口笛ピリピリ、モツ煮込みゾロゾロ

ぺしみん

第1話

 最近僕は口笛に凝っていて、暇があれば口を尖らせてピリピリと音を鳴らしている。歌うよりも音程が合わせやすいので、我ながら上手いなあと思ったりして自己陶酔している。ただ高音がなかなか上手くいかない。音がかすれてしまう。それでインターネットで、高音の吹き方について調べてみた。

 テクニックが詳しく解説されているサイトを見つけて、その通りにやってみるが全然上手くいかない。文章と絵で解説されているけれど、どうも要領を得ない。文章はともかく、絵がものすごい下手糞だ。どのサイトも似たり寄ったり。口笛が上手な人は絵が下手なのだろうか。

 下手な絵を参照しながら口の形とか、舌の位置とかをいろいろ試してみたけれど、空気が抜ける音がするばかり。よだれを撒き散らして何時間か練習して、もうダメだとあきらめた。出来る気がしない。

 初めて口笛が吹けるようになった時と同じで、なにかコツさえ掴めばあっさりと行けそうな気がする。テクニックを解説していたサイトのリンクに、口笛教室のページがあった。隔週一回開催で月謝は二千円。とても安い。

 さてどうしたものか。たかが口笛のために教室に通うのか。中高年の方々が楽しそうに練習している風景が、ホームページの写真で紹介されている。二十歳の男子が混ざってもいいものか。でもやっぱり高音を出したい。ビブラートもビリビリ利かせたい……。

 メールで申し込みをして、返事がこねえなあと思っていたら三日後に返事が来た。メールの返事が遅れた理由もなく、どうぞいらっしゃいとだけ書いてあった。隔週土曜日、午後3時から。浅草の中華料理店の二階が会場だ。なんともディープな感じがする。


 口笛教室第一回目。我が家から浅草まで、自転車で三十分ぐらい。電車を使っても同じぐらい時間がかかる。僕は大学へも自転車で四十分かけて通っているので、このぐらいの距離は苦にならない。バイトはしているけど貧乏なので、電車賃を払うほうがよっぽど苦になる。

 明治通りをひたすら進んで、かっぱ橋通りを過ぎたあたりで細い道に入る。商店街のアーケードを抜けると、隅田川が見えてきた。地図によるとこのあたりだが……。こういう時は地元の人に聞くにかぎる。ちょうど前から歩いてきたおじさんに聞いてみよう。

「そんなもん知らねえよ!」

 いきなり罵声を浴びた。す、すみませんと言って、あわてて逃げる。よくみたらおじさん、目が血走っていたし、酒臭かったような気がする。浅草が下町だからと言って、別に人情にあふれている訳ではないらしい。人選が悪かったのもあるけれど、油断していた。

 人に聞くのが怖くなったので、標識を見ながら、番地を頼りに中華料理店を探す。しかしなかなか見つからない。もう同じところを三周ぐらいしている。もう少しで三時だ。初回から遅刻したくない。しょうがないので道端でおしゃべりしている、おばあさん二人組みに声をかける。

「聞いたことないねえ……」

「中華ならほら、そこの北野さんがおいしいよ」

 おいしさを求めているわけではないのだが……。おばあさんが指差した先には大きなビルが見える。中華料理店なんて見えないですけど。

 行ってみれば分かるよ! とおばあさん二人に大声で言われて、ビルの前まで行ってみる。北野ビルと書いてある。普通のマンションのように見えるが……。おばあさんたちの方に振り返ると、中に入れ! とすごい迫力でジェスチャーしているので、自転車を脇に止めて仕方なく入る。

 入ってみても普通にマンションだ。103号室とかをむなしく眺めながら廊下を進む。廊下の先に中庭のようなものが見えてきた。

 椅子とテーブルが並んでいる。テーブルの上にはメニューがおかれていて、中華料理・天竜と書いてある。僕が探していた店だ。いったいどういうことだ。

 ここは中庭というよりも、ビルとビルの隙間に出来た空間と言ったほうがいい。3×5メートルぐらいの長方形。砂利が敷いてあって、清潔感はある。テーブルは三つ。真ん中のテーブルには紅白のパラソルがさしてあって、奇妙な感じをさらに強調している。

 疲れているので椅子に座る。メニューをなんとなくのぞいてみる。ラーメンが二百五十円。チャーハンが二百円。嘘みたいに安い。

「お店、今はやってないですよ」

 振り返ると、小学校の高学年くらいの男の子が、僕のほうを向いて立っている。こんな変な場所で、いきなり子供に声をかけられて、なんだか夢を見ているみたいだ。

「お店、二時までなんですよ。夜は六時からです」

 ぼーっとしている僕に、続けて情報を下さる男の子。物怖じしない感じが、さらに僕を混乱させる。それじゃあ君は、何しにここに来たのでしょうか。

「えーと、口笛教室って知ってる?」

 我ながら不調法な質問の仕方だ。言ってしまった後で、男の子を怖がらせていないか心配になった。

「それなら今、僕も行くところです。ご案内しましょうか?」

 恐ろしく丁寧な口調で、男の子がピンポイントの答えをくれた。どうしてそんなに、落ち着いているのですか。

 しかし口笛教室に行くのが目的だから、大人しく男の子に案内を頼む。ではついて来て下さいと言って、男の子が何も無いビルの壁に向かって歩き出した。これは本当に夢かな、と一瞬本気で思った。

