第七章 第六話「山に咲く百合の花」

 逃げる剱さん……いや、リリィさんを後ろから抱きしめた。

 彼女が雨で転びそうになっても、絶対に転ばせたりなんてしないのだ。


「リリィさん! 会いたかった。……会えてうれしいよぉ!」


「き、気のせいだ。このイラストだって……別に」


「じゃあ、リリィさんからもらったって言うの?

 リリィさんだけに渡したつもりなのに?

 へー。リリィさんって、勝手に誰かに横流ししちゃう人だったんだ~」


 そろそろ観念してほしくって、いじわるく言う。

 すると剱さんはすぐさま反応した。


ちげぇよ! 勝手に誰かに渡すわけないだろ?」


「ふぅぅん。じゃあやっぱり、剱さんがリリィさんだねっ! えっへへ~」


「ううううう~……。そ、そうだよ。わりぃかよ?

 こんなガサツな女がリリィでさ!」



 ようやく認めてくれた。

 剱さんの顔は真っ赤になってて、いつもとのギャップが本当に可愛い。

 あんまりにも可愛くて、たまらず、さらにぎゅーっと抱きしめる。


「会いたかった! ずっとず~っと感謝してたの!

 ちなみに私がスノウって気付いたのは、やっぱり弥山の帰りのバスで?」


「ち……違うんだ。もっと……前から」


「え? どういうこと?」


 本当によく分からなくって、剱さんを見つめる。

 すると、彼女は目を伏せながら語り始めた。


「中学の時、空木が漫画を描いてることがクラスの奴にバレたことがあっただろ?

 噂を広めようとしてるのを見かねて軽く脅しといたんだけど、

 その時に空木のペンネームを耳にしちゃったんだよ……」


「えっ、あれって剱さんが関わってたの?

 確かに噂が広まらないから不思議だったけど……」


 それは私のオタク活動がバレた事件。

 事件そのものがショックだったけど、思い返せばクラスの人にからかわれたのはその時だけで、すぐに誰も触れなくなっていたことを思い出した。

 剱さんが同級生を脅してたって噂は、実は私を守るためだったらしい。


「同じ隠れオタクとして、同志のピンチは見捨てておけなかったんだ。

 ……いや、恩を着せようってことじゃないんだ。

 絵があんまりに素晴らしくって、

 結局アタシも勝手に調べちゃったわけだしさ……。

 ほんと、ゴメン。

 それ以来、ファンになっちゃって……今に至るんだ」


 なんていうことだろう。

 私はリリィさんに支えられてただけじゃなく、現実でも剱さんに守られていたのだ。

 ……私は感動のあまり、手が震えてくる。


「……もしかして、八重垣高校を受けたのも、補習クラスに来たのも、偶然じゃない……?」


「補習クラスになったのはフツーにバカだったからだよ!

 ……まあ、八重校を受けたのは、空木と友達になりたかったから……

 なんだけど……」


 剱さんはそれだけを言うと、頬を赤く染めて黙り込んでしまった。


「私と友達に……? そんなことで高校を決めてよかったの?」


「う、うるせえな……。アタシの勝手だろ?」


「そこまでするなら、最初からリリィさんだって教えてくれてもいいのに!」


「ガラじゃねえって!

 あんな口調でしゃべってるのがアタシなんて、知られたくないだろ?」


「……じゃあ、なんでそんなTシャツを……着てるの?

