第八章 第二話「約束のとき」

 一夜が明け、大会三日目の朝がやってきた。


 全ての日程が終わり、私たちは三瓶セントラルロッジの前の広場に立つ。

 そこでは閉会式と表彰式がとりおこなわれ、松江国引高校へ優勝旗が送られたのだった。


 青空の下で、赤い優勝旗が風に揺らめいている。

 ついに、インターハイの県予選が終わりを告げた――。



「私たちは準優勝かぁ~」


 私はほたかさんが持つ準優勝の盾をしみじみと見る。

 準とは言え『優勝』の文字を手にするのは初めてなので、これは案外悪くない。


「やっぱ、優勝常連校の壁はブ厚かったなー。まったく敵わなかった!」


 美嶺が晴れ晴れとした顔で敗北を宣言していると、優勝旗を担ぎながら松江国引高校のみなさんがやってきた。


「まったく敵わないってこと、なかったですよぉ!

 けっこう接戦で、ヒヤヒヤしてました」


 そう言いながら、つくしさんは一枚の紙を取り出した。


「そういえば成績表がもらえてるの! みんな一緒に見よ!」


 ほたかさんも慌てて紙を取り出す。

 紙には『第60回島根県高等学校総合体育大会 登山大会 団体女子(B隊)成績一覧表』と見出しがあり、うちのチームと松江国引チームの項目別の得点が書かれていた。



体力一日目20点(八重垣13点・松江国引20点)

体力二日目20点(八重垣15点・松江国引19点)

歩行技術 10点(八重垣 8点・松江国引 8点)

装  備  5点(八重垣 5点・松江国引 3点)

設営撤収  5点(八重垣 4点・松江国引 4点)

炊  事  5点(八重垣 5点・松江国引 5点)

天気図   4点(八重垣 4点・松江国引 3点)

自然観察  4点(八重垣 2点・松江国引 4点)

救  急  4点(八重垣 3点・松江国引 4点)

気  象  4点(八重垣 4点・松江国引 3点)

計画書   2点(八重垣 2点・松江国引 2点)

行動記録  2点(八重垣 2点・松江国引 2点)

読  図 10点(八重垣10点・松江国引 8点)

マナー   5点(八重垣 5点・松江国引 2点)


計   100点(八重垣82点・松江国引87点)



「あれ? 思ったより点差が離れてないみたい……」


 松江国引チームはものすごい練習量だと知ってたので、圧倒的な点差があると思っていた。


「やっぱり女子で登山大会に出るチームだから、

 やる気に満ちてるに違いないって思ってて、

 大会前から八重垣高校には注目してたんです!

 実際に多くの項目で私たちよりも点が上回ってるので、

 大会中は本当にヒヤヒヤしてたんですよぉ~」


 つくしさんのいう通り、確かに意外にもたくさんの項目で満点が取れている。


「や、やっぱり初日にわたしがバテちゃったのがダメだったよね……」


 ほたかさんが落ち込むと、つくしさんは首を横に振った。


「梓川さんの遅れは一時的なものでしたし、

 成績表を見る限り、二点ほどの減点にしかなってないと思います。

 私たち松江国引は二日目のトラブルについての減点が多いので、

 もし八重垣高校の体力点が全体的に高ければ、

 リタイアしなくても負けてたと思います……」


「本当ですね……。確かに体力点だけで十一点も差がついてます……!」


 なんだかんだ言っても体育会系の大会だけはあって、体力の配点が重視されてるらしい。



 その時、成績表をのぞき込んでいる美嶺が悶え始めた。


「うぁぁ……アタシの救急の点、負けてる! 満点だと思ってたのに……」


「そんなの問題ないよぉ。私なんて『自然観察』が半分しか取れてないし……」


「気にしないでいいよぉ。

 ゴールできたのはましろちゃんと美嶺ちゃんのおかげなんだもん」


「うん。二人とも……初めての大会なのに、すごい」


 ほたかさんと千景さんがすかさずフォローしてくれる。


「いやいや、美嶺が一番です!

