第三章 第七話「当たって砕けろだよ!」
……ダメでした。
私ごときの浅はかな知識では、千景さんの内面を引き出すようなナイスな質問なんて、できるわけがありませんでした。
だいたい、あんなに悩んでる千景さんを癒せる適切な言葉ってなに?
そんな言葉がほいほい出せるなら、今ごろ私は世界に羽ばたくセラピストだよ……。
私が自分の無能さに肩を落としているのに、千景さん……いや、ヒカリさんはさわやかに微笑んでいる。
……あんなにたくさんの商品について質問したにも関わらず、である。
道具の使い方に始まり、メーカーごとの特徴やうちの登山部へのオススメ品の紹介。果てはプロ仕様ならではの特徴についてなど、わかりやすく丁寧に教えてくれた。
それにも関わらず、私の脳のスペックでは全く処理が追い付かず、あんまり覚えてない。
さすがに営業妨害かもと心配になったけど、ヒカリさんは「大丈夫なのです」と笑顔で答えてくれるのだった。
「あぅぅ……。もう、大丈夫です。……ありがとうございます」
「そうなのですか。
何か知りたいことがあれば、いつでも質問してくださいなのです」
そう言って、ヒカリさんは丁寧にお辞儀をしてくれた。
ヒカリさんはまだまだ余裕といった様子で、完全に私の完敗である。
「……そう言えば、ヒカリさんがザックをバックパックって呼ぶ理由、ようやく分かりました! お店では『バックパック』っていう名前で売ってるからですね!」
「はいなのです。どう呼んでも自由なのですが、仕事の癖みたいなものなのです」
「癖になるほど商品に詳しいってことなんですね~。
まさか全部覚えてるんですか?」
「当たり前なのです。それが仕事なのですから」
そう言って、ヒカリさんは事もなげにうなづいてみせる。
以前に「要領が悪いから、全部覚えようとしてるだけ」だと言ってたけど、お店の商品全部の知識とは尋常ではない数だ。
「以前は知識をとっさに使えないとおっしゃってましたけど、全然そんなこと、ないじゃないですか! すごいですよ!」
しかし、ヒカリさんは急に表情を曇らせてしまう。
「……すごくないのです。
いつも使えるわけではない力なんて、何の意味もないのです」
珍しく冷たい口調でそう言い放ち、お店の奥に立ち去っていってしまった。
いつも使えるわけではない力……。
よくわからないが、その言葉が無性に気になってしまう。
その時、店内放送で音楽が流れ始めた。
これは『蛍の光』……つまり閉店の合図だ。
周囲を見渡すと、他のお客さんもいなくなっている。ヒカリさんは掃除道具を取り出していた。
とっさに腕時計を見ると、時計の針は七時五十分。
……つまり、あと一〇分で千景さんとの話ができなくなることを示していた。
最後に残していた切り札はたった一つ。
それは、ほたか先輩がやったことと同じ……自分の秘密の告白だ。
お互いの秘密を共有することで、千景さんの秘密を守る保証だと思って欲しい。
私はスマホを開き、たっぷりと保存してある恥ずかしいイラストを画面に映し出した。
私の努力と
けっこうエッチで、誰にも知られたくない秘密のアルバムだ。
「千景さんだけが恥ずかしいわけじゃ、ないんです!」
一気に駆け寄り、その禁断のアルバムを掃除中のヒカリさんに思いっきり見せつける!
「わ、わ、私だってこういうものを描いてますし!」
私が鼻息荒く迫ると、ヒカリさんは驚きながら後ずさる。
でも、その眼は私のイラストに釘付けになっていた。
みるみると顔が紅潮し、顔を手で覆い隠す。
でも、きれいな指の隙間からは吊り目がちな瞳がのぞいていて、私の恥ずかしい作品たちをしっかりと凝視している。
私はあまりの恥ずかしさに心が折れそうになるけど、頑張って踏みとどまった。
「ここ、こ、これだけじゃないんです! ……私、実は……」
私の興味は
現実の美少女も大好きだって言おうと、口を開く。
「ダメなのです!」
ヒカリさんはぎゅっと目を閉じ、私の隙を見つけて走り出した。
「ボクはそんなの聞きたくないのです!
ほたかも……ほたかの時だって、そんな風に言ってきたのです!
勝手に色々話してきて、聞いてるほうが恥ずかしいのです!」
とっさにヒカリさんの手を掴もうとするが、小さな体は私の手をすり抜けて逃げてしまった。
「でも、ヒカリさん……いや、千景さん!
ほたか先輩の話を聞いたから仲直りしたんですよね?
私の話も聞いてください!」
イラストを見せたのに、収穫なく逃げられるわけにはいかない。
私も必死に追いかける!
「聞きたくないのです!」
「聞いて!」
「わーっ! わーっ! 聞かないのです!」
ヒカリさんは耳を塞ぎ、私の声をかき消そうと叫ぶ。
そして、奥の扉に入ってしまった。
扉には「スタッフオンリー」と書かれている。
何てこと。
これじゃ追いかけられない!
……その時、リリィさんの応援がよみがえってきた。
『当たって砕けろだよ!』
その瞬間に頭の中がカァッと熱くなり、気が付くと私は扉の中に突撃していた。
△ ▲ △
扉の奥は小さな休憩室と、さらに奥に続く扉。
奥の扉の向こうには倉庫があった。
「……ましろさん」
か細い声の主は、いくつも立ち並ぶ大きな棚の奥でうずくまっている。
銀髪の少女は、まるで小さな子ウサギのようだ。
彼女は私を見つけると、袋小路なのに、さらに身を隠そうと棚の中に上半身を滑り込ませる。
……まったく
私は荒ぶる呼吸を抑えきれないまま、ゆっくりと歩を進めた。
「うへへ……もう、逃げられませんよ」
じたばた動く小さなお尻を、後ろから両腕で抱きしめる。
彼女が暴れるので周りの棚に積まれていた本が崩れ落ちてきたけど、これ以上逃げられても困るので、私は思い切り引っ張った。
力は私の方がちょっと強い。
彼女の抵抗にもかまわず、一気に棚の下から引きずり出す。
そしてあらわになった少女の頭部を見て、私の視線は釘付けになってしまった。
その頭部の色は銀色ではない。黒髪のショートヘアの少女が私の腕の中にいる。
「ウィ……ウィッグが、挟まった」
どうやら棚の奥で銀髪の
「ま……ましろさん。見ないで」
語尾の「なのです」が消えて、か細くつぶやくような口調に変わっている。
おそらく銀髪が変身のスイッチなのだろう。声を震わせて頬を赤らめる少女が、そこにいた。
「ご……ごめんなさい……」
私が無理やり引っ張ったせいでとれたんだ。
切羽詰まっていたとはいえ、千景さんを辱めるなんて、私はなんてバカなんだろう。
うまい言葉が見つからず、彼女の顔をまともに見れないまま、視線をそらす。
……その時、床に落ちている本に気が付いた。
いや、よく見ればこれはノートだ。
似たようなノートが何十冊も床に散らばっている。
書かれている文字は見間違えるはずもなく、小さくて可愛い千景さんの文字だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます