第2話

 


 雪が降っています。辺り一面本当に真っ白いふわふわの美味しそうなバニラアイスが積もっているかのように、わたしには見えました。田んぼの土はさながらチョコレートケーキのようで、ちょうどダイエット中だったわたしにとって、強い誘惑となって、ずいぶん苦しみましたよ。アイスクリームが食べたいなあ、なんて思っていたらアイスの自動販売機を見つけてしまったのですが、未練がましく視線をじっとやって一瞥しただけで、買いはしませんでした。偉いでしょ? あと15キロくらい痩せたいんです。どうしても。

 吐く息は白く、歩く足はだんだん暖かくなっていきます。わたしにはわかっていることがあります。今家に一緒に住んでいる父親は、本当の父親ではないということが。大体顔が似ていない。母親の血は確かに感じるのに、よく見ると父親には全然顔が似ていないのです。父親にわたしたちは血が繋がっていないの? なんて恐ろしくてとてもじゃないですが、問いただすことなんてできません。父親がむやみやたらと怖いだけではなく、真実に向かい合う勇気も本当は持ち合わせていないのです。小さいころから父親だと信じていた人間が、実は赤の他人だったなんて、だれも信じたくないですよね? あなたは、だれなのですか? 父親ではなかったのに、ずっと父親のふりをしていたの? どうしてですか? 向こうだって、血が繋がっていないと言ったら、わたしが家出をしたり自殺を図ったりするんじゃないかと恐れているのでしょう。わたしたちはお互い小心者で、怖がりです。必要以上に話をしない仲だし、お互いに傷つきたくないのです。靴がきうきうと音を立てて真っ白でふわふわした雪を踏みつけます。わたしはどこまでも歩いて行きます。凍える寒そうな魚たちが気の毒になるような汚い川。真っ白な銀世界と化しただれもいない駐車場。ホワイトクリスマスを彷彿とさせる雪の積もった葉々のない樹木。滑らないようにゆっくりと走っていく車の通る車道。凍った水たまり。見慣れない街の景色を見たあと、わたしはうつむいて両手をポケットに突っ込みました。

 父親はわたしに厳しく接しました。わたしが悪いことをしたときは容赦なく殴りつけましたし蹴りましたし、大声で罵声を浴びせました。父親はわたしのことが憎たらしくて嫌いだから殴ったり蹴ったりするんだ。子どもながらにそう思ったことがあります。父親のことが憎くてたまらなくて、大嫌いでした。面長のわたしの顔には似ていない丸顔で、つり目のわたしには似ていないたれ目のその狡そうな黒い小さな眼でわたしを睨みつけながら拳を作り〈おまえは気が狂っている〉父親はあるときそう言いました。〈おまえはそんな感じだからもっと一生懸命人の何倍も努力しないと人から馬鹿にされるぞ〉低くどすの効いたうす気味悪い不快な声で。〈おれは気違いが嫌いなんだよ〉父親はそう吐き捨てました。そうか。お父さんはわたしのことが頭がおかしい子どもだから嫌いで、そのせいで愛されないのか。気が狂ってるわたしのことは、どうしても気持ちが悪いから、愛せないのだな。心の芯が痺れて凍りつくような拒絶の感情が、わたしの眠っている異常さを呼び覚ますかのようで、思わず頭を抱えて逃げ出したくなりました。大人になってわかったことでしたが、父親も精神病で密かに苦しんでいたようでした。まあそのせいでわたしに遺伝したわけではないんですけどね。キチガイによるキチガイいじめ。そうわたしは一人で呼んでいます。その父親が赤の他人だったとは。なんだか面白いですよね。わたしが信じていた家庭って一体なんだったのだろうって、思います。父親のふりをしてずっと一緒に住んでいたあの男はいったいだれなのか。暖かくはない、むしろ氷のように冷え切った家庭の正体を暴き、そんな幻覚を打ち壊したわたしは、たまらなく愉快でした。わたしたちは、家族ではない。赤の他人があたかも家族のふりをして一緒の一つ屋根の下に住んでいるのだ。父親も母もずっとわたしに今の今まで真実を隠し通しています。わたしにはバレていないと思っているのでしょうね。一生きっと黙ったまま、墓場まで持っていく秘密のうちの一つなのでしょう。わたしは気づかないふりをします。父親も母も、こんな真っ白な雪のなかに放り投げてしまって、深々と積もっていく雪の下じきになって、埋め込まれてしまえばいいのに。きっとなにごともなかったかのように雪だって振舞ってくれるでしょうから。

 空は鉛色に重たく濁って、苦しそうでした。粉雪は空を見上げるわたしの鼻先に触れて溶けて消えてしまいました。灰色のコートを翻して、黒い雪の溶けた後にできた染みが至るところにあるのを恥じました。粉雪はどんどん降ってきます。わたしはいったい本当はどこへ行けばいいのか。わたしに居場所なんてない。雪のように突然この世にやって来て、適当なところで溶けて消えていなくなってしまえたらいいのに。帰る場所があんな子ども部屋しかないわたしは、これからなにに期待してなにに希望を持って生きていけばいいのか。だれだってわかるようなことすら、今のわたしにはわからない。どうしていいのかわからない。わたしは、迷子なんだ。泣きそうになりながら、歩いていても、お金のないわたしには、どこかへ行くことすらままならないし、買い物もできないことに気づいて、そっと嘆息しました。

 


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