第五章 第五話「バックパックガールズ」
「ほたか先輩は『お姉さん』を辞めるんです。
私も……『先輩』って呼ぶの、やめます!」
「ましろちゃん……」
「これからは……『ほたかさん』ですっ!」
ほたかさんにとっての『お姉さん』という言葉がみんなを守るための言葉であるように、『先輩』という言葉も先輩と後輩という立場を明確に分ける象徴だ。
入学直後からほたかさんのお姉さんオーラに触れて、私も無意識に『先輩』呼びをしてたわけだけど、いつまでも『後輩』というゆりかごの中で守られているわけにはいかない。
もっと頼れる存在になって、ほたかさんを助けていきたい。
「なんでも抱え込まないでください。考えすぎてたら、楽しくないですよ。山が好きなはずなのに、山の中で笑顔じゃないのは、ほたかさんらしくないですよ!」
「でも、お姉さんは部長だから。しっかりしなきゃ……」
かたくなに『お姉さん』と言うので、私はこれ見よがしに力こぶを作ってみた。
「次に『お姉さん』って言ったら、ムキムキマッチョを目指しちゃいますよ!」
「ええ……。それはやだよぉ~。ましろちゃんはフワフワがいい~」
やっといつもの感じに戻ってきた。
このぐらい緩い雰囲気のほうが、ほたかさんらしい。
「空木の言うとおりっすね。
……だいたい、部長っていうのは指示する人間のはずっすよ。
なんでも仕事を引き受けることは、部長がやることじゃないっす」
剱さんはいいことを言う。
裏表なく、まっすぐに真理をついてくるのはすごくいい。
「でも、わたし……。指示は不得意だし……。
指示して失敗したら不安だし……」
「失敗してもいいじゃないですか。
私たちにもちゃんと責任を背負わせてください。
ほたかさんと一緒に……背負いたいんですっ!」
「ましろちゃん……!」
そして、千景さんも大きくうなづいた。
「ボクたちを……信じて。
一緒に想いを背負いあう……『バックパックガールズ同盟』だから」
「バックパック……ガールズ?」
「うん。ましろさんの考えた……名前。
辛いときには、お互いで支え合う……同盟」
「えへへ……。
登山ってみんなで荷物を分担するし、絆っぽくて素敵だなって思いまして……」
私が照れながら笑うと、急にほたかさんが抱きしめてきた。
ぎゅうっと胸に包み込まれ、温かさと柔らかさに心臓が高鳴ってしまう。
突然のことにビックリしていると、声を押し殺すようなほたかさんの泣き声が聞こえてきた。
「あぅ……。そんな……泣かないでください……」
「違うの。……嬉しいの。
一緒に背負うなんて、そんな嬉しいこと言われたの、初めてなの」
顔を上げると、そこにはほたかさんの紅潮した頬と、濡れた瞳。
その口元は嬉しそうにほころび、美しい眼差しは私の胸を貫く。
こんな体力のない山の初心者でも、ほたかさんを元気づけられて本当によかった。
私は『一緒に背負う』という言葉の重みをかみしめる。
荷物はなにも物だけじゃない。
ほたかさんも部長という重い責任を背負っていたのだ。
部活に復帰した千景さんと同盟を組んだあの日……。
疲れそうになったら、お互いに気をかけ合おうと約束したあの日……。
あの時は体力のない私と千景さんだけの同盟だと思ってたけど、そんなことはなかった。
『バックパックガールズ同盟』の本当の始まりは、今この時からかもしれない。
私はどこまでも晴れ渡る空の下、女三瓶からの展望を眺め見た。
△ ▲ △
女三瓶の山頂で昼食をとり、ほたかさんはようやく顔色が戻ってきた。
山行記録をつけていると休む暇がなくなるので、私たち三人で分担し合って書き進める。
ふと気が付くと、ほたかさんは地図とにらめっこをしていた。
「
「うん。一つは見逃しちゃったけど、さっきのチェックポイントは記録しとこうと思って……」
山道の脇に吊るしてあった目印。
『読図』と呼ばれる審査は、あの目印が地図上のどの場所に置かれていたのかを正確に示す課題ということだ。
