戦場の絆 〜カクリの決意〜

「弓月さん?」


「天弾……いえ、春嶺。貴方を信じるわ」


 驚いた春嶺は攻撃の手を緩めて蘭華を見つめてしまう。

 突如として時が止まったような感覚に陥ったが、蘭華の信じるという言葉と嘘のない瞳が荒んでいた心に恵の雨をもたらした。


「全部終わったら遊びにいきましょう? きっと私たち仲良くなれるわ」


 その言葉には「信頼」があった。

 その言葉は春嶺が何よりほしかったものだった。


 だが、一瞬の隙を逃さない飛彩の空を切る跳躍が春嶺の視界にも映る。


「ガァァァァァァァァァァァァァァ!」


「——ありがとう」


 殺傷能力が低い代わりに攻撃の範囲の大きい波動弾が飛彩の真上から覆いかぶさり、土の味を飛彩に味わせた。


「任せて。弓月さん」


 窮地を脱し、飛彩の視界から逃れた瞬間を狙って蘭華は個人領域(パーソナルスペース)を発動して周囲の風景に溶け込み消える。

 音を立てぬように移動し、飛彩にインジェクターを突きつける。


 カクリの瞬間移動の二段構えは隙の生じぬ作戦だった。


「春嶺が作ってくれる隙を無駄にするわけにはいかない……!」


 一人の少女が息を潜める中、春嶺は今まで以上のポテンシャルを発揮して飛彩と渡り合っていた。


「これでもう逃げ場はない。一騎討ちといきましょう」


 一度は敗れた接近戦に再び身を投じる春嶺。

 退路を経つかのように、飛彩の動きを縛った檻のような跳弾軌道の中に自身も入り込み、円形闘技場に相対する剣闘士が如く格闘劇を繰り広げる。


「はぁ!」


 春嶺の前蹴りを受け止めたのは高く掲げられた飛彩の右足。

 視界が一瞬塞がった瞬間、春嶺の蹴りを後押しするように跳弾していた波動が紅い右足を弾き飛ばす。


「ググゥ!?」


 大きくバランスを崩してよろめいた飛彩の腹部へとリボルバーをめり込ませ、殺傷能力を抑えた波動弾を叩き込む。


「吹っ飛びなさい」


「ガハッ!?」


 覚醒した春嶺の前に今度こそ飛彩は吹き飛ばされた。

 地面を転がり、廃ビルに叩きつけられて飛彩の勢いは収まる。


 どこから見ているかわからない蘭華へと目配せを飛ばす春嶺。


 今だ、と飛び出した蘭華とすれ違うように響いた爆ぜる音は紅い軌跡を残して春嶺の胸部を射抜こうとしていた。


「なっ!?」


 ほんの一瞬視線を切っただけだというのに、数十メートルの間合いを一気に潰された春嶺はリボルバーを犠牲にして串刺しになることを防ぐことしか出来ず、体幹を崩して空を見上げさせられた。


「ガァァァ……!」


 白目を向いた飛彩は、未だに右足を上段へと向けていた。

 その真下にいる春嶺はこのまま踏み潰される未来が見え、銃なしでの不安定な波動弾を防壁として飛彩へ放つ。


「ウオルァァァァァァァ!」


 紅の閃光と橙色の波動弾がぶつかりあい、火花を散らした。

 急ごしらえの防壁は数秒だけ春嶺の余生を伸ばしたに過ぎず、瞳の隠れた顔が肉片に変わることは揺らがない。


 甲高い破砕音が響き、春嶺へと右足が迫る。


 しかし、そこへ飛び込んだ蘭華が飛彩の左側からインジェクターを突き刺そうと腕を伸ばした。


「いい加減目を覚ませぇぇぇ!」



「——ダメ!」



 そう。それは春嶺にだけ見えていた。


 自分を踏み潰そうと迫る戦鎚のような足が微妙に蘭華の方向へ動こうとしている。

 その微妙な筋肉の収縮が見えた春嶺だからこそ気づいた。



 この一連の戦いの交差は罠だったと。



 紅い右足を無効化する決定的な攻撃は、蘭華が持っているインジェクターしか存在しない。

 それを最初の攻防で気づいた飛彩はここまで予期して撒き餌をしていたのだ。



 最初から猛獣を狩る戦いではなく、蘭華と春嶺は猛獣の狩りの獲物でしかなかったのだ。



「弓月さん!」


 あらんかぎりの声で叫んだ時には蘭華の胸部に紅い右足がめり込む寸前となっている。


「蘭華さん!」


 突如としてその場に発生する空間の裂け目。

 飛彩と蘭華の間、数ミリという存在しないと言っても過言ではない存在にカクリが異空間への扉を発現させる。


「カクリ!」


 声共々異空間に消える蘭華。


 飛彩の蹴りは空間の裂け目を一瞬で砕く。

 あと少しカクリの援護が遅れていたら間違いなく死んでいたのは蘭華だったであろう。


 司令室にいたカクリは鼻血をぼたぼたと垂らしながら能力補助装置から外れて倒れ込んだ。

 黒斗やメイが駆け寄る中、カクリは蘭華の視界カメラから視線を切ることはなかった。


「ここです!」


 未だに攻撃の挙動が残っている飛彩の真裏から異空間の出口を作り出す。

 発生から少し遅れて飛び出した蘭華は飛彩の首元へインジェクターを突き刺す。


「グォォォォォォォォ!」


 しかし飛彩もまた攻撃の勢いそのままに身体をひねり、蘭華へと回し蹴りを放とうと右脚をしならせた。


「やらせない」


 今度は飛彩の意識から消えた春嶺が左脚の膝裏めがけて波動を放つ。


 威力も練ることが出来ない微弱な波動だが、膝が落ちた飛彩の蹴りは不発に終わる。


「起きろぉぉぉぉぉ!」


 誰か一人でも欠けていたらこの命の襷が届くことはなかっただろう。

 この連携により一縷の望みが残虐の王の紅き右脚を震わせる。

 振り回された右腕のせいで蘭華は地面に叩きつけられるが、唯一の特効薬が刺さったことに二人は安堵を覚える。



「グァァァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 もがき苦しむ飛彩を見ながら春嶺に肩を貸して立ち上がる蘭華。

