第4話【胸に秘めるもの】・前

## 01


 オオカワの街の住民にとって龍守タツモリ川には特別な意味がある。街を東西に貫く、神竜の加護を受けた神聖な川。どんな豪雨が来ようと氾濫することはなく、ヒトの手による治水が必要ない特別な川。その尋常ならざる川は街の繁栄の象徴であり、信仰の対象になっていると言っても過言ではない。


 しかし、街の住民はまだ知らない。龍守川を龍守川たらしめる神竜は、もういないのだと。街の中心部を流れる大きな流れは、今やいつ何時なんどき街に牙を剥いてもおかしくない状態にあると。


 もはや龍守川は、ただの川になってしまったことを彼らは知らないのだ。


「……いつまで、隠しておくんだろ」


 沈む夕陽に背を向けてエルフの少女、ユマは缶ジュースを片手に呟いた。


「さあ……少なくとも一月以内には、真相を明らかにするつもりだとは思いますけど、どうなんでしょうね」


 ユマの隣に立って右手側――サイカとニールが入っていった新聞社の方を見たのは転移者の少年、斎賀だ。彼は両手いっぱいに紙袋をさげている。


「ごめんね。本来、あなたにはなんの関係もないはずなのにこんな秘密、背負わせちゃって」


「謝らないでください。僕、そんなこと気にしてませんから」


「でも……」


「僕はむしろ良かったと思ってますよ。サイカさんに隠し事とかされる方が、よっぽど嫌だったんで」


 あの人、普段は飄々とした態度だけど、ショック受けてるとそれが崩れるんですよね。隠し事、意外とヘタなんですよ――と斎賀は付け加えた。


「だから、これで良かったんです」


「…………ありがと」


 ユマが顔を綻ばせたのを見て、斎賀は安堵する。ニールのことは個人的な敵でありいけ好かない奴だと思っているが、その妹のユマは礼儀正しく、真面目な少女だと認識している。いや、自分と同じニールの被害者だと言っても過言ではないだろう。


(あんなのと昔からずっと一緒にいたんなら、相当振り回されてたんだろうな……)


 斎賀は思う。彼女のことは労ってあげようと。


## 02


「ユマ、これからの生活に必要な服とか下着とかをこれで一通り買っておいてくれ。斎賀はユマに道案内してやってほしい。頼めるね」


 サイカは二人にそう告げて、ニールと共に新聞社に入っていった。午後の、空がまだ青い頃のことである。


 それからユマは街にいくつかある服屋を巡って、予算の範囲内でなんとか、着回すのに十分な量の服と下着を買い揃えた。余ったお金は好きに使っていいと言われていたので、それでアイスクリームを買って斎賀と一緒に食べた。ピザを買って斎賀と一緒に食べた。屋台でクレープを買って一人で食べた。喉が渇いたので自動販売機で缶ジュースを2本買った。


 そして、暇を持て余したユマは龍守川の上にかかる龍神橋の端の方で斎賀と一緒にニールとサイカが新聞社から出てくるのを待つことにした。


 村のこと、神竜のことを思い出すとつらくなるので川は見ない。夕陽に背を向けて、俯きがちになって、ちら、と横目で窺うのは両手いっぱいにユマの服の入った紙袋をさげた斎賀だ。彼のことをユマはほとんど何も知らない。しかし、これだけは言える。


(あれは、相当苦労してるんだろうなあ……)


 ユマの服屋巡りに付き合う斎賀の動きは、あまりに手慣れ過ぎていた。意見を求められればすぐく答えを返し、下着を選ぶとなれば自然に気配を消してユマの側からフェードアウトする。およそ、普通の少年にできる動きではない。


 その動きを身に付けたのが、転移前からなのか転移してからなのか――その点ははっきりとしないが、サイカにいいように使われてるのは想像に難くなかった。昼食の用意をしたのも、その片付けをしたのも彼だ。サイカはなにもしていない。


 ゆえに、ユマは思う。彼のことは労ってあげようと。


## 03


 夕暮れの龍神橋の上で、斎賀は呟いた。


「……にしても、遅いですね」


「だね。あの話もしてんのかな」


「あの話、といいますと?」


「……【勇者連合】のこと、とか」


 その言葉を聞き、斎賀は握る手にぎゅっと力を込めた。最悪の事態が脳裏をよぎる。


「だとしたら、怖いですね……」


「怖い?」


「この世界の報道機関がどうなってるのかは知りませんが、そんなの、絶対ロクなことにならないじゃないですか。報道の仕方によっては、転移者を皆殺しにしようとする人たちが出てきてもおかしくないかもしれないんですよ」


