第5話【学園島の戦い】- (序)

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 朝の光でユマは目を覚ます。寝ぼけ眼をこすって、窓から一階へ降りて浴場へ。以前ならば桶に汲んだ冷水をかぶって眠気を払っていたところだが、ここで暮らすようになってからはシャワーで済ませることにしている。


 冷水を浴びて、身体を拭いて、それから思い切り伸びをする。


 ここまでやってようやく、ユマは朝が来たという実感を得た。


(……それにしても、兄さんは何を隠そうとしているんだろう。シャルマお爺ちゃんがどうなったのかを、なんで話さないままで……)


 結局、聞き出せぬままに5日が経過した。何度か「ニールが単に話し忘れているだけ」という可能性についても検討したが、そのたびにユマは「それはありえない」と結論づけた。


 ニールは話すべきことを話し忘れるような人ではない。ユマはいつだって、そう信じ切っている。


 だからこそ、ニールに疑念を抱くことになってしまった。


「…………うわぁ」


 暗い気持ちを抱えてユマが居間に行くと、そこには混沌があった。


 モノが少なく、整理整頓されていたのも今は昔。食卓として使われる縁側のテーブル周辺を除いて、紙や本や筆記具が散乱しているような有様だった。しかも、床の上や椅子に座りながら眠っているのが複数人。うかつに足を踏み出せば、何かしらを踏んづけてしまいそうな状況である。


 なぜ、こんなことになってしまったのか。ユマは主犯であるサイカに目をやった。


 サイカは縁側の反対にある窓辺のテーブルに突っ伏して眠っていた。彼女の頭の近くには小型の打鍵術機ワードプロセッサーが開きっぱなしのまま置かれている。きっと、夜遅くまで原稿を書いていたのだろう。


 サイカの向かいには、子供のように背丈の小さな少女が同じように突っ伏して眠っていた。しかし驚くべきことに彼女、ノギは小説家であるサイカの担当編集者であり既に成人している。呪いのせいで体の成長が止まってると本人は主張しているが、真偽のほどは不明である。


 二人の近くにエナジードリンクの缶が2、3本転がっているところを見るに、相当な修羅場だったのだろう。


 この件に関して、ユマははじめこそ気負いのようなものを感じていた。しかし真相――サイカは何ヶ月も前から締切を告げられていたにも関わらず、1枚も原稿を書いていなかったのだ――を知ると、すぐに自業自得だと思い直した。


(あれ……? 毛布がかかってる)


 散乱する小説の資料や本などを拾い、テーブルの上に載せている途中、ユマは気づく。二人に毛布が掛けられているということは、斎賀が既に起きているということだ。この家でこの時間にそんなことをするのは、彼以外に考えられない。


「……やっぱり、すごいな」


 この家のことは彼がほとんど一人で全てをこなしている。ユマは斎賀のことを尊敬していたが、ため息混じりに零したその言葉には嫉妬や羨望の色が含まれていた。


 村にいた頃は、そんなことを思うことなんてなかった。神竜の巫女という、重大な役割があったからだ。けれど今は、何もない。


 【勇者連合】との戦いに向け、準備は着々と進んでいる。しかし、「ユマにしかできないこと」はそこになかった。はっきりとした役割を失い、その上村を滅ぼした張本人はすでに死んでいるのだから、復讐に心燃やすこともままならない。【勇者連合】がどんな悪行を働いていようと、どこか冷めた目で見る自分がいて、憎悪に心染めることもできずにいる。


 ここ数日、ユマはそんな、宙ぶらりんの状況から来る、言葉にできないもどかしさに苛まれていた。


 ユマが二度目のため息をつこうとしたその時、背後から大きなあくびが聞こえてきた。


 振り返ると、縁側方面では黒髪痩身の男が、大きく伸びをしていた。男は開いているのか閉じているのかよくわからない細い目をユマの方へと向けて、挨拶する。


「おお、你早おはよう、ユマちゃん」


「おはようございます。ハオランさん」


 ハオランはニールの仲間の一人だ。ニール曰く「気のいい奴」とのことらしいが、出会って一晩しか経たないので、ユマは彼のことをよく知らない。温和な性格のように見えるが、どことなく掴みどころのない雰囲気があり、率直に言って、不気味という印象を拭い難い男だった。