 美嶺がいなかったら、私はバテちゃってましたよぉ……」


 本当にそう思う。

 美嶺がいなかったら私たちはゴールできなかったのかもしれない。


 それにしても、こんなにも接戦だったなんて思わなかった。


「もうちょっとで勝てたかと思うと……、

 なんか私、悔しくなってきました……。

 もっとトレーニング、しようかな……」


「ましろちゃん……なんか変わったね……」


「ああ。運動嫌いのましろが、そんなこと言うなんてな……」


 ほたかさんと美嶺は目を丸くして驚くけど、すぐに笑顔になる。


「体力がついてきたら、わたしたちと一緒に走ろうねっ」


「はははっ。鍛え上げるぞぉ~」


 二人が朗らかに笑いあう。



 千景さんも顔を緩めたが、次の瞬間、私たちの背後を見て表情がこわばった。


「五竜……校長……」


 その一言に全身がしびれるように凍り付く。

 そして、私たちの背後に異様な気配が迫った。


「ずいぶんと賑やかだねぇ」


 恐る恐る振り向くと、背後には鋼のような筋肉を持つ、長身の女性の姿があった……。


「五竜校長? な、なんでここに?」


「梓川君も驚きすぎだよ。……我が校の勇姿を視察に来ちゃ、いけないかい?」


 校長先生ははるか頭上からみんなを見下ろす。

 その表情には黒い笑みが宿っていた。


「結果は聞いた。

 ……可愛い生徒たちを理想の筋肉に育成バルクアップできるとは……

 楽しみだねぇ」


「あぅぅ……。ムキムキマッチョにされちゃう……」


「校長! せめて鍛えるのはわたしだけにしてぇぇ」


「何を言ってるのかな?

 約束は約束。優勝……つまり素晴らしい成果を出せなかったからね。

 さぁ楽しみだ!

 アタシの自宅にジムと宿舎があるから、衣食住の徹底管理で行くよ!」


 校長先生はまぶしい笑顔で高らかに笑う。

 ……もう、私の可憐な女子高生の日々は終わったも同然。

 私は力なく……地面に、崩れ落ちた……。



 その時、遠くから楽しげな声が聞こえてきた。


「あらあら校長先生、もういらっしゃってたんですねぇ~」


 声の主は天城先生。

 先生は役員の一団から飛び出すようにやってくる。


「先ほど県警から連絡がありまして、孫三瓶付近でお怪我なさったご婦人が無事に病院を出られたとのことですぅ。

 山中で本当に適切な処置が行われ、感謝を述べられているとか!」


「マジっすか! ばあちゃん良かったー」


「さらに松江国引高校ですが、本来はリタイアしてたはずだから、本選出場を辞退したいとか」


「ダ、ダメですよっ!

 松江国引のトラブルについては減点も含め、正当に評価されてます!」


 ほたかさんが慌てて食い下がると、天城先生は微笑みながらうなづく。


「その通りですよ。松江国引高校の優勝は正当に判断されたもの。

 くつがえりません」


 そして天城先生は校長先生に向き直り、ニッコリと笑った。


「それにしても我が八重垣高校の選手の、安全登山の精神にのっとった素晴らしい行い……。山岳家として、教育者として、感激しかありませんよぉ」


「天城君……君は……」


「……こ~んな『素晴らしい成果』を示した彼女たちをど~んなにお褒めになるのか、楽しみですわぁ……。

 ね、校長?」


 天城先生はニコニコと笑っているけど、その全身からみなぎる迫力は校長先生を飲み込もうとしているように感じられた。

 事実、校長先生は「むぐぐ」と唸りながら後ずさりしている。


 そして校長先生はおもむろに成績表の紙を見ると、顔を上げて笑い始めた。


「うぅむ。精一杯頑張ってくれたことは得点からもわかる!

 そのうえで『助け合いの精神』までも示してくれたなんて、

 これ以上ない素晴らしさだねぇ!」


「あぅ……。と、いうことは……?」


「他校や登山者を助け、事故に際しても適切な行動を示した。

 ……アタシが無理に鍛えずとも、立派にやっている証さ!

 ……今のまま、精進するがよい!」



「あうぅ~。やったぁーーっ!」


 ……つまり、校長先生の課題はクリアということだ。

 あの時の判断が間違っていないと言われ、本当にうれしい。

 そして助け舟を出してくれた天城先生には感謝しかなかった。


「ふぇぇ……。よかった。

 ましろちゃんと千景ちゃんがムキムキにならなくてよかったよぉ」


 私たちは感極まり、四人で抱きしめ合う。

 そしてほたかさんは目をぬぐいだした。


「ほたか……。うれし涙?」


「あ、あの。アタシにも触れてほしいんすけど……」


「美嶺ちゃんはこのままムキムキになろっか。

 筋肉はなんでも解決してくれるからっ!」


 ほたかさんの言葉に、この場に笑いがあふれた。

 校長先生のマッチョ信仰が完全に根付いてしまってる……。

 ほたかさんの素敵な体をムキムキにしないためにも、私のツッコミの日々が始まりそうだ。



「梓川さん。そして伊吹さん、剱さん、空木さん……」


 天城先生は改まったように私たちを見つめる。


「みなさんは我が校の自慢の選手よぉ~。胸を張っていきましょっ!」


 その優しい声が、私たちの心にしみ渡る。

 私たちは「はいっ」と大きな声で応えるのだった。




 第八章「約束のとき」 完

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