第七章 第二話「雨音とともに賑やかに」

 雨音に包まれながら、四人だけの足音が林の中に響いている。


 スタート地点でいきなり雨が降り始めてしまったので、その場で雨具を装着し、少し遅れてからの出発になった。

 みんなそれぞれお気に入りの色の雨カッパを身に着けていて、山の中でここだけが賑やかに彩られている。

 ザックも雨避けの専用のカバーに包まれているので、濡れる心配はない。


 二日目のコースは三瓶山のいくつもある山頂すべてを歩く予定だ。

 昨日は山の北側から入山したけど、今日は西側までいったん回り込み、『西の原』と呼ばれる平地から登頂を開始する。

 スタートしてからしばらくは起伏のない林道が続いていたけど、山頂に向かう分岐を曲がった後からは、細くて草の茂った山道が顔を出した。

 苔むした岩や木をよけながら、小石交じりの登山道を行く。


「雨って、やっぱり気分が落ちますねぇ~」


 私が誰へともなくつぶやくと、後ろからほたかさんが同意の声を上げる。


「そうだねぇ~。雨の登山が好きな人っていうのも、あんまりいないかもっ」


「ほたかさんも、やっぱり雨は苦手なんですか?」


 歩きながら振り返ると、ほたかさんは微笑みながらうなづいた。



「えへへ。やっぱり景色が楽しみづらいもんねぇ~」


 その表情は言葉ほどには不満そうではなく、やっぱり山が好きという空気を感じさせる。

 ほたかさんの笑顔を見ると、憂鬱な気分も少し和らぐ気がする。


「そういや、部から借りてるカッパ……結構いいっすね。

 生地もゴアテックスで着心地いいし」


「ゴア……テックス? ってなんだっけ?」


 剱さんが聞きなれない単語にする。私が首をかしげると、前を歩く千景さんが振り向いた。


「このカッパに使われてる……防水素材。

 外からの水は通さず、中の湿気は……外に逃がす」


「えっ……。これって、そんなハイテクなものだったんですか?