 ……リリィさんだってバレたくないなら、そもそも着てこなければいいのに!」


 そんな当然の疑問をぶつけると、剱さんはちらちらと私に視線を送ってくる。


「……わかってるよ。勝手に印刷して悪かった。

 ……でも、お守りがわりだったんだ」


「あぅぅ? お守り?」


「アタシはチームワークとか苦手なんだよ。

 ……そんなアタシがうまくやれるように、お守り」


 そうだったんだ。

 確かに四人が仲良しって内容の絵だけど、お守りだなんて……嬉しすぎる。


「こ、こら。Tシャツのすそを引っ張んな! お気に入りが伸びるだろっ」


「へへ。私の絵なんだし、よく見せてよ~。

 山用のTシャツに、よくプリントできたね~」


「これは……伊吹さんの店で、

 オリジナルの山Tシャツを作れるってポスターを見たから……」


 剱さんは恥ずかしそうに目をそらしながら、ユニフォームをまくり上げる。


「空木の……スノウさんの作品、大好きなんだよ。

 それに、メッセージでやり取りしてて、

 共感できることが多くって、楽しかった。

 ……ずっと友達になりたくて、仕方なかったんだよ」


 剱さんはうつむきながら、おずおずと上目遣いで私に視線を送ってきた。



「ア……アタシと、友達になって……く、くれ……くれるかな?」



 その瞬間、あたりに一陣の風が吹き抜けた。


 雨雲を払いのけ、天空から光が差し込む。

 あちらこちらに落ちる木漏れ日が、私たちを祝福してくれてるようだった。


 もう雨は降っていない。

 私の心は晴れやかに澄み渡っていた。


「うん……。もちろんだよっ!」


 私は大きくうなづきながら、高鳴る胸の鼓動を心地よく受け止める。



 そう言えばこの胸のときめきは、剱さんに下の名前を呼ばれた時にも感じたものだ。

 学校キャンプの朝、寝言で「ましろ」と呼ばれた時のこそばゆさは何物にも代えがたい。

 だから、次の言葉はとっても自然に口から飛び出していた。


「友達なんだから、下の名前で……呼んで欲しいな」


「し、下の名前っ?」


 私がそう言った瞬間、剱さんは顔が真っ赤になってしまった。


「そう! ……だって、剱さんと私って、実はこの一か月の付き合いじゃなかったんでしょ? だったら苗字で呼び合うだけなんてよそよそしいよぉ~」


「ぐ……、マジか。リアルバレした上に、そこまで求めるのか……。

 ……いや、でも、まあ」


 剱さんは顔から汗を噴き出しながら、乱れた呼吸を必死に抑えて、私に向き直る。


「じゃあ、お言葉に甘えて。……ましろ。……よろしくな」


 真剣なまなざしが胸に突き刺さり、私の顔からも汗が噴き出てしまった。


「えへ……えへえへ……。なんかムズムズする~」


「お、ま、え……。からかってんのか?」


「そんなこと、ないよ! ……じゃあ、私も。……美嶺!」


 私が勢いをつけて言うと、剱さん……いや、美嶺も、胸を撃ち抜かれたようにひるんだ。


「うぐ……。これ、結構、胸に来るな」


「でしょ? ムズっと来るでしょ?」


「ま、まあ。慣れれば大丈夫だ。……うん。大丈夫」


「美嶺!」


「うぐっ。やめろ……」


 なんか、楽しくなってくる。

 私たちは言葉を撃ち合うように呼び合い、笑いあうのだった。



「あ、あのぉ。……そろそろいいかしらぁ?」


 その時突然、どこからか声がした。

 驚いてあたりを見回すと、木陰から天城先生が顔をのぞかせている。


「天城先生! い、いつからそこにいたの?」


「ご、ごめんなさいね。

 ……剱さんが逃げてて、空木さんが抱きしめてたあたりから……」


「ぐぇぇ……。それって、ほとんど全部じゃないっすかぁ~」


 確かに長く話し込んでしまったし、いつの間にか大会中だと忘れてた。

 邪魔が入らないのは奇跡と言えたけど、天城先生が気を利かせて隠れてたなんて、思い出すだけでも恥ずかしい。


「せ、先生……。すっごくドキドキしちゃったわぁ」


「こ、これは、内密にお願いっす」


「もちろん、そうね。……や、約束するわぁ。

 この興奮は、じっくりと一人で楽しむの……」


「楽しまないで! 忘れてぇ~」


 そんな私の声が山の中にこだまし続けたのだった。

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