第四章 第七話「縁結びのお山」

 千景さんの指先の向こうを目で追うと、かすみの向こうに小高く盛り上がっている山が一つ見える。


「……三瓶山って、なんでしたっけ?」


「あらあらぁ空木さん。今日の『自然観察』の授業で教えたはずですよぉ~」


 同行している天城先生がため息交じりにつぶやいた。

 私が思い出そうとうなっていると、ほたか先輩がニコニコしながら教えてくれる。


「三瓶山は、次の県大会があるお山だよ~」


 県大会。

 ……その言葉を聞いてようやく思い出した。

 私にとっては今の弥山登山が大きなハードルだったため、午前中の授業でもうわの空だったらしい。

 県大会と聞いて、急に身が引き締まった。


 県大会では素晴らしい成果を示さなくてはいけない。

 つまり、優勝しなければいけないのだ。

 こんな初心者が出場して本当に勝てるんだろうか……?

 校長先生のマッチョ特訓を思うと気が重くなる。


 私は天城先生の顔をのぞき込んだ。


「先生……。先生って大会の審査員なんですよね?」


「そうよぉ~。登山部のある学校は少ないから、どうしても顧問が持ち回りで審査員や役員になるの。それでも足りないから、山岳連盟に協力をお願いしたりと、大変なのよぉ~」


「あ、あのぅ……。審査でいい点を取るコツってあるんでしょうか?」


「それはもう、体力よぉ。山登りだから当然よぉ~」


 なんて身もふたもない答え!

 体力は簡単につかないし、だからこそコツを聞いてるのに!


