第5話【学園島の戦い】 - I(後)
## 05
指先を猫島へ向けて、
「逃がしませんよ、転生能力者」
と宣言したチャリアはさっそく行動に出た。猫島の返事を待たずして、一時的な眩暈を引き起こす術式を発動する。
猫島へ向けられた指先を、チャリアは勢いよく天へ向けた。術式が発動する。その瞬間、猫島は立ちくらんだ。
「――っ?」
「とても微小に、ですが。眩暈を起こしました」
両手で印を組んでは解き、組んでは解きを繰り返しつつチャリアは告げた。その手に先ほどまで握られていた杖はない。
「……う、なにこ――レぇッッッ!?」
杖は術符の補助もあって狙い誤たず、猫島の頭に激突した。くるくると回る杖の先端に頭をぶつけ、猫島は今にも倒れそうである。
しかし、それでチャリアの行動は終わらない。
一通り印を結び終えたチャリアは、帽子の中から術符をさあっとバラ撒いて詠唱を開始する。力強い、肌をビリビリと震わせる発声で、
「半径三尺、球状に領域確定。
一秒につき一時間の時間経過を承認。
以て領域の性質はここに定められる。
境界を成せ、十と二つの影法師。
天には昇らぬ。地には潜らぬ。
在る場所に在るがままに留まる。
天地の狭間で惑い遊ぶ魂一つに私は道を示す。
浮遊する心に抗う術なし。
困惑する肉体に捕える力なし。
かくて、魂は招待状を手に、秘匿祭祀場に入り込む」
――パンッ。
一拍。
「ようこそ、
その言葉を最後に聞いて、猫島はパタリとその場に倒れた。
## 06
目を閉じて、チャリアは知覚する。【
「ん……エッ!? ど、な、どこ……なにが起きて……」
目を覚ました猫島は困惑していた。
そこは先程までの快晴の街中ではない。
「部屋……?」
猫島がいるのは、かわいらしいぬいぐるみや色鮮やかなカーテンに彩られた部屋だった。全体的に、所謂「女の子の部屋」といった雰囲気が漂っているが、ただ一点、本棚だけはこの場の雰囲気にそぐわないものとなっていた。
「……これって、もしかして魔術書……? もしかしてここ……」
「はい。私の部屋を模した空間です」
チャリアが肯定すると、猫島は驚いたような表情を浮かべ、周囲を見回した。扉はない。窓もない。8畳ほど広さの部屋だ。
「しばらくの間、ベッドの上で寝てるといいですよ。そちらの一時間は外ではたった一秒。暇をもて余すはずですから」
「ふうん?」
「魔術を学びたければ学んでも構いませんが、脱出の手掛かりには決してならないと伝えておきます」
「忠告どーも」
チャリアの被る帽子は、全国術式大会優勝者に贈られるものだ。それに込められた術式【
しかし、これを改造することで作り出された【
(本当は自分が内部の加速時間内で色々やるために作ったんですけど……案外、戦いにも使えるものですね)
術式がちゃんと動作していることを確認したチャリアは意識を完全に外へ向けた。
杖を回収し、抜け殻になった猫島の身体を肩で担ぐ。
(……とりあえず、この人はどこか適当なところにでも拘束しておくか。一応手首くらいは縛った方がいいかな)
チャリアは猫島の手首にペンで図像化された術式――術式陣を書き込む。時間はかかるが、声を張って詠唱するより、こうした方がチャリアの性に合っていた。
(こうしておけば、一度術式を解かれても発動し直せばいいだけですしね)
「よし。片手分終わり。んしょ――」
ストレッチのために立ち上がった、その時だった。
チャカ。
「動かない方がいいよ」
なにか硬いものが背中に押し当てられている。チャリアは息を詰まらせて、先ほど聞いた声を脳内で再生する。
それからチャリアは意識を【
――ありえないことが起きている。
「助かったよ。魔力に満ちた環境にボクを連れてきてくれて」
ベッドの上で寝転がりながら、内部の猫島が言う。
「おかげでこうして、肉体の再生を速めることができた」
