闇幻 そして錯乱

 そこは何もない空間だった。


「俺は、どうなった……」


 最後の記憶は拘束具を引きちぎり、地下研究施設から抜け出した瞬間だった。

 それ以降のことを覚えてはいないようだが、漠然と自我が消えていく恐怖だけが今の飛彩を支配している。


「まさか……死んだのか?」


 ふざけなければやっていられないと嘲笑しつつも、それは不安の裏返しだとも自覚していた。

 歩き出そうとした刹那に、常に自分を監視していた何かと同じ気配を背後から感じた飛彩は振り向きながら飛び退く。


「おい……ガンくれてんじゃねぇよ」


「……何故、己の悪性を恐れる?」


 闇から聞こえる声のの音源は一切掴むことが出来ず、飛彩は闇の中を右往左往した。

 果てしない闇の中を歩いても声の主は見つからない。


「どういう意味だ! 出てこい!」


「お前は手に入れている。悪を抑え込む術を」


「何なんだお前は! 俺をどうしたいんだよ!」


 掴みかかれるものがあるわけもなく振りかぶった腕は空を切るだけだった。


「俺の能力風情で調子乗ってんじゃねぇ!」


 目で見ることの出来ない闇の空間は、上下左右の感覚を失わせるだけでなく何も見通すことの出来ない黒が支配している。


「哀れな」


 唯一知覚出来る己の身体に触れて落ち着きを得ようとする飛彩はどんどん恐怖心に蝕まれた。


 かねてより感じていた恐怖に似た心臓を掴まれたような感覚、意識を失う前にも覚えたそれに飛彩の動悸の昂まりに拍車がかかる。


「悪に支配されるな。お前は悪を統べることが出来る」


「さっきから何言ってやがる! 一方的に話やがって……!」


 暗い闇の中をかき分けて進むように腕を振り回す飛彩。


 それが何かを穿つことはなくただただがむしゃらに攻撃にもならない恐れの防壁を振りかざした。


「道を違うな。力の向ける先もだ」


 一切変わらぬ抑揚のない声にも関わらず、飛彩から冷や汗が噴き出した。

プレッシャーとでも言うべき目に見えない何かによって飛彩の呼吸は早まる。


「お前の左腕は、右脚は……四肢の全てはヒーローの真似事という児戯のためにあるのではない」


 首を縦に振りたくなるほどの重圧。

 先ほどまでの威勢は消え去って息をすることも忘れた飛彩は、瞳を揺らしつつも拳に力を込めて必死に堪える抵抗しか出来なかった。


「ま、真似事だぁ?」


 やっとの思いでひり出せた反抗の言葉。

 気合を入れ直すように眉間に皺が集まり、ますます目つきが悪くなった瞳で黒を見つめ続けた。


「そうだ。お前もこちら側の存在。受け入れろ、悪を。獣性を」


 耳元で目の前で話されている恐怖。

 喉元に鋒を突きつけられているような威圧感に心臓の鼓動がどんどん速まっていく。


「俺は……俺は……!」


 再び聞こえてきた言葉に虚勢でも構わないから対抗しようと口を開いた瞬間。

 微かな光が飛彩の視界へと降りてきた。


「……彩! 飛彩!」


「飛彩さん!」


 その声が飛彩の心から恐れを取り払った。

 震えなくなった身体から緊張を振り解き、腰を深く落とした戦闘の構えを見せる。


「お前がいるのはそこではない」


 言霊は勢いとなり、嵐のように飛彩の髪や服を靡かせた。

 瞳を閉じることなく全方位を警戒する飛彩は謎の言葉を嘲笑う。


「——確信したよ」


「何をだ?」


「俺は悪なんかに堕ちねぇってな!」


 周囲の暗黒が飛彩の左腕へと集結していく。


「ビビってる場合じゃねぇ! どんな力だって使いこなしてやる!」


 決意の言葉と共に、その空間にあった黒が全て飛彩の左腕へ吸収された。


 かすれていく飛彩を威圧する声に耳を貸すことはもうなかった。


封印されていた左腕オリジンズ・ドミネーションを携え、飛彩は自分を包む光に身を委ねる。


「俺はヒーローを守る隠雅飛彩だッ!」


「その選択……後悔するなよ」


 光に包まれた飛彩は何かを支配下に置いたような、心の中にあった何かを封じ込めたような気味の悪さを覚えながら眩い光に目を閉じた。






「許さん、許さんぞ……どいつもこいつも逆らいおって!」


 電子回路が全て光を失ったが故に途轍もなく長い階段を登って廃墟ひしめく地上に躍り出た英人。

 すでに戦闘音はなく戦いに決着がついたことを察しながら、渦中の場所を目指す。


「春嶺も、隠雅も全てさらなる実験台にしてやる……そして私こそが真のヒーローになる!」


 私利私欲のために少年少女を巻き込んだ英人の歪んだ笑みは人間よりヴィランに近い。


 長年ヴィランに向き合ってきた英人は深淵に取り込まれてしまったようだ。


「私こそが最高最善のヒーローになれるのだ!」


 荒い息を引き連れて地を踏み締める中、ようやくその場所が瞳へと飛び込んだ。


 新しい玩具を買ってもらった子供のように目を輝かせた英人は、立ち尽くす飛彩やその足元で転がる少女たちのところへ急いだ。


「相打ちか……最高だ! やはり私は天に愛されている!」