 即席の共同戦線にしてはいいチームになれたと二人は微笑みあう。


「メイさん、やりました……!」


 そう通信を入れた瞬間、荒れ狂う飛彩は首に刺さっていたインジェクターを引き抜いた。

 溶液はまだ半分以上残っている。


「!?」


 二人に走る死の気配。

 暴走の原因となった右足から投与した場所が遠いことによる効き目の遅さがこの戦いにおいては命取りになった。


「うそ」


 勝利したという確信があったからこそ二人の動きは完全に止まってしまった。

 投げ捨てられたインジェクターが地面に転がり、それと同様に紅き右足によって二人は薙ぎ倒された。


「がはっ!?」


「ぐうぅっ!」


 展開力が定まらず弱まった蹴りだったからこそ、春嶺は跳弾響ブラットバレットの展開力を全て集めて防御に転じることが出来た。


 だが、その代償は強制変身解除。

 この場には飛彩の紅い暴力的な嵐が吹き荒れる空間へと変わった。


「フゥゥ……フウゥゥ……!」


 荒々しい息遣いが二人の側に迫っている。

 戦う気力など何も残っていない二人は残虐の王が迫り来るのを眺めるしかなかった。


「飛彩……」


 か細い声でその名を呼んだ瞬間、左足が進むことを拒むように止まった。


 震える右脚を抑え込むように地面を踏み締める。


「グォ……ォォォォォォォ!?」


 両手で頭を押さえて苦しむ飛彩は片膝をつくことはなかったが、その場でフラフラとよろけ続ける。


「効い……てる?」


 わずかだがインジェクターが効力を発揮したようで飛彩の右足がノイズの入った映像のように明滅を繰り返した。


 奪われた意識が必死に抗い続けている。


「ラァ……ンガァ……!」


 転がった残りのインジェクターを注ぎ込めば間違いなく飛彩は目を覚ます。


 しかし大きな負傷を受けた蘭華の動きは弱々しく手を伸ばすこともままならない。


「このチャンスを……!」


 ほんの数メートル。


 その僅かな距離にも関わらず、断崖絶壁の向こう側のように感じられる。

 先に動けるようになったものが勝負を制するという緊張感の中、血を吐くカクリが決意の炎を灯す。



「飛彩さん!」



「やめろカクリ!」


 補助装置から解放されたカクリが行なったのは自身の転送。

 目の前に開いた転移空間の中に飛び込んだカクリはそのまま危険地帯である戦場へと飛び出した。



「カ……カクリ?」


 虚な瞳になってしまった蘭華が呼びかけるも、無理な転送が祟り満身創痍な状態になっている。

 ただでさえ無茶を重ねていたがゆえに、渦中の場所からは数十メートルも離れた場所に降り立ってしまった。


「カクリ! 危険すぎるわ!」


 通信機も何も持たずに飛び出したカクリの身を案じ叫ぶメイだが、その声は司令室に響くだけだ。

 ふらつきながらも歩き出したカクリの足は気がつけば早歩きになり、どんどん駆け足になっていく。


 能力の代償にほとんどの運動能力を奪われているようなカクリは少し走っただけで肺が裂かれるような感覚に襲われていた。

 およそ乙女の口から漏れるようなものとは思えぬ苦しみの喘ぎを携えてカクリは突き進んでいく。


「私も……私、だって!」


 息も絶え絶えな少女は飛彩を救う執念だけで命を燃やした。


 蘭華だけでなく敵だった春嶺ですら命をかけたのだ。

 故に安全な場所で眺めている自身に嫌気が差したカクリは運命の分かれ道となるインジェクターを拾い上げる。


「ガ、ァァ……」


 明かしてくれた漠然とした不安に寄り添うと誓ったカクリは何かあったら次は自分が飛彩を守ると決めていたのだ。

 不安そうな顔をカクリに見せないようにしていた強がりな飛彩を支えたいと、守られるだけだった少女は立ち上がった。


「苦しい、ですよ、ね……今、カクリが助けますから」


 その様子を見ることしか出来なかったら蘭華と春嶺もようやく立ち上がる。


 二人が立ち上がれるくらいに回復したということは飛彩もまた暴走に近づいているのかもしれない。

 そんな危険な相手にも関わらず、カクリは一切動揺することなく近づき、飛彩の右足へとインジェクターを突き刺した。


「ガッ!? ガァァァぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 紅き右脚から通常の状態への明滅が早まる。

 今度は抜かれないようにカクリは脚に抱きつくようにして抑え続けた。


「目を覚ましてください! 飛彩さん!」


 猛獣のような咆吼が何度もこだまして廃墟の中を震わせる。

 恐怖もあったが、飛彩を救えないことの恐怖の方が遥かに上回る。


「カ、クリ……?」


「飛彩さん!? 飛彩さん、しっかりしてください!」


「ゥゥゥ、ううぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 暴れ出しそうになる身体を必死に抑えようとしても非力なカクリは簡単に振り解かれてしまう。

 しかし、吹き飛んだカクリを受け止めた蘭華と春嶺が共にインジェクターに手を伸ばして全注入を手助けした。


「後輩にまで迷惑かけてんじゃないわよ! いい加減目ぇ覚ましなさい!」


「貴方が死ねば悲しむ人がいる」


「お二人とも……飛彩さん! 目を覚ましてください!」


 想いが繋がり、展開力を乱すインジェクターの溶液が全て飛彩に注入された。

 苦しみの叫び声を上げながらよろめくように三人を振り払う飛彩。


 もはや三人は命を燃やし尽くしたように倒れ込んだ。意識を手放して飛彩の前に倒れ込む。


 対する飛彩は電源を失った機械のように立ち尽くしていた。


 未だに右脚の展開は現れて消えてを繰り返している。

その様子を司令室から見ていたメイは失敗という二文字に震えた。


「みんな……」

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