 ……確かに雨なのにすごくサラサラして、着心地がいいです……」


「ましろさんの靴も……ゴアテックス」


「そ……そうだったんだ……。知らずに買ってた……」


 まじまじと自分の登山靴を見つめる。

 クッション性も抜群で、履き心地がいい。

 そのうえ雨にも強いとは、知らずに最高の道具を手にしていたのか……。


 ところで出発してからもう二時間ぐらい歩いてるけど、前のチームの影がまったくみえない。

 単純に相手のペースが速いのかもしれないし、森の中にまぎれて見えないだけかもしれない。

 私たちの歩くスピードは予定通りだし、雨の中で慌てると危ないので、ペースを崩さず進むことに決まった。



 △ ▲ △



 そして時刻は午前八時四十分。

 私たちはついに三瓶山を形成する山頂の一つ目、『三瓶さんべ』の山頂に到着した。

 雨に打たれながらは残念だけど、体力の回復のために山頂で休憩をとることにする。


 子三瓶からは三瓶山のいくつもの山頂が一望できた。

 これから向かう『まご三瓶さんべ』はドーナツ状に連なった山々を反時計回りに進んだ先に見える。

 三瓶山の中央にある噴火口を見ると、巨大なクレーターのように陥没していて、中心には池があった。



 そうそう、自然観察の勉強をしたときに知ったけど、三瓶山は火山らしい。

 四千年前の噴火のときに真ん中が吹き飛んで、今の形になったようだ。


 池を囲むようにそそり立つ山は噴火で吹き飛ばずに残った部分らしく、高いほうから三瓶さんべ三瓶さんべ、子三瓶、孫三瓶……まるで家族構成のような名前がついていた。


 この雄大な景色を見ていると、なんだか自分自身がちっぽけに思えてくる。

 私の悩みと言えばオタク友達が欲しいなとか、剱さんってリリィさんなのかな……みたいな、そんなことばかりだ。

 自然がこんなにも大きいので、私は飲み込まれそうな気分になった。



「あらあら。また若い子に会ったわ~。何かのイベントなのかしら?」


 ふいに声がして振り向くと、孫三瓶の方向から見知らぬおばさまが二人、登ってきた。

 どうやら一般の登山者のようだ。

 きっと松江国引チームともすれ違ったに違いない。


「こんにちはっ。今、登山大会をやってるんです~」


 ほたかさんは部長らしく、ハキハキと挨拶をしてくれる。


「登山に大会! そんなものがあるのね~。雨だから、気を付けるのよ~」


「お二人も雨の中、大変ですねっ」


「そうなのよねぇ、あいにくで~。

 ……でも、せっかく登るつもりで来たし、お昼には晴れるって予報だし、思い切って登り始めてみたのよぉ~」


 そう言っておばさまは笑顔になる。


 そうか、この雨はいつまでも続くわけじゃないんだ。

 晴れると聞いて、少し元気が出てきた。

 私だって、いつまでも悶々としてるわけにはいかないかもしれない。


 そんな私の気持ちなんて知る由もなく、剱さんは和気あいあいとおばさまたちと話している。


「それにしても、こんな天気でも登るなんてスゴいっすね~。

 アタシらは大会だから雨もかまわずっすけど、なかなかこんな雨を登るのは珍しいんじゃないっすか?」


「そうねえ。……多くはないけど、おばさんたちみたいな猛者もさは他にもいたわよ~」


「そういや、他にもアタシたちみたいな女子のチームを見なかったっすか?

 ライバルなんす」


「ライバル! 青春ねぇ~。

 女の子のチームなら、ほんの十分ぐらい前にすれ違ったわよ~」


「マジすか。うぉぉ……走れば追いつける距離だな!」


 その言葉を聞いて、剱さんは鼻息を荒くし始める。

 競争大好きな彼女のことだから、すぐに止めないと強引に走りかねない。


「剱さん、落ち着いて! 雨の山で走っちゃダメ~」


「ちょっとだけだって。ちょ~っと早歩きで走るだけ!」


「走っるんじゃん!」


 すでに剱さんの勝負魂に火がついてしまってるようで、慌てて制止する。

 すると、おばさまたちは微笑ましいというように笑い始めた。


「ふふふ、元気ねぇ。お山のお友達はいいものよぉ~。

 飾らないでいられる分だけ、何よりも代えがたい宝物。

 おばさんたちも学生時代からの友達なの~」


 そしておばさまたちは「気をつけるのよ~」と手を振りながら去っていった。



 私と剱さんが友達……。

 客観的にはそう見えるのだろうか?

 実際のところ、自分自身ではよくわからない。

 むしろ剱さんについては疑惑の真っただ中なので、「友達だ」と素直に飲み込めなかった。


 腑に落ちないまま剱さんを見ると、彼女は眉をひそめる。


「な、なんだよ。……アタシの顔になんかついてんのかよ?」


「別に……。……おばさまたちも気をつけろって言うから、走っちゃダメだよ」


「わ、わかったよ……」


 こんな陰気さをいつまでも振りまくのは、剱さんに悪いと思う。

 ……でも、簡単に気分が切り替わらないのも事実。

 休憩時間が終わってザックを背負い、私は沈黙したまま歩き出した。



 △ ▲ △



 私たちは次の山頂である孫三瓶に向かう。

 その道中は視界を邪魔するものもなく、確かにすぐ近くに松江国引チームの後ろ姿が見えた。

 しかし孫三瓶の頂上に着くと、頂上付近はちょっとした林のようになっている。

 ライバルの姿はどこにも見当たらなくなっていた。


「ぬぅぅ。近くにいるはずなのに、すぐ見えなくなるな……」


「剱さん、あわてず行こうよ……。案外、そこの林の中に入ったばかりかも……」


 そう言って林を指さしたとき、木々の間に違和感を覚えた。


 葉っぱの間に誰かがいる。

 目を凝らしてみると、それは天城先生だった。


「あ……あま」


 天城先生だ、と言おうとした時、先生が慌てて唇に指をあて、「しーっ」というしぐさをした。

 誰も先生に気が付いてないようだ。

 偶然も手伝ってくれたけど、自分の観察眼が怖い。


「ましろちゃん、どうしたの? ……『あま』?」


「あ……あま……。雨音がまだまだやみませんねっ」


 ちょっと苦しい言い方だけど、仕方ない。

 先生も頑張って隠れてるし、みんなも特に審査に引っかかる行動はしていないので、わざわざバラす必要はないかもしれない。


「うん。林の中に入れば……少しは濡れにくく、なるはず」


 千景さんはうなづき、歩き出した。私も急いでそのあとに続く。


「空木~。自分こそ、あわてるなよぉ~」


「あぅぅ……。剱さんに言われると、なんか悔しいぃぃ」


 天城先生の近くを通り過ぎるとき、視線だけを向けると先生はウインクして応えてくれる。


 剱さんにツッコまれても秘密にしたし、先生にはあとでジュースをおねだりしちゃおう!

 私は気を取り直して、林の中に踏み込んだ。



 ……このまま何事もなく大会が進むと、この時は思っていた。

 まさかあんなトラブルが起こるなんて、誰にも知る由がなかったのだ――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る