 大股で駆け寄る英人が飛彩へと腕を伸ばした瞬間、気絶していたはずの飛彩の右腕が英人の伸ばした腕を捻り上げた。


「ぎゃあっ!?」


「——よう、久しぶりだな……!」


「ぐっ、き、貴様!?」


 俯いた飛彩の視界に飛び込んできた満身創痍で倒れている少女たち。

 全身に走る激痛と感覚がほとんどなくなった右脚がもたらした惨劇だと嫌でも気付かされる。


「面倒なことしてくれやがって……おかげで最悪な気分だよ」


「お、おいおい。君がしでかしたことだろう?」


 その起点となったことを棚に上げた英人は未だに余裕な態度を崩さない。

 ポケットの中に忍ばせた麻酔の注射針が自信を漲らせるようだ。その気になればいつでも眠らせることが出来ると。


「見ろ! この転がる女どもを! 全部お前がやったんだぞ? その力は危険だ。私が管理下に置く!」


 精神的に揺れていた飛彩を拐かすような演説が始まると飛彩の目元へ影が落ちる。

 あと一押しだと感じた英人は強引に腕を振り払い、身振り手振りでこの悲惨な現状を突きつけた。


 そうしながら左手をポケットへと伸ばす。


「貴様が大人しく私に能力を差し出せばこうはならなかったさ!」




「それは……違う!」




 その声の主は二人の足元から聞こえた。

 よろよろと立ち上がろうとしたのは桃色の髪で瞳が隠れた春嶺である。


「この人たちは想いあっている……任務だから彼を止めたわけじゃない。その絆があればどんな恐ろしいことも乗り越えられる!」


 これは説得ではない。

 春嶺の願望だ。

 どんな未知の脅威だろうと仲間との絆があれば乗り越えられる。


 蘭華との絆を感じた春嶺が見せた精一杯の飼い主への反抗。

 自分が繋がれていたのは偽りの絆という鎖だったと気づいた少女は喉が枯れることも気にせず叫んだ。


「こんなに美しい人達が間違っているはずがない! 局長、私達が間違っているんです! 投降しましょう!」


 誰かを想う力の強さを春嶺も実感する。だからこそ蘭華は強大な相手にも怯まなかったのか、と。


「テメェ……」


 呆気に取られる飛彩に少しだけ視線を切った後、春嶺は慣れない口角を上げる筋肉を使った。


「……春嶺」


「局長。終わりにしましょう。私たちが裁かれる時がきたんです」


「そんなものあるわけがなかろう!」


 平常時の春嶺ならば間違いなく避けられた平手打ちにも反応できず、地面へと美しい髪を投げ出した。


「うぅっ……」


「この無能が! 情などに絆(ほだ)されおって! 最後まで俺に尽くすのがお前の仕事だろう春嶺!」


 聞くに耐えない暴言の連打。まとまっていたオールバックの髪はすでに乱雑に散ってしまい、理知的な印象を与えるものはもう何もない。

 吐かれる暴言に飛彩は自分のこと忘れ、込み上げた怒りに身を任せてしまった。


「黙れ!」


 負傷を感じさせない横蹴りは目にも止まらぬ速さで隠し持っていた麻酔針を砕いた。

 高級そうな灰色のスーツに黒い染みが浮かび上がる。


「テメェの考えなんてお見通しなんだよ」


「き、貴様ぁ!」


「さっさと捕まってくれ……テメェなんかにこれ以上、脳味噌使いたくねぇんだ」


 怒りに顔を歪めた英人はなりふり構わず飛彩に殴りかかった。

 大した力を使うこともなく避けていく飛彩に対し、英人は一瞬で息が上がる。


「貴様ァァァァァァ!」


 骨と骨がぶつかり合う鈍い音。


 手応えを感じた英人は嗜虐的な笑みを一瞬だけ浮かべるが、骨と骨がぶつかる痛みに耐えきれず数歩下がってしまう。


 そう、飛彩はあえて避けなかったのだ。

 頬に一撃を受けたが一切微動だにしない飛彩は唾を吐き捨てて英人へと歩き出す。


「それが殴るってことだ。自分の体でやってみてわかったろ?」


「く、くそ……!」


 どうしようもない現実に自分ではどうしようもない英人は大声で喚き散らす。

 駄々をこねるような様子に華々しいエリートという様子は全く見受けられなかった。


「何を寝ている春嶺! やつを止めろ! 休んでいいなど許可していないぞ!」


 倒れた春嶺は今度こそ動かなかった。

 一度は信じた相手の凶行に身体は耐えられても心が耐えられなかったのだろう。


「ぐぅぅ……このグズめ!」


 逃げ出すと踵を返した英人の頭を飛彩は鷲掴みにした。

 頭皮越しに手の体温を感じていたが、それは一瞬で冷たい漆黒の鎧へと変貌する。


 それにとうとう観念したのか英人はだらりと両腕を下ろし、一歩を踏み出そうとしていた足を元の位置に戻した。


「それだ、それこそ私が欲しかった力! 一瞬で変身が終わり、比類なき力を発揮できる! 私たち……いや、私にこそふさわしい力だ!」


 背後をとられているというのに高揚している英人に対し、もはや憐憫の情すら沸かない飛彩は淡々と左手に力を込める。


「お前はもう喋んじゃねぇ……!」

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