第4話【胸に秘めるもの】・後

## 06


 オオカワにあるチガノ新聞社、そのオフィスの一角、来客向けの小さなスペースには妙になごやかな雰囲気が漂っていた。ともすれば、花畑のただなかにいるのかと錯覚しそうになるほどに。


「――では、情報公開のタイミングはそちらに一任するよ。一番隠したいのは、村の生き残りであるユマがここにいることだからね」


「承知しました。……それにしても、相変わらずハキハキとした話口調ですね、サイカさんは」


「これでも一応、年はとってるはずなんだけどね。シラキ」


 名を呼ばれて、齢61になる編集長――シラキは微笑んだ。そこに在りし日の面影を見出し、サイカは少しだけ安堵する。


「……キミも、そういうところは変わらないな」


 さて、この同窓会的雰囲気の中にあって一人、蚊帳の外に置かれている人物がいる。


 ニールである。


(…………いつまで続くんだ、この空気)


 何時間も同窓会的空気の中にいるのは、さすがに気まずい。この空気から早く脱するために、ニールは話を先へと進めようと努める。


「さ、さて。それでその、行政への連絡はどうするんですか?」


「行政?」


「いやほら、龍守川ですよ。大雨や台風が来る前に治水対策をしておかないと」


「あら貴方、ご存じないのね」


「え?」


「あれは確か……10年前だったかしら。今の市長さんがうちの龍守川の話を聞いてね、ひそかに治水工事をさせたんですよ。『神竜の村のおこぼれにあずかって得た安寧など、真の安寧にあらず』ってね」


 すごいでしょ?、とシラキが微笑む。


「そ、そうですね……」


 結局、ニールの心配は杞憂に終わり、話はまた同窓会に戻りつつある。


「サイカ姉さん、オレ、先帰ってもいいかな?」


 ニールは、同窓会会場になったパーテーションで区切られた新聞部署の一角を後にすることにした。


## 07


 チガノ新聞社の社屋を出たニールは大きく伸びをして、酸素をふんだんに含んだ冷たい、外の空気を肺いっぱいに吸い込む。


 と、そこに言葉とともに駆け寄って来るのが二人。


「兄さん!」


「サイカさんは、どうしたんですか」


 斎賀からの質問に、ニールは答える。


「あとのことはサイカ姉さんに任せてきた。ここの編集長と懇意にしてるらしくてな」


「時間がかかったのは……」


「まあ、なんというかアレだ。仲が良すぎるのも考えものっていうのかな……あの二人、すぐに雑談を始めやがるから」


「そ、そうなんだ」


 ユマが引くのを見て、そんなに嫌そうな顔してたかな、とニールは頬に手を当てた。


「で、村のこと、【勇者連合】のことは結局どうしたんですか?」


 表情を見て、斎賀の懸念を察したニールは彼を安心させてやるようにゆっくりとした口調で告げる。


「ああ、村の件は向こうに一任することになった。一応、生き残りがいるってことは伏せてもらうってことで話がまとまってる。


 で、【勇者連合】についてはしばらくの間、詳細を隠しておくことにした。とりあえず当分は、『不遜にも神竜を手中に収めんとするテロリスト集団』って扱いだ」


「しばらくの間?」


「いずれは明らかになることだからな。だが、安心しろ。転移者差別なんてバカなことが起こらねぇよう、対策は打つつもりだ」


「具体的に、どうするんですか」


 ニールがにぃっと笑う。


「対抗組織を作る。転移者たちを顔役にしてな。とりあえず、オレとメアリ――は、まだ合流できなさそうだが――それともう一人、こっちに来てることが確認できてるオレの仲間がいるから、とりあえずこの3人が揃ってからだ」


