨を勧めてくれた。生の軟骨なんて食べたのは初めてだった。口に入れるとゴリゴリとした食感で、食べ物と言われなければ、飲み込む勇気が出てこない。ゲテモノ。でも、不味いわけじゃない。

 僕はアキラ先生に惚れてしまった。自分の心の状態が今までに無い感じだ。ドキドキして、苦しい感じはもちろんある。でもそれと同時に、あたって砕けろみたいな、爽快で投げっぱなしの自分がいる。いつもなら思い悩んで、告白するにしても、しないにしても、追い詰められた感じになるのに今回はちょっと違う。

 アキラ先生は突拍子の無い性格をしている。回りくどいことはしないで、素直になったほうがいい。振られてもスガスガしいかな……。さすがにそこまでは無理かな……。

 それで六回目の口笛教室の日。まだ残暑の厳しい九月の終わり。教室が終わりになって、みんなで帰る準備をしている。僕らのグループだけ遅くなったのが、ちょうど良かった。大輔君とタマキ先輩がいるけれど、かまわない。

「アキラ先生」

「はいはい」

「アキラ先生、今度、デートしてくれませんか。連れて行きたいモツ煮込み屋があるんです。と言っても、モツが目当てではなくて、デートが目当てです。デートの申し込みです。本気です」

 アキラ先生が口をあんぐりとあけて、僕を見詰めている。デートデートと言いすぎてしまった。

「ダメよ。ダメダメ。すごい年離れてるし……ごめんね。気を悪くしないでね。でもダメよ。ダメダメ」

 ものすごいダメダメ言われた……。アキラ先生は、真っ赤になって恥ずかしそうにしている。これは意外だった。

「年の差は関係ないですよ。あの、僕、アキラ先生大好きですから。付き合ってもらえませんか? まずは、デートだけでも」

 タマキ先輩が耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆って下のほうを向いている。それを見たら、急に自分も恥ずかしくなってきた。俺、超恥ずかしいよなあ。大輔君はニコニコしている。

「守山さん、ありがとう。気持ちだけ貰っておくわ。ってアレ? この場合、気持ちを貰っちゃダメか。でも嬉しかったわ。ホントよ。でもダメよ」

「ダメですか……」

 上がっていたテンションが、一気におなかにドスンと落ちる。このあと、僕はどのように振舞えばいいのだ?


 いつの間にか隅田川のほとりにいて、大輔君とベンチに座っている。もちろん、中華料理店の二階から、ここまで歩いてきた記憶はある。しかし、まるで夢のようだ。さっきの告白シーンが、まるで映画の一場面のように、スローモーションで思い出される。好きって言っちゃったな。デートに、誘うだけのつもりだったんだけどな。

「守山さん、あきらめないで下さい。十分脈はありますよ」

 大輔君が僕を励ますように言う。

「そうでしょうか。あんなにダメダメ言ってましたが……」

「アキラ先生が嫌だったら、一言、ダメ! で終わりですよ。そういう人ですから」

 なんで俺は、小学生に励まされているんだ……。

「大輔君、アキラ先生に詳しいよね……」

「家が隣ですから。ほとんど姉のような存在なんです。アキラ先生、守山さんのこと嫌いじゃないですよ。むしろ好きだとおもいます」

「そうでしょうか? そこまで分かりますか?」

「はい。物心つく前からアキラ先生のことは知っています。物心ついてなかったのは、僕の方ですけどね」

 大輔君が笑った。憎たらしいほど賢いな。

「じゃあ、僕はどうすればいいかな。また、誘ってみるかなあ」

 本気で小学生に相談してる自分がいる。

「そうですよ。あきらめないで、また誘ってください。アキラ先生が、うんと言うまで誘ってください。押して押して、押し捲れ! と、おじいちゃんが言ってました。女性に関しては」

 小学生にアドバイス貰ってる……。でも元気出てきた。

「モツ煮込み屋に誘ったのは、悪くないよね?」

「いいと思います! アキラ先生は、かなり心引かれたはずです。ただ……」

「ただ?」

「アキラ先生は、浅草から外に出ないんですよ。出れないと言った方がいいかもしれません。なんというか……浅草に引きこもっているんです。外の世界を見ようとしないんですよ。僕は良くないと思うんですけど……」

 大輔君が難しい顔をする。

「じゃあがんばって、アキラ先生を外に引きずり出すかな? 愛の力で」

「そうですよ! 愛の力で!」

 大輔君が嬉しそうに言った。姉思いの、優しい弟。

 守山さん、がんばってくださいと激励されて、大輔君と別れた。心の傷はかなり癒され、次の戦いへ向かう気持ちが出てきた。今日はテンションの上下動が激しすぎる。さっきまで、振られた寂しさで、切ないメロディーを吹きながら帰ろうと思っていたのに、こんどは「愛は勝つ」とか、口笛で吹きながら自転車を漕いでしまう。安易だな。

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