第六章 第三話「すごく、カチカチですね」

「ほたかさん、どうしたんですか? 表情が暗いような……」


 心配になって声をかけると、ほたかさんはハッとしたようにこちらを向いた。


「ご、ごめんねっ」


 だけど表情は苦笑いを浮かべたままで、肩を落とす。


「明日は四人だけで行動するんだなぁって思うと……ちゃんと判断できるか不安で……」


 そう言いながら、深いため息を漏らしている。このままだと、今日も寝不足になりかねない。


「ほたかさん。抱え込もうとしちゃ、ダメですよぉ~」


「でも、わたしはリーダーだし……」


「みんなで背負いあおうって、言ったじゃないですかぁ~。

 この四人なら、大丈夫です!」


「そうだね。そうだよねぇ……」


 ほたかさんは口ではそう言っているけど、表情は暗いままだ。

 部長の、そして登山中のリーダーの責任はそれほど重いのだろう。

 剱さんもほたかさんを心配してか、「しっかり寝るんすよ」とクギを刺す。


「寝不足はきついっすからね。

 ……そういや、寝る時間と起きる時間って何時でしたっけ?」


「寝るのは九時。起きるのは朝、四時」


「四時っ? そ、そんなに早いんですか?」


 午前四時の起床なんて、未知の領域だ。

 確かに午後九時ぐらいには寝ないと、明日に響いてしまう。


「せめて風呂に入れればいいんすけどねぇ。

 風呂は緊張感も抜けるし、眠りやすいんすけど」


 剱さんがしみじみとつぶやく。



 お風呂。

 その言葉を聞いたとたん、私の頭の中には湯気いっぱいの大浴場の景色が広がった。

 大浴場といえば温泉。

 この四人で温泉に行くっていうのは、それはそれは素敵なことだと思う。


「確かに、たっぷりのお湯につかりたいですねぇ~。温泉とか~」


 私もため息交じりにつぶやくと、千景さんが思い出したように言った。


「近くに、温泉……ある」


「温泉っ? あるんですかっ! 行きたいなぁ~」


「大会が終わったら、天城先生に『行きたい』って頼んでみよっか」


 ほたかさんの提案に、私の頭の中はあっという間に湯煙パラダイスに包まれた。


「露天風呂……。

 屋外で、湯気の向こうでバスタオル一枚のみんな……。

 はぁ……はぁ……」


「……ま、ましろちゃん。その手は……なんなのかなっ?」


 ほたかさんがうろたえるように、私を見ている。

 私は両手をにぎにぎと動かし、みんなの体をなめ回すように視線を動かした。


「ふへへ……。みんなの体を揉みしだきたいっ」


「ましろちゃん!

 いくら温泉の話題が出たからって、今から興奮しちゃ、ダメだよぉ」


「いいえ。この手は止まりませんよぉ~。

 みんなの柔らかなお肌に触りたがってるんです~」


 もう辛抱たまらないっ。

 口からは熱い吐息が勝手に漏れ出していく。


「お、おい。落ち着け!」


「じゃあ、剱さんからやっちゃおうかな~」


 私は剱さんに飛びつく。そして、指先に渾身こんしんの力を込めた。


「や……やめ、あっ……ああぁ……っ」


 陽が落ちて藍色に染まった空に、剱さんの声が響く。

 私の指は止まらない。

 ほたかさんも千景さんも、もはや止めることをあきらめたようだった。


「ましろちゃん……。まさかやろうとしてたことが……」

「マッサージ、だったとは……」


 剱さんの肩を揉む手を休めないまま、私は二人に笑顔を送る。


「全員、テントの中で横になってくださ~い。徹底的にマッサージしちゃいますよ~!」



 △ ▲ △



 さあ。

 今日の疲れを癒してもらうため、みんなの体を入念にマッサージだ!