「……でも兄さん。対抗組織って、具体的には何すんの?」


「そうだな、最終目標としては連中の野望を打ち砕くことだが、まずは――」


 意味ありげに一拍おいて、ニールは宣言する。


「神竜メイグラーヤを奪還する」


「…………っ!」


「で、できるんですか? 話に聞く限りじゃ、その神竜はとてつもなく強くて、で、敵はそのとてつもない神竜を自分たちのものにするような連中なんでしょう?」


 無茶は承知だ、とニールは口にする。


「それでも、やるしかねえんだよ。そうすることでやっと、全世界に『オレ達は【勇者連合】と敵対してる』って示すことができる。口先だけの組織をお前は信じるのか?」


「……それは、そうですけど」


「それに、元々メイグラーヤは取り戻さなくちゃなんなかったんだ。連中の手元に強大な力の化身がいるという、この状況が歓迎すべきでない状況だってのは明白だろ?」


「でも、さすがに私たちだけで取り戻しに行くわけじゃないよね?」


 ユマの確認にニールはうなずきで返す。当然だ、と言い、紙に印刷されたリストを二人に見せる。


「何人か、協力してくれそうな人たちを見繕ってもらった。明日からはとりあえず協力を依頼して回るつもりだ。悪いが、協力してくれるか?」


 ユマは即座に承諾した。考える必要もない、と言わんばかりの即答だった。


 そして、斎賀もすぐさま頷きで返答した。個人的に思うところはあれど、ニールの提案の正当性は認めているのだろう。


「よしっ! じゃ、そういうことで明日からよろしくな!」


 ニールは二人がついてきてくれているという事実に喜びを感じ、柄にもなく大きな声で叫んでしまった。声を出した、自分自身が驚いているくらいには大きな声だった。


 けれど、ユマと斎賀はどこか微笑ましげにそんなニールの姿を見ている。二人の態度に気づいて、ニールはほっとした。


(……ああ、良かった。オレは、独りじゃない)


 計画に賛同してくれる人がいる、自分と同じ方向を見てくれる人がいる、それがどんなに心強いことか、ニールは知っている。ゆえにこそ、ニールは深い安堵に包まれた。


## 08


 間もなく夜を迎えるオオカワの街は人工の灯りに彩られ、街には人が溢れ出し、にわかに活気づいていた。多くは飲食店へ赴いたり帰路についたりする群れだが、中にはそれらのいずれも目的としないものがいる。


 チガノ新聞社の通りの反対側。小さな喫茶店の前で、ユマ達3人の様子を伺う者がいる。薄手のコートに身を包んだその男は、右手の人差し指の腹と親指の腹を合わせると、それを口もとへと持っていった。


「エルフ1、人間2。チガノ新聞社前にて確認。連合への敵対組織の設立および神竜の奪還を画策している模様。以上」


『了解した。監視を継続してくれ』


「了解」


 男は右手の親指と人差し指をすっと擦って通話術式を終了した。指の腹の魔術式が僅かな燐光を発して再び不活性状態になり透明になる。


## 09


「はっ。動きが早ェじゃねぇか」


 監視役からの報告を受けて、酒井は犬歯をむき出しにして笑った。すると、彼の隣を並んで歩く白髪の男がからかうような口調で言う。


「おやおや。随分と楽しそうだ」


 男に対し、酒井は不愉快そうな視線を向けた。男は肩をすくめて、


「そんなに怒ることないじゃないか。裁判官殿」


「その呼び方はやめろ」


「なら、こう呼べばいいのかな。正義の極道とでも」


「テメェ……」


 容赦なく殺気をぶつけてくる酒井に対し、男はあくまでも平然とした態度を貫き、あまつさえ笑ってみせる。


「分かってる。分かってるとも。きみをそう呼んでいいのは好鬼よしきくんだけだ。冗談だよ」


「俺は手前ェに冗談を許した覚えはねぇんだがな」


「おお、怖い怖い」


 ちっとも怖がっていそうにない素振りの男に酒井は更に腹を立てたが、下らない言い合いをしても不毛なので黙ることにした。


 そんな酒井の横で、男はパスワードを打ち込み、虹彩認証を済ませ、扉のロックを解除している。いささかロックが厳重なのはこの部屋がこの組織、【勇者連合】の重大な秘密を扱う場所の一つであるからにほかならない。


 いくつもの扉を抜けて部屋の中に入ると、カッと一斉に天井のLED電灯が点く。男は酒井へと振り返って、口先だけの歓迎の意を示した。


「ようこそ。僕の研究室へ」


 男は、【勇者連合】の中枢を担う研究者だった。


 彼の研究室の中はお世辞にも整理整頓がされているとは言い難い有様だった。あちこちに紙の資料や本が積まれており、間仕切りのガラス部分にはミミズののたくったような字で計算式が書き殴られている。


