第四章 第六話「山の歩みは一歩ずつ」

 ……目が、覚めちゃった。

 見慣れない天井にしばし呆然としつつも、ここがテントの中だと思い出す。


 そうだ。

 昨日はシャワーの後に寝袋にもぐりこみ、みんなで眠りについたのだ。


 腕時計を見ると、早朝の五時。

 テントの天井は少し明るくなっているので、日の出が近いのかもしれない。


 修学旅行で他の人と一緒の部屋にいるのは居心地が悪かったけど、今はそんなことはない。周りは美少女だらけだし、みんな優しいし、千景さんという友達もできて本当に幸せだ。


 勝手に友達を増やすなんて、リリィさんに悪くはないだろうか。

 思えば登山部に入ってスランプから脱出できたにも関わらず、絵を描く時間が減っている。

 リリィさんは新作を待ってくれてるのだろうか。

 そう思うと、いつまでも部活にかまけていられないかもしれない。

 みんなと一緒にいるのは好きだけど、今だって山に特別な思い入れがあるわけではない。


 いつまでも登山部にいられないかもしれないと思うと、なんだか切なくなってきた。



 ボンヤリと天井を見上げると、さっきよりも天井が明るい。

 私はみんなの寝顔を見ようと、横を向いた。


「あれ? 千景さんがいない……?」


 隣で寝ているはずの千景さんの姿が見えない。

 テントの入り口側から順番に、千景さん、私、ほたか先輩、剱さんの順番で寝ていたはずだけど、入り口のほうを見ると誰もいないのだ。


 ふと頭を持ち上げて周りを見渡してみると、私の足元のほうで丸まっている寝袋があった。

 寝袋の穴から千景さんが顔だけを出して、寝息を立てている。

 千景さんって、意外と寝相が悪いらしい。

 よく見ると普段は隠れている右目が見えていて、その無防備な寝顔が可愛かった。



「ん……んん……」


 急に色っぽい吐息が聞こえてきたのでテントの奥に視線を向けると、剱さんが寝ながら服の中に腕を突っ込み、ボリボリと胸あたりをかいている。

 そして豪快に寝返りをうつと、上着が胸元まではだけてしまった。


「うわ……。剱さん、ブラが見えちゃってる……」


 さすがに今はスポーツブラだけど、剱さんが胸をかいてるのでめくれ上がりそうだ。

 寝顔もあまりにセクシーなので、目のやり場に困ってしまった。


「お腹をしまわないと、冷えちゃうよ……」


 私はせめて服を元に戻してあげようと思って、ほたか先輩を乗り越えながら腕を伸ばす。


「ましろぉ……」


「な、なに?」


「んがぁぁぁ……」


 ……寝言っぽい。


 いつもは空木って呼ぶのに、不意打ちすぎる!