 夜になって冷えてきているので、テントの中で寝袋を敷き、ゆったりと寝そべってもらう。

 ランタンのオレンジ色の光が周囲を包み込み、気持ちも温かくなってきた。


「梓川さん、お先にどぞ。寝不足で辛いはずっすから」


「うん。まずは、ほたかから」


 剱さんと千景さんに勧められるまま、ほたかさんは寝袋の上にうつぶせになる。


「じゃあ……ましろちゃん。お願いします……」


「ほたかさんは寝不足だから、たぶん首筋から肩、肩甲骨あたりがこってると思うんですよ~」


 そう言いながら、私は首の付け根に親指を押し付けた。


「んっ……んっ……」


「あ~やっぱりカチカチですね。

 私もよく寝不足になるから、分かるんですよ。力を抜いて~」


 ほたかさんの背中は寝不足に加えて、ザックの重みに耐えてたせいだろう。筋肉がとても固い。

 これを解きほぐさないと、眠りも浅いままになってしまう。

 こわばった肩を手の体温で温めながら、疲労物質を押し流すように揉みほぐしていった。


「う……ん……んふぅ……」


 だんだんと、ほたかさんの声が色っぽさを増してくる。

 いい感じ。

 これはいい感じだ。


 このままリラックスして欲しいので、私はさざ波のようなイメージで指を動かしていく。

 すると、ほたかさんからはいつの間にか寝息が聞こえ始めた。


「あれ。梓川さん、寝ちゃったぞ」


「そうだね……。よっぽど疲れてたのかな……」


 ほたかさんはうつぶせになりながら、本当に安らかな顔で目を閉じている。

 マッサージをして、本当によかった。



 ほたかさんの次は剱さんだ。

 剱さんはとにかく重い荷物を背負って下山したので、太ももに疲労がたまってるに違いない。

 寝袋の上にうつぶせに寝てもらい、私は剱さんの足の間に座る。


 目の前には長くきれいな両脚と、小ぶりで引き締まったお尻。

 それを見ただけでたまらなくなり、「えいっ」お尻と太ももの境目を両手でつかんだ。

 剱さんは「はぅ……」と、らしからぬ声を上げる。


「う、空木! 変なところに触んな~」


「ちゃんとしたマッサージだよ~。

 剱さん、太ももがパンパンになってるよ~」


 適当に言いながら剱さんの脚の上で指を滑らせていくと、本当に脚の筋肉が張り詰めていた。


「これは頑張る必要がありそう。

 ……特に太ももの前側がカッチカチだから、仰向けのほうがいいかも。

 ……ほたかさんが寝てるから、おっきな声を出しちゃダメだよ!」


「出さねえよ! ……仰向けになればいいんだな。さあ、どんとこい!」



 ほう。

 なかなか強気だ。

 これはやりがいがあるというもの。


「そうはいくかな~? うりゃっ」


 私が太ももに指をめり込ませると、剱さんはたまらず「んあっ!」と大きな声を上げる。

 やっぱり私の指には我慢ができないようだ。

 私はだんだん興奮してきて、太もも、ふくらはぎを攻めたてる。


「ほらほらほらっ」

「あんっあんっあああーっ」


「美嶺さんもましろさんも、静かに」


 調子に乗りすぎた……。

 千景さんは「しーっ」と口に指をあてている。


「スミマセン……」

「あぅぅ。ごめんなさい……」


「……しかし、空木のマッサージってすごく気持ちいいな」


「そ、そう? 自分が疲れてる時を思い出して揉んでるだけなんだけど……」


 千景さんに注意されたので、今度はふざけずにマッサージする。

 リズミカルに指圧すると、剱さんは目をつむり、気持ちよさそうに声を上げ始めた。


「んっ……んっ……んっ……」


 剱さんの声が可愛くてしかたない。


「ん……んふ……あっ……」


 声が……すごく色っぽい。

 頬の赤さがさっきよりも強くなってきた気がする。



 腰もついでに揉もうかな。

 そう思って触れた時、上着がめくれあがって中のTシャツが少し見えた。


「あれ? なんか派手な柄……」

「えっ? ……ああぁ! なな、なにめくってんだ!」


 剱さんの声が裏返っていて動揺している。

 さすがにまずい気がして手を離した。


「ご、ごめん。指が触れちゃって……」


 すると、急に剱さんが無言で立ち上がる。


「ど、どうしたの?」


 彼女の視線は宙を泳ぎ、眉間にしわを寄せながら頬が赤く染まっている。

 なにか、怒っているのだろうか。

 不可抗力とは言え、逆鱗に触れてしまったのかもしれない。


 すると、剱さんは私を見ないまま、急にテントの入り口を開いた。


「よ……夜風に……あたってくる」


 そう言い残し、瞬く間に夜の暗がりに姿を消してしまった。



「美嶺さん、どうしたの……かな?」


「……分からないですけど、なんか、悪いことをしちゃったみたいです……」


 私と千景さんは、ただ呆気にとられるしかなかった。

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