 男の子が壁に手をかけて、無かったドアを開いた。そういう風に見えたのだ。後ろについてよく見てみたら、あたりまえだが元々ドアがあったのだけれど、壁は真っ白でドアも真っ白。ドアと壁の隙間はほとんど無い。ドアノブも無くて、小さい釘がついている。男の子はそれを引っ張ってドアを開けたのだ。

「忍者屋敷のようだな」

 僕が独り言をいうと、男の子がちょっと振り返ってにこっと笑った。頭良さそうな顔してる。

 白いドアの先には非常階段のようなものが有り、カンカンと音を立てながら男の子と僕は登っていく。踊り場があって男の子が立ち止まった。ここはたぶん二階だろう。

「この非常口が入り口なんですが、一応人の家なので気を付けて下さい」

「はい、分かりました」

 なにを分かっているのか自分でも不明だ。しかし、質問をしないほうがいいような気がする。男の子の雰囲気で、野暮なことは言えない感じがした。

 大人しく従う僕に満足したかのように、男の子がまたにっこりして頷く。生まれつきの気品という物もあるのかもしれない。そう思ってしまうような、素敵な笑顔と仕草。お金持ちの家の子かな。

 今度のドアは、それと分かる非常用の大きな鉄のドアで、男の子は体重を後ろの方にかけて重そうに開いた。開かれたドアのふちを僕が後ろから掴む。ありがとう、と言う感じで男の子が頷く。男の子に続いて、僕も建物の中に入った。

 穏やかなだいだい色の照明の下に、高そうな赤いじゅうたんが敷かれている。廊下が、前のほうにずっと伸びている。土足で歩いていいのか、ちょっとためらわれる感じだけれど、男の子は気にせずスイスイ歩いていく。左側は窓も無く一面壁。右側に広い間隔で白いドアが並んでいる。まるで高級ホテルみたいだ。行ったことないけど。

 廊下の行き止まりにエレベーターホールが見えて、ようやく男の子が立ち止まった。ちらっと僕をみて、小さく頷いてから横にあるドアを開いた。中庭からここまで、ドアが三つ。間違えないで帰れるか少し不安になった。

 廊下が薄暗かったのに比べて、部屋の中は明るくてなんだかほっとする。中くらいの宴会場と言った感じ。正面には小さなステージもある。そのステージの前に十人ぐらい人がいて、何人かに分かれて、どうやら口笛の練習をしている。みんな楽譜のような物を手に持っている。ホームページで見たのと同じ風景だ。にぎやかな口笛の音が響いてくる。口笛教室にようやくたどりついたのだ。

「ちょっと待っていてください」

 男の子がそう言って、ステージのほうに歩いて行った。僕はドアの前に立って、ぼんやりとみんなの練習を後ろから見ている。男の子がステージの前で、白い髭のお年寄りに何か言っている。たぶん先生だろう。その髭の先生が僕の方を見て、小さく会釈をする。僕も頭を下げる。男の子はそのままステージの前に残って、髭の先生が僕の方に歩いてきた。

「どうも! 守山さんですか! えー、メールでご入会の申し込みをされた」

 えらい勢いあるな。

「よろしくお願いします」

「木戸と申します! 一応、この教室の代表ということになっとります」

 かなりご高齢と思われるけれど、気力満点な感じ。

「メールでお申し込みをされたので、お若い方かと思っとりましたが! こんなにお若い方とは思いませんでした! 失礼ですがお幾つですか」

「二十歳になったばかりです。大学生です」

「そうですか! それはすごい」

 別にすごくないです。むしろショボイ。

「確かメールで、高音の技術を学びたいと書かれていましたかね。だったら、うちのアキラ先生に習うといいですよ。専門家ですからね!」

「高音の、専門家ですか?」

「わっはっは。面白いことをおっしゃる。高音の専門家! 面白い!」

 馬鹿受けだ。元気な人だなあ。

「アキラ先生は音大出ですからね。音楽大学! 専攻は声楽だそうですが、口笛も専門的にやられてます。ですから、技術的なことは非常にお詳しいんですよ。ですからね、アキラ先生に、守山さんも習われるといいと思いますが!」

「よろしくおねがいします」

「はいはい。こちらこそどうぞよろしく!」

 すげーテンション高い。一日中こうなのかな。木戸先生。

 アキラ先生は遅れて来るということで、僕は必要書類に記入したあと、大輔君のグループを見学することになった。大輔君というのは、僕をさきほど教室まで導いてくれた男の子の名前だ。鎌倉大輔君。名前からして家柄良さそうだ。

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