 あまりにも驚き、心臓が飛び上がるほどに高鳴った。

 いつもは苗字で呼び捨てばかりの剱さんに下の名前で呼ばれると、胸がくすぐったくなる。



 私がムズムズしていると、今度は真下から手足が伸びてきた。


「ふわふわ……むにゃ……」


 ほたか先輩だ。私はパワフルな手足で抱きしめられ、完全に動けなくなってしまった。

 寝顔が大接近して興奮するけど、どんどん締め付けてくる。


「苦しい……。ほたか先輩、鍛えすぎですよぉぉ……。っていうか、みんな寝相、悪すぎぃ~」


 逃げようと体をくねらせても、先輩はむにゃむにゃと寝言を言いながら抱きしめるばかり。

 私は抱き枕じゃないんだけど、憧れの先輩に抱きしめられると朦朧もうろうとしてしまいそう。 

 ほたか先輩の腕の中で胸を高鳴らせながら、みんなの目覚めを待つしかないのだった。



 △ ▲ △



「ましろちゃ~ん。ごめんねっ」


「だ、大丈夫です。……気にしてないので」


 ほたか先輩の声が後ろから聞こえるけど、恥ずかしさで赤面しているので振り返られない。

 今は弥山みせん登山の真っ最中なんだけど、一時間近く抱きしめられていたので、先輩の体の感触がまだ残ってる気がする。



 今朝は千景さんと剱さんの協力で先輩から引きはがしてもらい、なんとか脱出できた。

 脱出できるまでの間は寝ぼけてるほたか先輩にスリスリされるし、胸を押し付けられるし、あの感触を思い出すとあまりの天国感に思考が壊れそうになってくる。

 ……この悶々とした気持ちは漫画にして昇華するしかあるまい。


 そんなこんなで起きてからは朝ご飯を作り、テントを片付け、天城先生によるテスト勉強会をみっちりとこなし……、ようやく解放されての弥山登山なのだ。

 空を見上げれば太陽は高く昇っており、今日も雲ひとつない快晴だ。

 弥山には二度目のチャレンジなので、今度はバテずに頂上まで頑張りたい。


 前を歩く千景さんをお手本に、歩く姿勢や歩幅を真似していく。

 千景さんも私としゃべる恥ずかしさはなくなったようで、振り返りながら教えてくれていた。


「歩幅は、なるべく小さく、細かく……。靴全体で、地面を踏んで」


 私は自分がいつの間にか大股歩きになっていることに気が付き、慌てて歩幅を狭めた。


「そうでした! さっき教えてもらったばかりですもんね」


 千景さんが言うには、坂道を大きな歩幅で歩くと疲れやすいということだった。

 それに、つま先やかかとだけなど、一部分だけで地面を踏むと、靴のグリップが十分に活かせないらしい。靴の裏全体で地面を踏みしめるのが、滑らずに登るコツということだ。



 急な坂道を登り切ったところで、ほたか先輩が最後尾から千景さんを呼び止めた。


「千景ちゃ~ん。そろそろ五〇分は歩いたし、休憩しよっか~。……確か、あと二〇メートルぐらい進んだところに広い場所があるから、そこで~」



 △ ▲ △



 ほたか先輩が言っていた休憩場所はなんと、以前の登山で私が寝そべっていた場所だった。

 あの時はバテてて気付かなかったけど、地面には『五合目ごごうめ』と書かれた木の札が刺さっている。


 聞くところによると、どの山でも『十合目』が山頂と決まってるらしく、つまり私は半分までしか登れなかったことを示していた。

 ちなみにこの『合目ごうめ』という数字、距離や山の高さで刻まれているのではないらしい。『体感からくる進み具合』で刻まれてるということなので、ここが五合目ということは、今がこの山の大変さのちょうど半分ということだ。


 半分までしか来てないと言えるけど、半分を越えてもバテてないとも言える。

 ここから見える景色は以前と変わらない。

 ひとつだけ違うのは、バテてない私がいるということなのだ。



 あの時は本当に辞めるかどうかの悩みの渦中だった。


『登山は……歩けば、ちゃんと進む。……頑張りが感じられて、好き』


 ……あの千景さんの言葉とこの風景がなくては、この場所に再び来ることはなかった。


 千景さんを見つめると、私の気持ちが分かったのか微笑んでくれる。

 今はさすがに疲れてるけど、まだ歩ける。

 確かに頑張りがそのまま結果につながってることが分かって、確かな充実感があった。



「ましろちゃん、すごく頑張ってるよ~。大股に歩かず、姿勢もいいし」


「いやいや。千景さんの後をついて行ってるだけですよぉ~」


 私とほたか先輩がしゃべっていると、剱さんがドカッと腰を下ろした。


「空木、トレーニングを頑張ってるしな」


 そんな嬉しいことを言ってくれた上に、剱さんは「ほれ」と言ってスポーツドリンクが入ったコップを渡してくれる。


「あ……ありがと」


「しっかり飲んどけ。今日は暑いし、汗もいっぱい出てるからさ」


 その言葉はぶっきらぼうだけど、思えば剱さんは意外と優しい。

 不良キャラが実は優しいって言うのは漫画では定番の設定だけど、それと同じなのだろうか。


「な、なに見てんだよ、ジロジロと……」


「剱さん……優しいなって……」


「バ、バカヤロウ……。うるせえな……」


 そう言いながらも、どこからどう見ても照れている。

 これはなかなかのギャップ萌え!

 私は剱さんの魅力を見つけ、嬉しくなる。



 すると、おもむろに千景さんが立ち上がり、南東の方角を指さした。


「見て。……三瓶山さんべさん


 指先の向こうを目で追うと、かすみの向こうに小高く盛り上がっている山が一つ見えた。

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