「なんでこんなところで寝ていたんですか」


 人数分の布団があるとは言えないが、なにも床の上で眠ることはないのに、とユマは暗に告げる。それに気付いてか否か、ハオランは爽やかな笑みで言った。


「好きなんだ。固い床の上で寝るの」


「…………とりあえず、ここで眠るのはやめた方がいいと思いますよ……?」


「そうだね。注意するよ。……ところで、昨日来たときから気になってたんだけど」


 ハオランは壁に背を預けてすぅすぅと眠る、つばの広いとんがり帽子――ちょうど、魔女が被っているような――を被った銀髪の少女、チャリアの方を見た。


「彼女の後ろのあれは、大丈夫なの? なんかすごい落書きっぽいけど……」


 ハオランが言っているのはチャリアが背を預けている壁――そこに描かれた術式陣のことだ。


 チャリアはオオカワ南部にある聖流院セイリュウイン魔術学園の学生だ。人間の学生ながらも高い術式構築力を持ち、全国術式大会・種族混合の部での優勝経験を持つ。より多くの知識、経験を積んでいる長命種(エルフなど)が有利となるこの種族混合部門で、齢17の人間ながらに優勝を掴み取ってみせた功績により、彼女は稀代の天才と称される。


 その稀代の天才はどこから話を聞きつけたのか、自らこの家を訪ねてきたのだ。


「私、昔から転移者のことは色々調べたいと思ってたんです! 是非に協力させて下さい! というか弟子になります! 師匠!」


 と、半ば強引にニールに詰め寄って無理矢理承諾させたのが3日前。


 以来、チャリアは学園の寮をこっそり出て、ここで寝泊まりをするようになった。弟子は可能な限り師匠のそばにいるものです――とは彼女の弁。


 ちなみに、聖流院は厳しい校則で知られる名門校である。無断外泊などしようものなら、厳しい処分が下されることは想像に難くない。


 ゆえに寮母が見回りに来る時間になると、目覚ましアラームとしての機能を持った頭の帽子が鳴り響き、


「わ、やっばバレる! バレる!」


 と、チャリアは大慌てでその身を翻して術式陣の描かれた壁の中に消えていくのだ。


「あの術式陣、寮の部屋のベッドに繋ってるらしいです。それで、寮母さんの目を誤魔化してるんだとか」


「……僕が言えた話でもないけど、ベッドで眠ればいいのにね」


「本当にそうですね」


「ところで、ニールはどこに?」


「兄さんなら、たぶんまた調べ物をしに……」


「さっき、聖流院学園に向かいましたよ」


 と、答えたのは台所から来たエプロン姿の斎賀だ。


「ん? なんで学園に?」


 ハオランの問いに斎賀は水に濡れた手をエプロンで拭いながら答えた。


「学園の図書館は一般開放されてて、しかも市営図書館より術式理論関連の専門書が豊富だからって……よくわかりませんけど、敵の能力者の能力を分析するためらしいですよ」


「異能の力っていうのは基本的に、魔術と同じですからね〜」


「ぬわっ」


 ユマ達三人の背後から会話に参加してきたのは、寮に戻ったはずのチャリアだった。彼女は壁から首から上を出した状態で。


「あ、すみません。面白そうなお話をしてたので、つい」


「そ、そう」


「で、異能の力についてですが、皆さんは、異能の正体はなんだと思いますか?」


 三人は少し考えて、それぞれ別の答えを言う。


「……たしか、肉体に刻まれた魔術だって、兄さんは言ってた」


「うーん、脳の秘められた力……じゃないですよね」


「修行によって獲得されるスーパーパワー!」


 それらにうんうんと頷いて、チャリアは話す。


「一番事実に近いのはユマさんの答えですが、お二方の答えも間違いではありません。異能獲得の要因は様々ですからね。


 血に刻まれた術式や個人の想念による魂の変質、神獣と呼ばれる特定魔術生物種との接触、あるいはただの偶然……などなど。生まれつき獲得してる場合もありますし、何かのきっかけに覚醒することも、修行の末に魂が変質して獲得、ということもありますから。もっとも、修行すれば誰でも、とはいかない代物なのですが」


