Monte Carlo -4-
―――そう、これは戦略。
頭を使いたがらない彼女が珍しく実行に移した、戦略。
だけど、彼に負けるのはやはり悔しい。
気の置けない相棒である彼……レオにだけは、何においても負けたくはない。
「で? レオさん、ターゲットの状態は?」
《ああ。一人は死んだが、もう一人はピンピンしてやがるな》
「分かりました。では私は二人とも生け捕ります」
《ほう、おもしれぇじゃねぇかよ》
ギアを下げ、加速。
目標とするシルバーのシェルビーは頂上へと上り詰め、ダウンヒルへ入った。
面白い速度だ。
ヒューガ・エストラーダ。
ミラノストリート最速を誇るその女は、ハイヒールでさらにアクセルを踏み込んだ。
頂上へ。
およそ2秒間の無重力状態を楽しんだあと、アスファルトへ着地。
眼下にはモンテカルロの美しい夜景とネロに染まった地中海が広がる。
白塗りの建物は、大聖堂で整列して王を迎え入れる騎士達のように荘厳で、眺めているだけで心地が良い。
こんな追いかけっこをしていなければ、コーヒーとパンケーキを片手にゆっくりと過ごしたかったところだが。
あいにくヒューガは苦い飲み物が大嫌いで、軽量ステアリングを片手に瓶入りのコーラを一気に喉に流し込んだ。
まったりとした甘味と容赦のない炭酸が同時に口に広がり、脳をスパークさせる。
ヒューガが眺めるのは夜景ではない。
モンテカルロの街道に広がる、無数のダウンヒルヘアピンカーブだ。
《生け捕るってのはどうするつもりだ? そんな住宅街でグレネードなんか使ったら、損害賠償で給料まで吹き飛んじまうぜ?》
「拳銃だけで十分です。最近編み出した“技”がありますから」
食らいつける。
往年のマッスルカー、シェルビー・GT500に。
この深緑に染められたイギリス車はハンドルが軽く、タイヤが暴れやすい。
しかし、だからこそヒューガのドライビングと相性が良い。
見えてきた、虎視眈々と眺めていた左ヘアピンコーナー。
孤はかなりきつく、早めのブレーキで速度を落とし、インで入ってアウトへ抜けるのがセオリーだ。
セオリー?
ヒューガはセオリーの概念が欠落している。
もっと速く、もっと大胆に、もっと派手に。
薄くルージュをひいた彼女の唇が、ニヤリと歪んだ。
シェルビーが早めのブレーキング。
甘い。
ヒューガはまだブレーキを踏まない。
まだ。
まだ。
まだだ。
シェルビーのリアが近接する。
まだ。
まだ……ここだッ!!
「頼みますよ、エヴォーラ……!」
キィァアアアアアアアッ!!!!!!
ヒューガがかけたのはフットブレーキではなく、ハンドブレーキだった。
タイヤとアスファルトの摩擦音が轟き、白煙が巻き上がる。
ミラノ最速だったレオをも打ち破り、現ミラノ最速の女となったヒューガ・エストラーダ。
ロータス・エヴォーラとは、そんな彼女に支給された孤高のスーパーカーである。
耳を支配するのは、自らの鼓動だけ。
高鳴る鼓動がそれでもゆっくりに聞こえるのは、世界がスローモーションで動いているからだ。
タイヤを滑らせながらも、エヴォーラは一切減速しない。
ブレーキをかけたシェルビーと並ぶその瞬間、ヒューガはすでに愛用のレボルバー拳銃を手にしていた。
コーナーアウト側の右へ。
コーナーに突入するその直前、シェルビーの右隣へエヴォーラが並ぶ。
銃を構え、狙う。
撃つ、撃つ。
二発。
シェルビーの右前タイヤ、右後タイヤ。
パス。
シェルビーを追い越す。
コーナーへ。
ハンドルを目一杯左に切りながら、一気にアクセルを踏み込む。
ドリフトの姿勢に入った。
反時計回りに車体が回り出す。
カウンター。
左に切ったハンドルを右へ切り返す。
エヴォーラのテールランプが、壁面ギリギリをかすめながらコーナーを抜けて行く。
そのドリフトはある意味で、一種の芸術作品だった。
わざとオーバーステアリングして180度回転させ、コーナー上がりの対向車線でエヴォーラは停止する。
ヒューガはすぐにヘアピンへ目を向けた。
次いでヘッドセットをオンにする。
「左ヘアピンで右タイヤを失うとどうなるか……レオさん、想像できますか?」
《左に曲がれずにガードレールへドン……か?》
「ふふっ、大正解で…」
バギィッ!!!!!!!!!!!
遅れてヘアピンへ入ったシェルビー。
ヘアピンのガードレールへ正面衝突、までは良かったのだが。
シェルビーはガードレールを突き破り、アスファルトで固められた丘肌を転がり落ちていく。
最下部、下段の道路に転がった次の瞬間、火花がガソリンに引火して火柱が上がった。
立ち登る黒煙は、丘上のヘアピンで唖然としていたヒューガの目にも映る。
「……あちゃー……ですね」
《今どき『あちゃー』なんて口に出すのお前くらいだぞ―――》
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