第5話【学園島の戦い】 - II(前)


## 07


 ユマの腹腔内で、何かが爆ぜた。


 不思議と痛みはなかった。


 ただ衝撃だけがあって、鉄の味は口いっぱいに広がって、気がつけばユマは倒れていた。


(あ……これは、もう駄目かな……)


 薄れゆく意識の中、ユマは微睡みにも似た闇の中へと沈んでゆく。それは、かつての温かな日常。まだユマが、「神竜の巫女」でいられた頃の夢の続きだ。


## 08


 ユマは見慣れた家の中にいた。ほんの数日前まで生活していた、ユマの生家だ。

 木造の広い屋敷で、約1000年前に建てられた神殿を模して作られたとされる。住んでいるのはユマと父と祖母の三人と、使用人が数人。


 窓から夜空を見上げると、そこには満月があった。


(……これは、あの夜の続きか)


 あの日、なにもなかったら迎えていたはずの日常。いつも通りの夜。


 ユマの足は自然と食堂へと向いていた。

 食堂の入口にはユマの亡くなる少し前の、母親の姿を描いた絵が飾られている。変わり者の転移者に描いてもらったものらしい。

 ユマには母親の記憶がなかった。この絵に描かれた、自分に似た女性が母親だと言われてもその実感はない。


「「「いと偉大なるものメイグラーヤの恵みに感謝を」」」


 食堂にはユマの祖母と父がいた。祖母は小柄ながらに厳格かつ折り目正しい人で、平生、ユマにとってはとても大きく見えていた――しかし今の彼女は相応に小さく見える。まるで、憑き物が落ちたかのような穏やかすら見てとれた。


 なにより驚いたのは、何気なく祖母が言った言葉だ。


「ユマ。お前はよくやったよ」

「えっ……」

「母親から継いだ巫女の役目をちゃんと果たしてくれた。だから、何も気に病むことなんてない」

「――っ」


 祖母の全てを見透かすような目が、優しくこちらを見つめていた。

 呆気にとられるユマに、父も言葉を投げかける。


「そうだぞ。ユマのおかげで、村のみんなも安心して日々を過ごすことができた。昔からの契約を守り続けることができたんだ。もう、十分に頑張った」


 ユマの父は村の長だった。彼より村人の感情を知る者もいない。ただの気休めなどではないことは明白だ。


 ――なにも、悔いることなどない。


 二人は、ユマにそう告げているかのようだった。

 しかし、その言葉を受け入れるわけにはいかない。神竜の巫女としての役目は果たせていたとしても、今のユマはもう、そうではないのだから。


「でも、私は……」


 自分の役目を示す言葉に詰まったとき、視界に入ったのは誰も座らない、自分の隣だった。そこにいるべき人の姿をユマは感じて、


「……でも、兄さんが。兄さんがまだ来てない。……私は、兄さんの妹、だから」

「ニールのことかい。……あの子は、二度とここには来ないだろ」

「そうだぞ。あいつはもう、私達とは一緒に居られないんだ」

「……っ」

「さ、冷めないうちに食べてしまいなさい」


 目の前の料理は作りたてのようで、湯気と芳香が漂っている。冷めないうちに食べるのが、礼儀というものだろう。

 現に、祖母と父はすでに食事を始めていた。米を噛み、汁物をすすり、おかずの餅を口に運ぶ。

 その姿を見て、ユマはつばを飲む。食欲が刺激されて、器を持ち上げて、箸を構えて……目の前に並んだ馳走の全てが、食べられたがっているように見えた。

 にわかに唾液が満ちる。


 ユマは口を開けて、


「いやだ」


 拒絶の意思を発した。


「やっぱり、兄さんがいないと、いやだ」


 神竜の巫女という役割のまま、それに殉ずるように死ねたなら、――ニールと再会することなく死ねたなら――きっとユマは心安らかにいられたのだろう。


 けれど、そうではない。


 ユマは今、己の役割を喪失し、なににも殉ずることができないまま、死の縁に立っている。20年ぶりに再会した兄の役に立つことさえ、できないままで。

 魔術の知識がないから、役に立てない。

 家事が得意でないから、役に立てない。

 戦いが特別得意なわけでもない。少し剣術を習って、それをそのまま演武として続けてはきたが、実践の経験は無いに等しい。

 ないものだらけの自分に、なにができるのか。どんな役割が与えられるというのか。

 このまま死ぬのはいやだ。

 だけど、何もできないままで、役割も持てないままで生きていくのは辛い。


 そんな時、ユマは一つの微かな声を聞いた気がした。


「誰か……助けて」


 それはやはり、夢のようなものだったのかもしれない。幻覚や幻聴のたぐいなのかもしれない。


 けれど、構わなかった。


(そうだ、私は……その、誰かになれば良かったんだ)