 だから、師匠の転生機はまさに世界をひっくり返すような大発明なんですよ――とチャリアは補足した。


「話を戻して、現代魔術学の観点から答えを提示しますと、『異能とは、個人に発現した超高度魔術式群の総称』です。通常の魔術式同様に魔力を主なエネルギーリソースとして、しかしその一方で通常の魔術式と大きく異なる点が一つ。使用者は例外なく、感覚的に異能を扱えるんです。


 どんなに複雑な魔術でも、さながらよく使い慣れた術符や術機を扱うように。


 で、裏を返せばそれは、異能を解析し、理解さえすれば、ただの術式として、万人に使用可能なものにできるということにもなります」


「そんな都合のいいことが本当に……?」


「ええ。例えば、フジワラの皆さんにとっては必須の翻訳術式、それがその一つです」


 と、チャリアが斎賀の胸を指差して言った。その服の下には翻訳術式が刻まれたペンダント型の術符がある。


 これがあるから、斎賀はこの世界の人々と言葉を交わすことができるのだ。


「まあ、その翻訳術式は異能の力をなんとか術式化したというだけのもので、魔術理論的には説明がつかないところも多いのですが……っと、友達が呼んでるので失礼しますね」


 右手を軽く振って、チャリアは壁の中に首を引っ込めた。


「なるほど。……しかし、大量の魔術理論を頭に詰め込んでるはずのニールがわざわざ図書館に行ってまで調べものをするなんて、随分と厄介な能力者に遭遇したみたいだね?」


 ハオランがユマに顔を向けて言った。心当たりはないかと、尋ねるように。


「ええ、まあ……」


 ユマの脳裏に浮かぶ心当たり、それは村が滅びた晩、村を焼き尽くした下手人を無理矢理自死させた白スーツの男だ。


「能力が恐ろしいのもそうですが、あの立ち振る舞い、気配もなく接近する身のこなし、敵である私たちの目の前で土下座してみせる根性……能力を抜きにしても、厄介な相手だったと思います…………」


「うーんそう見るのかあ。ユマちゃんって、思ったより面白い子だね」


「え?」


## 01


 オオカワ南部にある聖流院魔術学園は5つの区画島からなる、都市内包型の巨大な教育・研究機関だ。5つの区画島にはそれぞれ特色があり、次のように呼ばれる。


 経済と商業の島――サテルニア島。


 教育と継承の島――ツギクラ島。


 探求と啓蒙の島――ポルフェウ島。


 研究と研鑽の島――ガクジ島。


 検証と儀式の島――カミスカラ島。


 カミスカラ以外の四島は外部の者の出入りは特に制限されておらず、とりわけサテルニア島とポルフェウ島は学園側の許可なしに出入りが可能となっている。


 サテルニア島は商業活動の活性化のため、ポルフェウ島は知識の一般開放のため、というのがその理由だ。


 ニールは今日、ポルフェウ島にある大図書館を目当てに聖流院学園を訪れていた。その道中、ポルフェウ島の隣に位置するサテルニア島の閑静な街中を歩きながら、ニールは思考する。


(あの男……ヘルフレイムとかいう炎使いを自死させた男の能力はなんだ……?)


 このところ考えているのは村が滅んだ夜、ヘルフレイムの勝手な行動に憤り、仲間だったはずのヘルフレイムを殺してみせたスーツ姿の男――酒井のことだ。


(無条件に他人を操れるのなら、あの時オレやユマを操って自殺させようとする、くらいのことは出来たはずだ。なのに、そんな素振りはみせなかった)


 つまり、そこには何か理由があるはずなのだ。ヘルフレイムは操れて、ユマとニールは操れなかった理由が。


 そのヒントを手にするためにニールは魔術理論を学び直していた。人の手でデザインされた能力ならば、それは既に確立した魔術理論による裏付けがされているはずだ。


(あの男が天然モンだとしたら、その時はお手上げだが、はじめから諦める理由にはならねェし……)


 と、考えていてふと、ニールはサテルニア島の街並みに目をやった。


(にしても、ここは何年経っても変わらねぇな……人間主体の学園だっていうのに、オレが通ってた頃となんにも変わらねぇ)


 現在のニールの基礎をなす論理的な思考、研究の方法――そういったものを彼に授けたのがこの聖流院魔術学園だ。卒業まで片手で数えられるほどしか入ることを許されなかったカミスカラ島を除けば、ここはニールにとって庭のようなものである。


