第七章「雨空の下の巡り合い」

第七章 第一話「暗雲の下の出発」

 午前四時。

 ほたか先輩の腕時計からピピピッという電子音が聞こえ、みんながモゾモゾと起きだした。

 みんなは眠そうな面持ちのまま、ゴソゴソと寝袋を片付け、朝ごはんの支度をはじめる。


 目がさえてしまった私は率先してご飯の準備を進めるけど、なんだか気まずくて言葉が出せない。

 なんとなく寝ぼけたふりをしながらやり過ごすしかなかった。


 Tシャツの秘密を私が気が付いてしまったこと。

 ……それが、どうしても言い出せない。

 勝手に見てしまった気まずさはもちろんあるし、どうしても剱さんとリリィさんが同一人物だと信じられないのだ。



 朝ご飯は私の好きなミネストローネだったけど、考え事のせいで、味は何も感じなかった。



 △ ▲ △



 そして午前六時。

 選手たちは全員、テントを片付けて広場に集合していた。

 あたりは明るくなってきたけど、昨日とは打って変わって重い雲に覆われ、まだまだ薄暗い。

 そんな不穏な空模様の下、次々と登山チームが出発していく。


 今日はチーム単位での行動になるので、数分おきに各校が出発していく。

 女子隊の出発までには時間があるので、私たちはひと固まりになって出発を待った。


「梓川さん、よく寝れたみたいっすね! 顔色がいいっすよ」


「えへへ。ましろちゃんのマッサージが良かったんだよぉ~。

 美嶺ちゃんも千景ちゃんも顔色がいいね!

 ……ましろちゃんはちょっと眠そう……かな?」


「確かに。ましろさん……表情が、暗い」


 三人の視線が急に私に集まるので、びっくりして視線をそらしてしまった。


 確かに午前三時から起きてるけど、不思議と眠さはない。

 ……私の表情が暗く見えるのなら、これは朝の衝撃を引きずってるせいだと思う。

 でも、そんな理由を明かせるわけもなく、私は話をそらそうと周りをみた。


「さすがに朝が早すぎなんですよぉ~。

 眠いはずの時間なのに、みんな元気ですねぇぇ」


「今日は八時間以上歩くからだねっ。だから、始まるのも早いんだよ~」


「今から八時間後って言うと、まだ午後二時かぁ。

 ……もっと遅くの出発でもいい気がするんですけど、

 なんでこんなに朝早いんでしょう?」


 夕方まで行動するように変えればスケジュールは三時間ぐらい遅くできるし、朝も七時に起きれるってことので、そこはなんとなく不思議だった。

 その疑問に応えるように、千景さんとほたかさんが教えてくれる。


「山の天気は……午後、崩れる」


「うん。午後に気温が上がっていくと上昇気流が発生するんだけど、その気流に乗って湿った空気が山の上に登っていっちゃうの。

 山の上は気温が低いから、湿り気は雲に変化するでしょ?

 雲が増えると天気が崩れやすくなっちゃうから、登山はなるべく午前中がいいんだよ~」


 なるほど……。

 山の天気は崩れやすいって聞いたことがあるけど、そういう原理だったんだ。

 確かに街が晴れのときも、山のてっぺんに雲が引っかかっている様子は見たことがある。


 剱さんも感心してうなづきながら、それでも怪訝けげんな顔で頭上を見上げる。


「……でも、さすがに今日は雲が多すぎっすね~」


「うん……。これはさすがに、早いうちから雨が降っちゃうかも……だね」


 やっぱりこの雲は雨雲なんだ……。

 まるで私の心のモヤモヤを映したような空模様……。

 雨カッパはちゃんと持ってるし、雨だからといって大会が中止になる気配もない。

 なんとか天気が崩れなければいいなと、私は空を見上げて祈った。



 すると、明るく穏やかな声が聞こえてくる。


「八重垣高校の皆さ~ん! おはようございます~」


 振り返ると、それは松江国引高校のメンバーだった。

 先頭のつくしさんが会釈してくれる。

 空の暗さに反して彼女たちの表情は明るく、コンディションもよさそうだ。

 大会直前に見た練習風景を思い出す限り、体力もあってたくさんの練習もこなしている。

 雨対策も万全だろうし、天気が崩れれば差がつくのは必至に思えた。


「お……おはようございます……。今日も、よろしくお願いします……」


「雨が降りそうだから、お互いに気を付けて行きましょうね!」


 私が緊張してるのが分かったのだろう。

 つくしさんは温かい言葉をかけてくれる。

 威圧する感じが全くないところなど、優勝常連校のさすがの余裕かもしれない。


「では、私たちの隊はお先に出発しますね~。みなさんもお気をつけて~!」


 そう言ってつくしさんは歩き出しながら手を振ってくれた。



 他のチームがすべて出発した後、最後に残ったのは私たち八重垣高校だ。

 私たちはスタート位置につく。


 この四人だけで歩く『チーム行動』はお昼の大休止で終わり、そこからは昨日と同じように全員が一列になってぞろぞろと歩く『隊行動』に戻るらしい。

 この『チーム行動』の区間こそ、体力の差が最も大きく出るということだった。

 緊張のあまりに小さくため息をつくと、千景さんは優しい表情で振り向いた。


「ましろさんの体力、分かる。ペースは……ボクに、任せて」


 さらに背後からほたかさんが顔を見せた。


「そうだよぉ~。チェックポイントごとに決められているコースタイムをオーバーしなければ減点はないから、無理せず行こうねっ」


 二人とも、なんて優しいんだろう……。

 こんなに気を使われて、それなのに足手まといになるなんて死んでもごめんだ。

 私は必死に頑張ろうと気合を入れる。


 その時、背後から肩をつかまれた。

 振り返ると剱さんが笑っている。


「空木は肩の力を抜いて大丈夫だ。

 空木と伊吹さんの体力も踏まえて、アタシが多めに荷物を持ってるんだ。

 大船に乗った気持ちになって任せろ!」


 剱さんは本当に頼もしい……。

 確かに今日は、事前に重さの配分を整えてある。

 特に剱さんは歩く以外に頭を使うこともなさそうだからと、多めに負担してくれていた。


 剱さんのいつもと変わらないサバサバした態度に、リリィさんとのギャップを感じる。

 やっぱり、何かの間違いかもしれない。

 例えば剱さんの身内や友達がリリィさんとか。


 あ、でも……、それだとリリィさんが勝手に剱さんにデータを横流ししたことになってしまう。

 それだけは信じたくないので、なんか悶々としてしまった。



「みんな。……あと一分で、出発」


 千景さんの言葉で我に返る。


「空木。今日はトイレ、大丈夫か?」


「あぅぅ? だ、だだ大丈夫! ちゃんと行ったよ~」


「なに、変な声だしてんだ?」


「ましろちゃんも、緊張してるんだね~。じゃあみんなっ。楽しんでいこっか~」



 ほたかさんが掛け声をかけた瞬間、頬に冷たい何かが当たった。

 指で触れてみると、濡れている。


「……雨、っすね」


 スタート間際の思わぬ足止め。

 雨カッパを取り出しながら、一抹の不安を覚えるのだった。

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