第4話

2、



 わたしはいつの間にか眠っていたようでした。目を覚ますと、ここがいつもいる自分の部屋ではないことに気づきました。なんだか光がおしゃれな青色で、うす暗い照明だったのです。ここは自分の部屋ではない。それではいったいだれの部屋にいるのだろうか? そもそもここは部屋なんだろうか? 空間、といった方が正しいかもしれない。空間。だって、がらんとしているし、わたしが横たわっていたベッドのようなものだって、なんだか変な感じだったのです。ガラスでできた透明な棺、のようなものでした。どこからか水音が聞こえてきます。外の匂いがしました。この空間は外へつながっているんだ。わたしは風の匂いを感じながら、花の香りを嗅ぎました。たくさんの花束を受けとったときのような、芳しい香りです。外、外はどこかな。わたしが壁の前に立つと、壁が無音でなくなってしまい、わたしは驚きを隠せませんでしたが、無表情を装って、とりあえず外に出てみました。外は意外と広かったのです。足元を水が流れていました。足首まで浸かるほど水位がありました。冷たすぎることもないし熱すぎることもない水でした。色とりどりの花びらがいくつもいくつも浮かんでは沈んでどこかへ向かって流れて行きました。遠くでアロマキャンドルが無数に配置され炊かれていて、癒しの空間のような印象を受けました。ここはどこなんでしょうか。それはわかりません。ただ音楽がどこからともなく静かに流れていて、それがとても耳に気持ちが良かったのがわたしは居心地がよかったのです。どこまでも続いていく、花の浮かんだ水面の続く平坦な世界。まわりは外気が流れるたぶん自然な世界。水の端まで行けたら外がどうなっているのかわかるのだろうけど、そこまではとてもじゃないけど行けないくらい本当に広い空間なので、わたしは水音を静かに立てながら、そっとひとりでどこまでも歩きました。

 ずっと遠くの方で、うす暗い闇のなかを照らすように赤や青や白や黄色のひかりが、不意に点滅しています。不規則に瞬くそれらはいったいなんなのでしょうか。花火ではなさそうです。信号でもなさそうです。人工的で、なんの意味があるのかは不明でした。

 しばらく歩いていると、悲しみが胸のなかに溢れてきました。鬱のようですが沈みこむ鬱よりももっと感情的で惨めななにかでした。わたしは泣きたいの? どうして? 自分に聞いてみても、よくわからなくて、ただ、もう二度と元の世界には戻ることはないんだろうなという諦めが心のなかで新しく生まれてきたのでした。

あたりには音楽が漂いはじめました。剃刀があれば。手首を切って死ねるのにな。わたしは自殺のことを考えました。わたしの手首から流れる真っ赤な血潮。とてもきれいな鮮血が、水に溶けて薄くなっていくところを思い浮かべます。切り傷が痛んでわたしは早く意識を失ってしまいたいと思うでしょう。先に睡眠薬かなり強いやつでも飲んでおきたい。眠るように死んでしまいたい。でもこんなに素敵な場所で人が突然死んでいたら、他の人が、例えば次にこの場所を訪れた人がかなり驚くだろうなと思いいたって、なんとか違う考えをするように努めることができました。

 もう嫌になりました。わたしは身体が濡れるのも構わず、水面に横たわりました。着ていたワンピースが水気を帯びていくのがわかります。長い黒髪が水を吸って重たくなる気配もしました。どうでもいい。眠ってしまいたい。わたしは横になって空を見つめました。真っ暗闇で星も見当たりません。吸い込まれるような漆黒の空。見ているだけで、気が遠くなりそうなほど遠い夜空。流れている花びらたちがわたしにぶつかってくるくるとまわっています。わたしは邪魔なんでしょうか。だれに気兼ねしているのか自分でもわからないけど、そんな風に感じます。わたしはここでは明らかに異質な存在でした。ここにいてはいけないのなら、わたしはどこに行けばいいのでしょう。どこにだって行けるけど、きっと本当はどこへもいけないんだ。わたしの人生ってきっとそうなんだ。そう思うと、閉じた瞼から、涙が零れました。


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