 簡単な話だった。神竜の巫女という務めのためなら、ユマは、どんなことだってやってきた。それは、ユマが務めを果たすことが、誰かの役に立つと信じられたからだ。

 ということはつまり、ユマは本質的に誰かの役に立ちたかったということで――そこに気付いてさえしまえば、あとの話はとてもシンプルだ。


 ユマは食器を置いて、立ち上がる。食堂を出て、玄関を開けるとそこには燃え盛る村があった。外へ踏み出さんとするユマの背に問いかけが放たれる。

 厳格さの中に優しさを含んだ声を聞いて、ユマは一度足を止めた。


「ここに留まる方が、幸福だったとしても、お前は行くのかい?」

「……うん」


 振り返らず、ユマは行く。


(助けを、求めている人がいるなら……)


 臓腑が爆ぜる。


(私は、その人を助けるために……)


 上半身と下半身がバラバラになる。


(立ち上がれる……!)


 体内に残留した徒花弾の破片が、急速に高まった魔力を吸い込んで、体内で断続的な爆発を引き起こしているのだ。


 しかし夢とうつつの曖昧な今のユマにとって、そんなことは些事でしかない。ゆえにこそ純粋に、願い、祈り続けられる。


 ――どうか私に、誰かを助けることが、できますように。


いと偉大なるMejgraajaものよgras


 口は自然と、祈りの言葉を紡ぎ出す。もはや神竜の巫女ではない彼女にとって、かつての祈りは不要。ゆえに紡がれるのは新たな祈り。


私のTein導き手よjelgonasこのLei手に《milaaf》光をhiele


私はTe竜の従者koskalmeaにしてja人を救う者nakolfont闇にIsedaf一筋の光差unohielemja嘆きを止めnakolfonanるがtelapin務めdjuuma


さもなくばJaganこのlei命にsjaada価値なしtlankampa


 何かに導かれるように、祈りの一節を紡ぎ終えたユマは告げる。ただ、そう在れるよう願って。


転成てんせい


## 09


 チャリアは見た。倒れ伏したユマの身体が、内側から次々に爆ぜるのを。そのあまりに異様な光景に、猫島が恐慌の声をこぼす。


「なァっ……!? な、なにが、まさ、か…………い、いい生きてるのか……!? そんな、ウソだ……」


 あたりに生暖かな血を撒き散らしながら、ユマの身体は踊るように跳ねて、爆ぜて、しまいには臍のあたりで胴が千切れた。健康的な色のはらわたがこぼれ出る。


 それなのに、ユマの口は言葉を紡ぐ。チャリアと猫島は、ユマの祈りを聞くよりほかになかった。この尋常ならざる事態の行く末を、見届けるしかない。


転成てんせい


 ユマが告げると、千切れた身体も、飛び散った血も、こぼれたはらわたも、すべてが光となり、魔力に変換された。


 ふわりと浮き上がるのはユマが持っていたミラクルステッキ。ステッキに取り付けられた宝石が翠の光を放ち、ユマの身体が変換された光と混じり合う。


 やがて、光は人の形を成した。


 そこに立つのは、紛れもなくユマだ。しかし、以前とは服も雰囲気も違う。纏う衣装は「神竜の巫女」からの脱皮を示すように祭祀衣装を半脱ぎにしたようなデザインのもの。

 何より違うのは、剥き出しになった彼女の背だ。そこには一対の竜の翼が生えている。


 ポニーテールでまとめられた長い髪を風にはためかせ、ユマは目を開いた。その瞳に縮こまるチャリアの姿を収めて、少し気恥ずかしそうに微笑む。


「……聞き間違い、かもしれないんだけど……『助けて』って、聞こえたから、だから……私に、あなたを助けさせてほしい………………ダメ、かな?」


 否定できるはずがなかった。生まれたばかりの赤子のような、心細げな笑みに否定を返すのは、あまりに残酷だと思ったから。そして、助けを乞うたのは紛れもなく事実だったから。


 こく、とチャリアがうなずくとユマは跳ぶ。翼をはばたかせての跳躍は風を生んだ。そのまま銃を構える猫島の眼前に現れ、銃の先端を掴み、上へ向ける。驚愕に染まる猫島の顔に、空いた片手で下からのアッパーを食らわせた。


 猫島の銃を持つ手が緩む。ユマは後退して跳躍、横方向の回転蹴りで銃を弾き飛ばした。


 猫島が倒れる横でユマは着地して、チャリアに確認をとる。


「……とりあえずこれで、助けることはできた、かな?」

「――、はいっっ!!」


 チャリアは大きくうなずきを返した。

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