 私がガックリと肩を落としていると、ほたか先輩がやってきた。


「そういえば歩行審査の細かいルール、教えてなかったよぉ~。

 ……先生、この機会に説明をお願いできるでしょうか?」


「そうねぇ。いいわよぉ~」


 そして先生はいつもの授業のように、人差し指を立ててしゃべり始めた。


「歩行審査では体力と技術を見るのだけど……。

 体力審査では、前を歩く人と距離が離れすぎると減点ね。チームの中で二~三メートル以上、チーム同士の間は四~五メートル以上開いてしまうと減点よ。

 完全にバテて無理と判断されればリタイア。その日の体力点はゼロになるの」


 確かに疲れれば前の人と離れるので、体力の有無が距離として見えてしまうわけだ。


「不安だなぁ……。ザックの中身を軽くしちゃダメなんですか?」


「チーム四人の合計重量が基準を超えていれば、チーム内での配分は自由よぉ。

 男子は三十二キロ以上、女子は二十キロ以上。

 一人平均で五キロなら、そこまでの負荷ではないはずよぉ~」


「五キロなら、すんごい軽いっすね!」


 剱さんが驚きの声を上げるが、千景さんがすぐに首を横に振る。


「嘘。必要な装備を背負うと……いつも、一人当たり十五キロは……上回ってる」


 十五キロ……。

 確かに山の中で二泊もするので、それなりに荷物は増えるんだろう。

 十五キロと言うと一リットルの牛乳が約十五本分。

 なんか重そうで、不安になってきた。


 天城先生はそんな私の不安をよそに、説明を続ける。


「そして技術審査なのだけど……。

 転んだり、走ったり、バランスを崩して木をつかまったりすると減点よぉ。

 ……適度な歩幅なのかも見るし、荷造りパッキングのバランスも見るわぁ~」


「ま……まさか常に監視されるんですか?」


「そうねぇ……。審査員の数は限られてるから常にチェックはできないけれど、今年の女子隊は二チームだけだから、後ろを歩く登山隊長が常に見守ってくれますよぉ~」


 それは常に監視されてると言っても過言ではないだろう。


「あぅぅ……。バテるところが全部見られちゃうんだ……。

 マッチョ確定だぁぁ……」


 私が半泣きになってると、三人が笑顔で詰め寄ってきた。


「何言ってんだ空木。大会まであと二週間はある。走り込みすっぞ」

「そうだよ、ましろちゃん! お姉さんと一緒に走ろっ!」

「うちの……筋トレ道具。……貸し出せる」


「あぅぅ。……そんなの、大会前にマッチョになっちゃうぅぅ~~」


 そんな私の悲鳴が山の中に木霊こだますのだった……。



 △ ▲ △



 休憩を終えた私たちの前に立ちふさがったのは、崖のような険しい山道だった。


「あぅぅ……。これ、本当に道なんですか?」


 その問いに、ほたか先輩も千景さんも無言でうなづく。

 場所は休憩場所から二十分ほど登った先。

 『九合目』の木札が設置されている場所だった。


 道とは思えない急斜面の岩壁だけど、岩をよく見ると人が踏んで角が丸くなっている。


「ほとんど崖ですけど、登るんですね……」


「うん。……気を付けながら、一人ずつ登ろっか」


 なるほど……。

 五合目時点で登頂予定タイムの三分の二が過ぎてるのに、大変さがまだ半分残ってるという理由。

 その原因はこの壁のような急登だったわけだ……。


「ましろさん、ボクが踏む場所を……しっかり見てて」


 そう言って、千景さんは足の運び方を教えてくれるように、ゆっくりと登っていく。

 私は自分の命がかかっているので、必死にルートを覚えていった。



 そして、私の順番はすぐに来てしまう。

 頭上では千景さんが静かにうなづいた。


 ……道はここしかないし、もう、覚悟を決めるしかない。


「い……行き……ます」


「ここが最後の正念場だよ! 登り切れば、頂上はすぐそこだから!」


「そうですね! とにかく行く。行くぞ~っ!」


 私は気合を入れて、一歩を踏み出した。



 だけど、そんな気合いはすぐに吹っ飛んでしまう。

 足を前に出すたびに、剱さんとほたか先輩が下方に遠ざかっていく。

 誰にも助けてもらえない恐怖と足元の不安定さが合わさって、私は動けなくなってしまった。


「ましろちゃん……。大丈夫?」


「む、む、無理です……」


 下りたいけど、すでに何メートルも進んでしまったので、目が回るような高さだ。

 見なければいいのに崖下のほたか先輩たちを見てしまい、膝が震えてどうしようもなくなる。



「ましろさん!」


 その時、千景さんが意外にも大きな声で呼びかけてくれた。


「ましろさんの靴は……自信を持ってお売りしたもの。

 グリップの強さを、信じて!」


「ち……千景さん……?」


 見上げると、千景さんが頬を赤くして叫んでくれていた。

 いつも小さな声しか出さない千景さんが……銀色のウィッグをつけていないのに、こんなにも大きな声で励ましてくれている。


 勇気が出ないはずがなかった。

 あの知識豊富な千景さんが言うのだから、絶対だ。


 私は靴の裏をしっかりと地面に押し付け、体を押し上げる。


 そしてついに、私は一人で岩場を登りきったのだった。



 △ ▲ △



「あらあら~。すぐ下に出雲いずも大社たいしゃが見えるわよぉ~!」


 頂上にたどり着いた私たちは、天城先生が指し示す先を視線で追う。

 ひときわ大きくて目立つ四角い建物は歴史博物館。

 その向こうに見えるうっそうと茂った木々のある場所が出雲大社だ。

 お正月に初詣はつもうでに行ったことがあるので、よく覚えている。


 あの大きなお社がお米粒みたいに小さくて、本当に高いところまで来たんだと感慨深くなる。

 これは九合目の壁のような坂を登ったからこそ見える光景だと思った。



 剱さんはというと、頂上に立っている大きな木を興味深そうに見つめている。


「へえ。御神木ごしんぼくか……」


 しみじみとつぶやくので、私も気になって近寄った。

 木の幹には板がぶら下がっている。


 板に書かれた文字には『この木なんの木「エノキ(榎)」』と見出しが書かれ、その下に説明文が書かれていた。

 文末には『エノキは「縁の木」とし御神木ともする』とある。


「ほんとだ。御神木なんだね。ごえんのある木だって!」


「確か、出雲大社も『縁結えんむすびの神様』だったよな。

 ……このあたりって『縁結び』にゆかりがあるのかな……」



 その時、急に鼻をすする音がした。

 びっくりして振り返ると、ほたか先輩が涙ぐんでいる。


「あぅ……。どうしたんですかっ?」


「な……なんでもないの。

 ……二人を見てたら、お姉さん、急に嬉しくなっちゃって」


 そう言って、ほたか先輩は涙をぬぐう。


「みんなで一緒に弥山に登れた……。

 登山部は本当に廃部寸前だったから、みんながこんな風にお山の上に立ってるのを見るだけで、グッと来ちゃったのっ」


 すると、先生が涙ぐんでいる先輩の後ろから寄り添うように肩に手を置いた。


「きっと縁結びのご利益があったのよぉ~」


 天城先生とほたか先輩の様子を見ていると、部員集めに悩んでいたことがとても分かる。



 今日の朝、私は部を続けることに疑問を感じていた。

 山に対して特別な感情が湧いてないのは今も変わらないけど、部のみんなが素敵というのは間違いのないこと。

 それに、正直に言うと登山部の活動自体は嫌じゃない。

 ほたか先輩の涙を前にして部を辞めることを考えると、胸がチクリと痛んだ。


 私はいつまで続けられるだろうか。

 登山大会というよくわからないものを終えた時、私は何を思うのだろう。


 高い空の下。視線の先に見える三瓶山を見つめ、私は思いをはせるのだった――。




 第四章「縁結びのお山」 完

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