 わざわざサテルニア島から学園に入り、ポルフェウ島に向かっているのだって、その方が近道だと判断してのことだった。しかし、いざ中に入ってみれば懐かしさで足が止まることも一度や二度では済まない。


 ちら、と魔術道具店を覗いてみると、年相応に老けた同窓生の働く姿を見ることができた。声の一つでもかけたいところだったが、


(つっても、向こうは分からねぇよな……なんせこれなんだから)


 組む腕を少しだけ上に上げて、豊満な胸を押し上げてはため息をつく。


(この体になってから、そろそろ一週間か。男として、色々やってみたいところではあるが……ユマが近くにいるうちは無理だな)


 と、至極真面目な顔で思春期の男子高校生のようなことを考えていた時だ。


「ねぇねぇっ。そこのおねーさんっ!」


 横からニールに声を掛ける者がいた。ちら、と見ると声の主は裏路地の前で手招きして、スカートの裾をつまみながら甘ったるい声で誘惑するように言う。


「ボクと、イイことしない?」


 声の主――セーラー服姿の華奢な少女はぴくっと猫耳を動かして、いたずらっぽい、挑発的な笑みをニールに向けた。


(明らかに罠だ。だが……)


 ちら、とニールは同窓生の姿を見た魔術道具店に目をやる。その一瞬でニールは答えを決めた。


「楽しませてくれるんだろうな?」


 ニールは、少女に誘われるままに裏路地へと入っていく。他の島と違い、サテルニア島は無計画に建物が建てられていったので、島中に人の目が届きにくい裏路地が点在している。ニールが誘われたのも、その一つだ。


「で? なんの用だ、転生能力者」


 ニールは壁に寄りかかり、端的に尋ねた。


 少女は、頭の上に立った2つの猫耳をピクッと反応させた。


「にゃ? なんのことかさっぱり……」


「獣人ならしっぽが生えてるはずだ。だが、お前にはそれがない。ということは……」


「そういうナリの転生能力者だって? いやぁ、うん。バレるの早いにゃあ……」


 少女はおもむろにスカートのポケットからサイレンサー付きの拳銃を取り出して、両手で構える。


「【勇者連合】、SCスーサイド・TMトランスミグレイター猫島ネコジマ紗衣サエ。――よろしくね、メアリ・フジワラさん?」


 宣言から間髪入れず、猫島は引き金を引いた。小さな銃声と共に、ニールの頬を銃弾が掠める。頬に一文字のかすり傷ができ、つうっと血が流れ落ちた。


「無駄だ。オレは…………っ?」


(どういうことだ?)


 ニールの能力、【不変にして不滅】は端的に言って、不老不死を実現する能力だ。どんなに些細なものでも、肉体への損傷は即座に再生が始まり、もとに戻る。


 しかし、銃弾によって作られた頬の傷は一向に再生する気配が見られない。ニールの頬から血が滴り落ち、服に丸い染みを作る。


徒花アダバナ弾。詳しい原理は知らないけど、君のために作られた弾丸らしいよ。開発担当がこだわりにこだわって、本来3日だったところを4日かけて完成させたものらしいから、ようく、味わって欲しいな」


(なるほど。周辺魔力を食らい、再生を阻害してるのか……魔力を無意味に食らう――それゆえの『徒花弾』。味方の能力者にとっても害になりかねないってのに、随分と思い切ったもんだ)


「へっ。だが、所詮は時間稼ぎ。そんなもんじゃ――」


BLAM!BLAM!BLAM!BLAM!BLAM!BLAM!!!!


 滝のような銃撃だった。劈く轟音の中、裏路地の入口側から放たれる弾丸は絶え間なくニールと猫島の肉体を頭から順に貫き、穿ち、上半身の殆どを蜂の巣へと変える。頭部に至っては、もはや原形をとどめてすらいない。


 その自重という言葉を知らないかのような銃声は島中に響き渡ってもおかしくないものだった。にも関わらず、それを目にした者はたった二人。凄惨な光景を生み出した張本人たちだけだった。


 惨劇を隠蔽したのは村の周辺に配されていたのと同様の、術式が込められた小石による簡易的な隠蔽結界だ。


 その内側、境界ギリギリに立つのはミニガンを構えた筋骨隆々とした男と、その横で頭を抑え苦悶の声を漏らす猫耳の少女――猫島紗衣だった。


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