第2話
「守山と申します。よろしくお願いします」
大輔君と、すごい色の白い、中学生くらいの女の子に挨拶をする。グループと言っても二人だけのようだ。
「よろしくお願いします。鎌倉大輔です。小五です」
大輔君がにこやかに答える。礼儀正しい。
「大輔君って呼んでもいいですか」
髭の木戸先生もそう呼んでいた。
「ええ、もちろん。こちらはタマキ先輩です」
大輔君に紹介されて、あわてて頭をさげるタマキ先輩。
「タマキ先輩は、高校生ですか」
「ハイ。二年です」
すごい小さい声で答えるタマキ先輩。中学生じゃなかったかー。念のために高校生って言っておいてよかった。
「守山さんは、大学生なんですよね? 大学では何を専攻されているんですか?」
大輔君……会話が大人すぎる。
「社会学部なんですが……。社会学部って、何をすると思いますか?」
説明が難しいので、逆に質問をしてみる。大輔君が真剣に考えている。
「市場調査とかですか? コマーシャルの効果とか、僕、ちょっと興味ありますけど」
「かなりいい線いってます。タマキ先輩はどうですか」
「……人間の……営みの研究」
ディープ。タマキ先輩、ちょっと怖いぞ。長すぎる前髪に、まがまがしい物を感じる。
「二人とも、ほぼ正解ですね。というか、僕も上手く説明できないんですけれど、人間に関する、物事の仕組みについて研究する学問ですかね。そう言っちゃうと、なんでも当てはまってしまいそうですけど」
「物事の、仕組み自体を研究するっていうことかな?」
誰? いきなり途中参加してきた人。
「アキラ先生」
大輔君が言った。
「お待たせ。ごめんねー、また寝坊した」
にっこり笑った黒髪の美しい女性。この人がアキラ先生か。かなり美しいな。
「新人さん? 大学生だって?」
アキラ先生が弾むように言った。
「はっ。守山と申します。よろしくお願いします」
「よろしくね。人間の文化とか?」
「はい?」
「人間の文化!」
「あ、はい。社会学だと思います。文化あってこその人間ですよね」
「もののけ姫!」
嬉しそうにアキラ先生が言う。単語ばっかり……。
「確かに、動物と人間を分けるのは文化を持つか持たないか、かもしれません。でも、もののけ姫だと山犬とかにも文化がありそうでしたよね。猪の長老とかもいたし」
無駄に話が広がっている。
「なかなかいいですねー。うん、いいですね」
アキラ先生が頷きながら僕の肩を叩いた。なんだか褒められているが、良く分からない。アキラ先生、変わってるなー。
「先生、そろそろ口笛を」
大輔君がたしなめるように言った。この中で間違いなく彼が一番大人っぽい。
「しょうがないやるか」
アキラ先生がめんどくさそうに言った。
「じゃあ守山さんテスト。好きな曲を一曲お願いします」
アキラ先生が首を左右に振りながら言った。なんで首を振っているのかは分からない。仕草からして独特だ。
「じゃあ、荒城の月を吹きます」
「ジジくさ!」
アキラ先生が嬉しそうだ。僕は単純にこの曲が好きなのだ。口笛に合っていると思う。じゃあいきます、と言って、僕は大きく息を吸い込んで荒城の月のメロディーを吹き始めた。
人前で吹くのは初めてなので、妙に緊張する。緊張で息が震えて、ビブラートみたいになっている。ジジくさいと言われた曲目だけあって、周囲の中高年の方々が、なんとなく僕の口笛に耳を傾けているのが分かる。ちょっと息継ぎが多くなってしまった。それでも、なかなか上手くいったと思う。曲が終わって、周りのみなさんが拍手してくれた。恥ずかしいけれど、けっこう嬉しい。
「うーん、かなり上手いんじゃない? 八段かな」
アキラ先生が頷きながら言った。
「すごいです、守山さん。お上手ですね」
大輔君も褒めてくれる。
いきなり八段か。やったー……って喜んでいいのかな。
「大輔君は何段?」
「僕は四段です。結構音程がズレちゃうんですよ」
「タマキ先輩は?」
「……豪傑五段……です」
タマキ先輩の白い顔が一気に赤くなった。
「ゴウケツ? それって……すごいのは分かるけど、どういうシステムなんでしょうか。アキラ先生?」
アキラ先生が首の動きを止めて、じっと考え込む。
「えーと、十段の次が豪傑初段で、豪傑十段の次が……達人。……達人十段の次に名人があるかな」
後半は絶対今考えただろう。
「アキラ先生は、やっぱり名人ですか」
「わたしは……、プロ3段ってところかなー。結構厳しい世界よ」
もう意味が分からない。
「荒城の月で、ビブラートを使わなかったのは感心しました。そこが一番良かったかな」
えっ。かなり震わせたつもりでしたけど。
「ビブラートは、駄目ですか?」
「駄目じゃないけど、わたしが好きじゃないのよ。口笛が上手になると、みんなやたらとビブラートを使いたがるの。あれは自分が気持ちいいだけよ。この教室の人もさあ、もうブルブル震わせちゃって……。大っ嫌いビブラート」
アキラ先生が最後の部分を割りとでかい声で言ったので、周囲の人が苦笑いしている。
「木戸先生が、ビブラートの名人なんですよ」
大輔君がひそひそ声で、僕に耳打ちする。
「ビブラー」
タマキ先輩がぼそっと言った。髭の木戸先生、ビブラーか……。
