終息

「ははぁ! 自身を使った実験だ! これは素晴らしいデータになる!」


 わずかに漏れ出た瘴気がが飛彩の左腕へと吸収されていく。


 誰も彼も悪に堕ちることは簡単だと告げるようにして英人も地面へと崩れ落ちた。


「が、あがが……」


 ヴィランほどとはではないだろうが、誰しも悪に染まることが出来る。


 そんな人間の悪意なすら飛彩の能力は吸収することが出来るのだろう。

 自らを突き動かす意志をなくした英人は眠りについたように動かなくなった。


「——最悪な気分だよ」


 立ち尽くす飛彩のもとへ一気に装甲車が駆けつけた。


 護利隊の緊急救助部隊が次々と蘭華やカクリを回収し、気を失っている英人や春嶺を連行していく。


「——飛彩」


「……メイさん。何か久しぶりですね?」


「冗談を言う元気があって助かったわ。私が来たからにはもう大丈夫、全員綺麗に治しちゃうって」


 傷つけるつもりはない言葉だったが、全てが終わったことで全ての原因が自分にあると飛彩の心が抉られる。


「飛彩もすぐに治してあげる」


 慈愛に満ちた眼差しと差し伸べられた手を飛彩は一瞬惑った後、右腕で振り払った。


「大丈夫です。世界展開リアライズで完治しました」


 折れたはずの左腕も戦いの生々しい傷跡もほとんどが塞がっていた。


 体力的な疲労はあるだろうが、もはや飛彩も命に別状はない。


「蘭華……カクリ……」


 救急車両へ運ばれた二人を見つめる飛彩は、自分さえいなければこんなことにはならなかったと右足を恨めしく睨んだ。


 暴走して荒れ狂ったにも関わらず、飛彩は恐怖も何も抱いてはいなかった。


 この左腕があれば自分の暴走は制御出来るはずという確信すらあった。だが、しかし。




「お前がいるのはそこではない」




 思い出したその言葉によって、飛彩へ早くも後悔が襲った。


 ヒーローを守る力が何よりも大切な仲間たちを傷つけた。


 意識を失っている中で息巻いていた自分を殴りつけたい衝動に駆られた飛彩は強く唇を噛む。


「メイさん」


「なに?」


「黒斗に連絡したい。通信機貸してくれないか?」


 もちろん、と差し出された連絡端末を手に取った飛彩は神妙な面持ちで黒斗へと口を開いた。


「頼みがある」




 ヒーロー本部の局長が行なった凶行はは表沙汰にされることもなく、粛々と隠蔽された。


 飛彩が無事だったことと、絡繰英人が局長の座から降りた時点で黒斗やメイとしてもそれ以上の要求を突きつける気にはならず、護利隊員はヒーローを守るがヒーロー本部の管轄ではないと改めて強く突きつけることが出来ただけでも僥倖というものだろう。


 戦いの後、すぐに目を覚ました蘭華は包帯に身を包まれ、膨れっ面で病院のベッドに寝転んでいた。


「もう治りました。すぐに復帰できます」


「そう言わないの。カクリちゃんほどじゃないけど蘭華ちゃんも結構大怪我なのよ〜」


 お見舞いに来ていたメイは不思議な包丁で皮を剥きながら同時に林檎を六等分していく。


 何はともあれ全員無事だったことから表情が緩んでいる。


 面倒な同業者も解任され、働きやすくなったことも起因しているだろう。


「はい、この包丁が言うには糖度十五度だって。結構甘いわよ」


「……」


 生活感のあふれる発明は場を和ませることもなく、暗くなった蘭華は林檎を受け取ろうともしない。


「——怒ってないんですか?」


「カクリの能力を戦闘で使ったこと?」


「その、えっと……はい」


 差出した林檎を口元へ運んで一齧りするメイは口をもごもごと動かして咀嚼する。


 一切怒りなどの表情も浮かべないメイは病人に渡すはずの林檎を続けて口へと運ぶ。


「ま、結果オーライみたいなところだから私は怒るつもりもないし。二人とも飛彩のためなら死ぬ覚悟ってのがあったんでしょ?」


「はい」


 そこでやっとメイは厳しい顔つきになった。

 間違ったことを言ったつもりはない蘭華だが、そこはかとない威圧感にベットのシーツを軽く握りしめる。


「それには怒っちゃうわ」


 無理やり林檎を蘭華の口へ突っ込むメイ。


 怒号が飛ぶと思い、目を固く閉じた蘭華はまさに鳩が豆鉄砲を食らったような様子を浮かべる。


「むごっ!?」


「飛彩も蘭華ちゃんもカクリちゃんも若いんだから、自分の命を捨ててまで何とかしようとか考えるの禁止」


 口に入れられた林檎を噛み砕いて飲み込んだ蘭華は、その正論に何も言葉を返せなかった。


 飛彩も蘭華も孤児ではあるが、たくさんの絆に支えられて生きている。


 自分たちが死んで悲しむ人がいないとも、残された者の辛さも分からない蘭華ではなかった。


「ごめん、なさい……私、カクリまで唆して……」


「まずは大人を頼りなさい。命賭けるのなんて選択肢に入れちゃダメよ」


 ぽろぽろと溢れ出した涙を堪えるようにしてメイの豊満な胸へと顔を埋める。


「ごめんなさい! でも、私も飛彩と一緒に戦えるようになりたかった! 飛彩を守れるようになりたかったの!」


「大丈夫、わかってるわ」


 深く抱きしめて頭を撫でるメイは、一番危なっかしい戦いを続ける飛彩にはどんな説教が効くのだろうかと思案に暮れる。


「うう……うわぁぁぁ……!」


「大丈夫、大丈夫よ」


 堰を切ったように流れ出す涙を受け止めながら、この過酷な戦いを終わらせなければとメイも決意を改めるのであった。


 一方、戦いの後に黒斗に通信を入れた以降、誰とも会っていない飛彩は未だに集中治療室で予断を許さない状況になっているカクリの姿を眺めていた。


「お前、いつも限界超えて戦ってたんだよな……」


 見た目に外傷はないようだが、臓器などに大きなダメージがあったらしく簡単に治癒するものではない。


 特に無理をした能力行使と制約を超える運動をしてしまったことが大きく響いているようだ。



「その選択……後悔するなよ」



 幻影の中で向けられた言葉は今も飛彩の頭の中を席巻していた。


 自ずと強く握られる拳から血が滴るまで時間はいらなかった。


「ああ、後悔はしてねぇ。するつもりはねぇ」


 戦うためには、世界を守るためには力がいる。


 これは誰が何と言おうと抗うことの出来ない理と言えよう。


 新たに目覚めた能力もあの出来事が嘘だったかのように息を潜めている。


 いつ再び乗っ取られるのか分からないという恐怖は不思議とないようだ。


「俺が護らなきゃ皆やられる。ヒーローも全滅だ……だけど、もう疲れちまった」


 ガラスに手を触れさせる飛彩は安らかな表情を浮かべているカクリに話しかけるように淡々と呟いた。


「もう、終わりにしてやる」


 孤独が落とす異様な影を携えて、飛彩はその場から歩き出した。


 後悔はない、その言葉が嘘ではないと裏付けるように飛彩の瞳は闘志に溢れていた。

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