チャリアの背に銃を突きつける何者かが言う。その声音は猫島のものと完全に同じだ。
「「――理解できないでしょ? 何が起きてるのか」」
【
外界から隔絶した環境にいるはずの魂が、明らかに外部の様子を認識している。時間の流れが違うのに、二人の言葉はそれぞれが適切なタイミングで発されている。
それはつまり、
「魂の、完全共鳴……?」
完全に同一な2つの魂は一切の減衰がなく情報の送受信を行う完全共鳴現象を起こすと魔術理論の教科書には書かれている。しかしそれは、摩擦抵抗のない床や完全弾性のボールのように、あくまでも理論上の存在。たとえ肉体の遺伝子が同じであろうと、魂が完全に同一であることはありえない。
しかし、チャリアに銃を突きつける猫島はあっさりと肯定する。
「うん。そう言うらしいね。ボクたちのこれ」
だとすれば、可能性は一つだけだ。
「なるほど。元は一つだった魂がこちらに来る際二つになり、完全共鳴現象によってその同一性を保ち続けている……ということですか。つまりあなた達、いえ、あなたは一人であり二人! 二人であり一人!」
「よくわかんないけど、多分そういうことだよ?」
「へぇ……いいですね。面白い。興味深いです」
やや興奮した様子で拳を握るチャリアに、猫島は呆れた様子で言う。
「…………背中に押し当てられてるの、何か分かっていってるのかにゃ?」
「もちろん。銃ですよね? 実物を押し当てられるのは初めてですが……」
「ボクも、誰かに銃口を押し当てるのは初めてだよ。ねぇ、取引しない?」
「と、言いますと?」
「君は死にたくない。ボクは殺したくない。お互いの利益は一致してる。だから、もう一人のボクの魂を解放してほしい。そして、ここから逃してほしい」
「そういうのは、取引じゃなくて脅迫って言うんですよ。翻訳術符、ちゃんとつけてますか?」
「付けてるから、こうやって交渉できるんじゃにゃいの」
「その術符、壊れてますよ。時々、思い出したかのようにヘンな発音が挿入されてますから」
「……………………あのさぁ、」
「殺したく、ないんでしょう?」
「――ッ。だ、だからって殺さないとは限らないよ……? やりたくない指示に従う理由なら、あるんだから」
「そうですか」
(時間稼ぎも、もう十分でしょうか)
「ところで、猫耳の人。あなたは見ていたはずですよね? 私が【
「……? それがなにか?」
「いえ、あの時術符をばら撒いたと思うんですけど、何枚撒いたか、数えてましたか?」
「…………?」
「実はですね、13枚撒いてたんですよ」
「だから?」
「【姫の
「…………まさか」
「さて、では残る一枚はどこに行ったでしょう?」
タタタタタタ――と屋根上を駆ける音が迫る。
「助っ人か……!」
猫島の注意がその後ろ、足音の方へと逸れた。チャリアはすかさず短縮詠唱を呟きながら脛に軽く蹴りを入れた。どんなに軽い衝撃でも、一時的に衝撃がよく通るようになる術式だ。骨の芯によく響くことだろう。
「浸透」
「い――ッ!?」
そのまま、チャリアはバランスを崩して倒れ込む。堪えることもできたが、あえてそのまま倒れることにした。その判断が功を奏した。
「ハァァァァァァアアアアアアアア――ィヤァっ!」
屋根上を駆けてきた魔法少女姿のユマが
「――――ッ」
猫島の体はチャリアの上を通り、吹き飛ばされた。屋根上を転がって、止まる。
チャリアは、【
立ち上がって、ユマに礼を言う。
「助かりました。ありがとうございます」
「兄さんが危ないって言われたらそりゃあ、すぐに来ますよ。……正直、アレは二度と御免だけど」
「大丈夫ですって。私が使ってもちゃんと無傷だったので」
「そういう問題じゃ……で、兄さんは?」
「それが、どうも向こうの路地のあたりで反応が途切れたんですよね。盗聴術式を解除されたわけでもなさそうですし、何か良くないことが起きてるのは間違いないはずです」