 乱雑と表現されるべき散らかりようのその部屋の中で、唯一整理されているのは、奥のデスクとその周辺だけだ。


 『出エジプト』のモーセを意識してか、研究員の男は海を割るジェスチャーをしながら本がうず高く積まれてできたいくつもの塔の間を歩いていく。


 塔の間を歩くこと自体はそれほど困難ではない。しかし塔を崩さぬよう気をつけなくてはならないため、酒井はこの研究室が得意ではなかった。


 精神的疲労を味わいながら、酒井が部屋の奥に辿り着くと男はもう椅子に座っていた。男はデスクの上に置かれていたリモコンで壁に掛けられた特大ディスプレイの電源を入れる。


 そして、椅子を回して酒井に体を向けた。


「さて。それで君がご所望の玩具オモチャなんだが無事、試作品ができた」


 言って、男はデスクの上の小箱を開いてみせる。その中には一発の銃弾が収められていた。


 ディスプレイには、酒井には理解できないものの、その銃弾の詳細な情報が表示されている。


「昨晩依頼したときは、1週間は欲しいと言ってなかったか」


「ん、ああそれは今でも変わらないよ。あくまで理論上正しいものが実際に作成できたというだけの話。実践投入、および量産化にはまだまだ時間がかかる。性能テストも、まだ十分に行えてるとは言い難い」


「そうか。……3日でやれ」


「なにを?」


「量産化まで全部だ」


「おいおいおいおい!! 人の話を聞いてなかったのかい?」


「必要な人員は俺の権限の範囲内で用意する」


「……そこまで言うのなら、最善を尽くさせてもらうよ。でもさあ、酒井クン」


「?」


「君がそうまでして、彼らを警戒する理由はなんだい?」


「……手前ェに言うのはちと憚られるが、俺ァこれまで、いろんな人間を見てきたつもりだ。だからか、目を見れば、そいつがどんなやつか、なんとなく分かる」


「それで?」


「昨晩、ヘルフレイムを叩きのめしたあの二人、アイツらの目は、覚悟を決めたやつの目だ。迷いを切り捨てちまった、狂人一歩手前の雰囲気って言やぁちっとは分かりやすいか……いや、手前ェに分かりやすく話す義理もねぇな。ともかくそういうことだ」


「いやあ、そこは礼儀としてもう少し努力してくれてもいいじゃないか」


「薄汚え裏切りモンに礼儀が必要か?」


「…………なるほど。君のことがまた一つ、わかった気がするよ」


 はあ、と酒井はため息をついた。どんな言葉をぶつけても男のわざとらしい態度が崩れることはない。暖簾に腕押しとは、こういうことを言うのだろうかと思う。


「とにかく、3日だ」


 これ以上話していては精神が蝕まれる。そう判断した酒井は早々に研究室を立ち去ることにした。


「完成品は例の穴にぶち込んどいてくれ」


「言い方が下品だなあ。まあ、了解した。期待しておいてくれ給え」


 ひらひらと手を振るその研究員に背を向けて酒井は研究室をあとにした。


(正義の、か……)


 ――その言葉に自分は相応しいと言えるだろうか? 酒井はいつものように自問する。答えはすぐに出た。


 否だ。


(俺が、そんなモンであるはずがねェ。だが、それでも……)


 カツンカツンと靴音響かせて歩く先、ふと顔を上げると壁に寄りかかる一人の少年がいた。顔に幼さを残す金髪の少年。彼は酒井が来たことに気付くと、退屈そうだった顔をぱっと輝かせて酒井の名を呼ぶ。