「誤差は一ミリまでしか正解と認められないの。
でも大抵は特徴的な地形に置かれてるし、地形を読むのは得意なんだっ」
ほたかさんは本当に山が好きなようなので、地形の審査なんてたやすいものなのだろう。
自信をもって『B』のマークを地図上に記した。
「……でも、A地点についてはバテてたせいか、まったく記憶になくって……」
「今日は同じ道を戻るんすよね。下山中に見つけられるんじゃ?」
「……チェックポイントが回収されている可能性があるかもしれない。
それに、置いてあった場所が登山道の分岐地点より前だと、下山のときには通らないし……」
困り顔でうつむくほたかさんを見て、千景さんが落ち込んでしまった。
「ボクが……ちゃんと、見てれば……」
みんながうつむいている中で、私は手を挙げた。
「……私、覚えてますよ」
「……え、ほんと?」
「すっごくトイレを我慢してた時なので、記憶にも鮮明に残ってます」
「その時の地形は覚えてる? 道が曲がってたとか、そういうのも……」
ほたかさんは食いつくように聞いてきた。
「分岐の後のほとんどまっすぐな道でした。
傾斜は……登りがちょうど終わって、道が平らになり始めたところ。
そのあとすぐに休憩ができたので、トイレの手前あたりですね」
「ありがとう。本当にありがとうっ! その情報で十分だよぉっ」
ほたかさんは、ぎゅっと抱きしめてくれる。今日は朝から何度目のハグになるんだろう。
ほたかさんって、どうやら抱き着き癖があるみたいだ。
柔らかな感触に包まれ、私は至福で顔が緩んでしまう。
すると、剱さんが咳払いした。
「あ~。抱き合ってるとこ、いいっすか?
一ミリ以上の誤差がダメなら、下山する時に空木が記憶してる場所を教えればいいんじゃないっすかね」
「確かに……っ! 美嶺ちゃんも頭がいい~」
そう言って、ほたかさんは今度は剱さんに抱きついた。
頬をスリスリされて、剱さんの顔がみるみると赤く染まっていく。
「ちょっ。恥ずかしいっす!
そ、それより梓川さんのザックを軽くしましょっ」
いつもクールな剱さんが慌てふためいていて、ちょっと可愛い。
そして剱さんの言葉で思い出した。
確かにほたかさんにあんな重い荷物を背負わせられない。
すでに千景さんはほたかさんのザックを開け、荷物を取り出している。
……出てくる荷物を見て、私たちは目を丸くした。
テントのポールやペグ、シングルバーナーなど、金属製の道具がたくさん詰まっている。
「うわぁ……。重くて当然っすよぉ……。
見た目の大きさが同じだから、不思議だったんすよ」
「寝不足は、大変。ほたかのバックパックを……なるべく軽く」
「あっ、そうだ! 寝袋をいっぱい詰めるってどうですか?
軽くなりますよ~」
「ましろちゃん……っ! そんなことしたら、わたしだけズルいよぉ……」
ほたかさんは抵抗するけど、私は聞く気がない。
休憩して顔色が良くなってるとは言え、寝不足は簡単に回復するものではないのだ。
「みんなで背負いましょうって、言ったばかりですよ!
ほたかさんにしかできないことがあるんだから、荷物を持つぐらい、私にもやらせてくださいよ~」
「そっすよ。体力はアタシに任せとけばいいんす。
梓川さんは判断と指示をくれれば十分っす」
そこまで言われてようやく観念したのか、ほたかさんは抵抗をやめてくれた。
「みんな……本当にありがとう……」
頑張り屋のほたかさんが愛おしい。
私はお返しとばかりにギュッと抱きしめる。
もう『お姉さんだから』って無理するところは見たくない。
私たちはバックパックガールズ。
それぞれに得意と不得意があるけど、チームだから補い合えばいいのだ――。
第五章「バックパックガールズ」 完
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