アキラ先生がそれぞれに課題を出してくれるらしい。大輔君とタマキ先輩は、2週間の練習の成果を披露した。それを聞いてアキラ先生が少し手直しする。大輔君は、「春の小川」に挑戦しているのだけれど、けっこう苦労している。口笛を正確に吹くのはなかなか難しい。タマキ先輩が「モルダウ」という曲を課題にしていて、演奏が素晴らしかった。特に高音。まったくかすれない、力強い音が響く。豪傑だ。
タマキ先輩を手直しする時に、アキラ先生が少しお手本を示したのだが、それがさらにすごかった。隙の無い演奏。細かいところが特に素晴らしい。クラシックの演奏を聴いたときみたいに、ジーンとしてしまった。
「守山さんの課題曲、何にしようか。今日は楽譜渡せないしね」
アキラ先生が言った。
「高音の練習をしたいのですが。どうでしょうか、高音」
もはや高音にこだわる必要もないのだが、一応高音目的で入ったわけだし。
「じゃあ楽譜もあるし、守山さんもモルダウやってみる?」
「ちょっと難しくないですか? 豪傑のタマキ先輩が練習されているわけですし」
「うん。でもね、タマキちゃんの音を聞くのも練習になるから、一緒に同じ曲をやるのは効率がいいと思うの」
なるほど。
「じゃあ、モルダウでお願いします」
その後、みんなで高音の口の形を練習した。教えてもらっても、音はかすれてほとんど出ない。しかし先生に教わっているという安心感がある。それを頼りに練習を続けられそうな気がする。
あっという間に時間が過ぎて、時計を見るともう五時半。教室は一応五時までということだったけれど、まだ練習しているグループもある。終了時間はけっこう流動的なようだ。
二時間半の練習時間のうち、ちゃんと練習したのは後半の三十分くらいだった。ほとんどみんなでおしゃべりしていた。恐らくいつもこんな感じでやっているのだろう。みんな楽しそうに話をしていた。口笛の練習はしてないけど、これはこれで悪くない。普段小学生と話すことなんて、ほとんど無いからな。
アキラ先生はもちろん面白いのだが、個性がありすぎてちょっと暴走している。それを大輔君が気遣いながら、場を上手くコントロールしている。不思議な組み合わせだ。タマキ先輩はあまり言葉を発しないけれど、ここぞというときの意見に重みがある。狙い済ましたような一撃。さすがに先輩と呼ばれるだけある。
練習がお開きになって、タマキ先輩、大輔君と一緒に部屋を出る。最初に入ってきた非常口の方向に僕が歩き始めたら、大輔君に手首を掴まれた。
「表玄関から出られますよ。こちらから行きましょう」
二人につづいてエレベーターに乗る。チンと音がして、一階に到着した。ドアが開いてエレベーターを出ると、明かりが無くてけっこう暗い。よく見てみると、テーブルと椅子がたくさん並んでいる。壁にメニューも張ってあるし、どう見ても中華料理店だ。大輔君のあとについて、誰もいない店内を歩く。正面がガラス張りになっていて、外の商店街が見える。自動ドアが開いてあっさりと外に出た。
ここは商店街のど真ん中。口笛教室をさがして、僕は自転車で何度もこの前を通っていたのだが、気がつかなかった。外から見た店内は暗いし、どこにも看板が掛かっていない。パッと見、中華料理店ということは分からない。テナント募集というカードが、入り口の横に貼ってある。
「ここ、中華料理・天竜っていうお店なんですよね? 閉店してしまっているみたいだけど」
僕は言った。
「二年くらい前に経営者のおじいさんが亡くなってしまって、跡を継ぐ人もいなかったので閉店したんです」
大輔君が説明してくれる。
「口笛教室のサイトに、中華料理店の二階って書かれていたんですけど」
「口笛教室のホームページは、もう三年ぐらい更新されてないんですよ。メールで、場所の案内とか無かったですか?」
「無かったと思うなあ。短い文章で、いらっしゃいとだけ書かれていたけど。あれは木戸先生かな」
「木戸先生はメール苦手ですからね。たぶんその、短い文章を打つのでも、かなり時間をかけたと思いますよ。場所の案内をする前に力尽きてしまったのかも」
大輔君が笑った。
「お年寄りだから……しょうがないです」
タマキ先輩が言った。僕は頷く。
真剣な顔をして、一文字ずつメールを打つ木戸先生の顔が思い浮かぶ。ありがたいと思わないとな。
「ところで裏のお店って? かなり不思議な場所だったけど」
僕は訊いた。
「亡くなった店主の奥さんが、お店を続けられているんです。商売というよりは、近所の人との交流がメインのお店ですね。ここらへんのビルは全部、その北野さんが管理されているんですよ。北野さんのご好意で、口笛教室の場所も借りているんです」
ジェスチャーを交えて大輔君が流暢に説明してくれる。
「冬とか、外で食べるラーメンは最高です」
タマキ先輩が小さな声で言う。
「ああ、それはいいな。屋台に近いのかな。でも、大輔君が通りかかってくれなければ、僕は永遠にあそこにいたかもしれない。六時になって、ラーメンを食べて帰ってたかも」
「僕も、時々しかあの裏口を使わないんですけど。今日は偶然でしたね」
「ほんと、助かったよ」
自転車を止めてある北野ビルの前で解散した。二週間後にまた会いましょう。
高校生と小学生に手を振ってお別れしていると、なんだか若返ったような気持ちになった。夕方なのに日差しが強い。片手で光をさえぎりながら走る。もうすぐ夏休みだ。大学を卒業してしまったら、この夏休みを迎える気持ちも無くなってしまうのだろうか。
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