「竜治!」


「……好鬼。どうしたんだ、こんなところで。待ってたのか?」


「うん! 竜治はほっとくとメシ食わなさそうだから、俺が食堂に連れてこうと思ってさ」


「そうか。ありがとな、好鬼」


 酒井は他では決して見せないような微笑みで好鬼の頭をぐしぐしと乱雑に撫でてやる。


「……なあ、好鬼。なんでお前は俺を助けようとしてくれるんだ」


 不意に、そんな言葉が出てきた。言った酒井自身も思わず驚いてしまうくらい、自然に訊いてしまっていた。


 だが、好鬼はそんな酒井の表情の変化に気付かぬまま、「んー」と少し考えてから答える。


「なんでって……そんなの、竜治が俺のことを助けてくれたからだよ。抗争に巻き込まれて死んだ俺の両親にかわって、竜治が俺のことを育ててくれた。学校に通わせてくれたし、やりたいことも、させてくれた。その恩返しだよ」


「…………っ」


「竜治?」


 酒井は足を止めていた。天を仰いで、目頭を抑える。


 すぅっと、息を吸って、吐いて。そうやって精神を落ち付けて、ようやく酒井は言葉を返すことができた。


「そうか。しばらく見ねェうちに、クソ生意気になりやがって」


「ちょ、竜治、いたっ、痛いって」


 口もとだけで笑みをつくって、好鬼の頭を強引に撫でる。今の顔を、好鬼に見られぬように。


## 10


 夜。サイカの家の二階の角の部屋を割り当てられたユマは眠れない頭で昨晩からの出来事を回想していた。


(色々あったな……)


 ユマはベッドに身体を預けていたずらに、ニールに与えられたステッキ――ミラクルステッキと言うらしいが長いのでステッキと呼ぶことにした――を手に持って振ってみる。


(ウソみたいだな。昨日、これで人の身体を叩いて、ひざまづかせたなんて)


 一日経ってみると、現実味がまるで感じられなかった。あの時は確かに真剣で、そうすべきだと思ったからそうしていたのに。


 こうして安全な場所でゆっくりと考えてみるとなにもかもが悪い夢だったようにすら思える。けれど、


「――変身」


 呟くと、ユマの姿は今日買ったばかりの新品のパジャマから、ヘソ出しふりふりスカートのちょっと普通でない格好になっていた。部屋に置かれた鏡で自分の全身を確認して、「うわぁ」と顔を赤くする。


(これで街を歩いてたんだ、私)


 背中側を見れば、肩甲骨のあたりがあらわになっていることが分かった。髪である程度隠れているとはいえ、その程度ではなんのフォローにもならない。


(…………まあ、今更気にしたって仕方ないか。庭に出て、剣の修練でもしよ)


 ユマはステッキを鞘の付いた刀に変えて、腰に差すとガラリと部屋の窓を開けた。ユマの部屋からであれば、窓から飛び降りた方が庭に近いためだ。


「よっ」


 慣れた動きで庭に降りると、居間に明かりが灯っていた。中を覗き込んでみると、ニールがいた。考えごとをしているのか、真剣な顔でタブレットを凝視している。


「…………」


 ニールの邪魔にならないよう、ユマはこっそりと居間からは見えない方に移動した。そして、刀を鞘から抜く。


 かつて、ニールと共に消えたシャルマが村にいた頃は毎日のように真剣を振っていた。当時の感覚を思い起こしながら、ユマは刀を振る。頭の中で思い描いた通りの、慣れ親しんだ重みだ。昨晩、ステッキを構えた時のように意識が研ぎ澄まされていくのがわかる。


(…………あれ)


 はた、と刀を振る手が止まる。


(そういえば、シャルマおじいちゃんはどうなったんだろ……?)


 ニールの話を聞く限りでは、彼もまたニールと共に向こうの世界に飛ばされたはずだ。しかし、そこから先のことは一切が不明。ニールは、シャルマがどうなったのかを一言も語らなかった。


 こっそりと、ニールの様子を窺う。ニールはよほど集中しているのか、ユマが見ていることには気付いていないらしい。


(…………もしかして兄さん、なにか、私に隠そうとしてる?)


 ユマの心には一つの疑念が生まれた。


 結局、その夜はニールを問いただせないまま、ユマは揺れる心で冴えない剣を振り続けた。ユマが部屋に戻る頃には、居間には誰もいなくなっていた。


 月には、分厚い雲がかかっている。


 ユマは窓から部屋に戻って変身を解くと、そのままベッドに倒れ込んだ。そのまま布団をかけることなく、ニールへの疑念でもやもやとした心に押し潰されるようにして、眠りに落ちる。

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