「なるほどね……え? なに、盗聴?」
「とりあえず、拘束が済んだらこの人の魂を一旦解放しますね。どうやら魔力を横領してるみたいなので」
言って、チャリアは目を閉じた。拘束するための詠唱を数節唱えて、魔力で生成した手枷で猫島を拘束する。それから帽子に手を当てて、
「解放。演算終了」
「――――っ、うっ」
チャリアのそばで座らされていた猫島が目を覚ます。立ち上がろうとする猫島だったが、猫島の向かって正面にユマが立ち塞がる。
チャリアは帽子を深めに被り直して、片手に杖を構えた。
「……さて。それじゃあ教えてもらいます。師匠に何をしたのか」
「えぇっとお、」
猫島は前を見る。ユマが猫島を突きでふっ飛ばした棒を構えていた。猫島はため息をついて、
「…………分かった。話すよ。仕方ない。まったく、まさかこんなことになるなんて……仕事っていうのは、楽じゃないね」
「仕事?」
「そう。仕事。と言っても、報酬のはお金だけじゃないんだけどね。例えばそう、意識不明の人を目覚めさせてくれる、とか」
「何を言って…………、っ?」
ヒュン。
空気を切る音がした。
水音とともに、ユマの口から血が流れ出る。
「あ、え…………?」
吐血は止む気配がなく、ユマは何が起きているのか理解できないといった様子で自分の赤く染まったを眺め、咳き込んだ。
血が、飛び散る。
「なん、で――ッ」
びくん!とユマの体が大きく跳ねる。くぐもった爆発音をチャリアは耳にした。
ユマは慌てて口を塞いだのか、頬をいっぱいに膨らませて――やがて噴水のように血を吹き出す。鮮血は周囲に、雨のように降り注ぎ、猫島とチャリアにもかかる。
ユマは口から血を吹き出しながら、斃れた。
そして、チャリアは見る。
倒れるユマの背後、そこに立つ猫耳の少女の姿を。
「……質問に答えると、ボクたちが使ったのは徒花弾っていう魔力を食らう弾丸で……限界まで魔力を食らうと、爆発するんだ」
銃を構えて、猫島は淡々と告げた。
「本当は、殺したくなかった。でも、母さんを目覚めさせるためだ……!」
震える手で、猫島は発砲する。狙いが逸れて、銃弾は拘束された猫島の猫耳を貫通しただけだった。
「ぐ――っ!」
猫島は顔をしかめた。それでも銃を放そうとはしない。
「今度こそ、取引だ。殺すよう言われてたのはそのエルフの女の子だけ。君はそういう対象じゃない」
「だから、こ、拘束をかァ、か解除しろって、言うん、ですか?」
「このままこっちのボクが一人で逃げても良かったんだけど、痛めつけられるのも嫌だからさ。なるべく回収しときたい」
「……ね、狙いが外れてまた自分に当たるかも、しれないのに?」
「死ぬのも銃に撃たれるのも、ボクにとってはどうってことない」
猫島の目には覚悟が宿っていた。これまでの言動からは考えられないような気迫。それに当てられて、チャリアは身を竦ませる。
鼻を突く血の臭いと、向けられた銃口。チャリアはここに来てようやく、ニールに弟子入りしたことの意味を理解した。
(これが、【勇者連合】と戦うということ……)
緊張のせいか、足の感覚がない。どこまでも希薄になる現実感の中で、チャリアは息を詰まらせた。
【
「誰か……助けて」
掠れた小さな声でチャリアは呟く。呟いてしまう。
不意に出たその言葉が、自分の本音に相違ないと、気付いてしまったから。
「くっ……うぅ…………」
溢れ出る涙は慚愧と失望から来るものだった。自分には出来ることがある――そんな、無邪気な思い上がりをどうしようもなく自覚してしまって、チャリアは嗚咽を大きくする。
止まらない、止められない。まずい。
焦燥する思考を止めたのは、一つの、くぐもった爆発音だった。
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