 だって、と斎賀は続ける。


「【勇者連合】の話をするってことは、この世界にあだなす転生能力者が組織だってやって来ている――それを世界中に発信することになるんですから」


## 04


 話はその日の昼に遡る。


「村が滅んだのは、オレのせいなんだ」


 そう告げたニールの表情はあまりに静かで、言葉も軽く聞こえるものだった。サイカとユマの二人がかける言葉を失い、沈黙するなかで怒りをあらわにする者が一人。


「なっ……! なんでそんなヘラヘラしてられんですか……!!」


 斎賀だ。やにわに立ち上がり、ニールの胸倉を掴まんとする彼を隣に座っていたサイカが静止する。


「なにするんですか!」


「斎賀。私達の事情にそこまで肩入れしてくれるのは嬉しいが、そんなことは問題じゃないんだ。最早ね」


「どういうことですか?」


「そんなことを責めたって、今さらどうにもならないだろ? 死んだ人たちが帰ってくるわけでも、昨晩のことがなかったことになるわけでもない」


「それは、どうですけど……」


 正論だ。しかし、感情的には納得がいかない。斎賀は不服そうな表情を隠そうともせずに座った。そして、サイカの言葉の続きを聞く。


「重要なのは、その事実を背負った上で何をするか。つまりどう責任をとるかだ。だろ、ニール?」


 ニールは首肯した。そして、宣言する。


「オレは、村を滅ぼした連中の野望を砕くことで、責任を取るつもりだ」


 不安そうなユマの目を見て、ニールは頭を下げた。


「そのためにユマ、お前の力を貸してほしい。……演武のためとはいえ、お前は剣術の腕を磨いてきたはずだ。その腕を、血に染めるよう頼むのは不本意なんだが、ユマ。オレの戦いに、巻き込まれてはくれないか」


 身勝手なもの言いだと、斎賀は感じた。そしてまた、酷い話だとも。


 剣の腕前が如何ほどのものか知らないが、斎賀にとってユマは華奢でかわいらしい、平凡な少女なのだ。


 年齢が100歳を超えていることも、これまで毎日、剣の鍛錬を休まず行ってきたことも、ユマの巫女としての生活がどのようなものなのかも斎賀は知らない。


 ゆえに、斎賀はユマを人間の、同年代の少女と同様に見てしまう。同じなのは外見年齢と精神の発達段階くらいしかないことに気づけぬままに。


 果たして、斎賀の前でユマはニールの手を取った。ニールのをユマは了承したのだ。


「もう、兄さんだけの戦いじゃないよ。……これは、村の生き残りとしての、そして、神竜の巫女としての、私の戦いでもあるんだから」


 斎賀一人だけを置き去りにして話は進む。そうして斎賀は、否が応にも思い知らされた。


 彼女たちは自分とは別の生き物なのだと。


 考え方が違う。価値観が違う。


 サイカ曰く、ここ、オオカワのある国は法治国家であるらしい。だが、彼女たちの誰一人として、警察に突き出すだとか法に従って裁く――だとか、そんなことを言い出すつもりがまるでないのだ。


 そんな発想すら持ち合わせていないのではないかと、斎賀は恐怖する。


「さて、それでは詳しく話してもらおうか。キミのアイデアがなぜ、私たちの故郷、コスカルメア村を滅ぼすに至ったのかを」


 そして、価値観のズレが放置されたまま話は先へ進む。


 ニールは語り始めた。やはり、まるで重みの感じられない口調で、淡々と。


「……オレの理論が組み上がって、装置は完成した。実験に協力してくれた被験者にオレは、『2つの世界を自由に行き来する』能力を与えることにした。そうすれば実験の成否を容易に確かめられるからな。


 ……結果は成功。協力者は無事にオレたちのもとへ帰ってきた。そして、その協力者、奴はオレたちの目を盗んで研究を外部に流出させた。装置の設計図をはじめとする諸々のデータも一緒にだ」


「その流出先というのが、良からぬことを考える連中だった?」


 サイカの問いにニールはうなずきで返した。


「連中が何を目的としているのかはわからない。ただ、あいつらは世界中で仲間を集めているようだ。――【勇者連合】。なんでも、そう名乗っているらしい」


「【勇者連合】……?」


「知ってるのかい?」


「いえ、知っているというか、ニュースか何かで聞いた気がするんです。……ええと、確か、そう。自殺した複数の高校生の遺書にそんな言葉があったって。都市伝説的に話題になってました」


「なるほどな……連中、天然の転生能力者を仲間にしたがってるんだろう」


「ほう? 天然ものだと何かいいことでも?」


「能力のデザインってのはけっこう難しくてな、健全な身体機能や精神を損なわないために細心の注意を払う必要がある。だからまあ、どうしても少し、控えめになっちまうところがあんだよな。100の力を発揮できるところを90や80の段階で抑え込んでしまいがちだ。100のまま発揮させられるようにするのは、けっこう手間がかかる。


 その点、天然の能力者はいい。自然に、あるがままに能力を獲得できる。肉体への負荷なんて知ったこっちゃない。それに、現行理論では説明不可能な能力を獲得できる可能性だってある。


 ほとんど運任せって点を除けば、かなり都合がいいんだよ」


「――まさか、日本での自殺者を増やして、こっちに転生してきた人たちをスカウトするつもりだったって言うんですか!?」


「連中に何らかの意図があるんだとしたらな」


「………うわ、それはいくらなんでも…………」


「非道い、連中だな……」


 全員が言葉を失う。【勇者連合】という名には不釣り合いななりふり構わないやり口に対し、思うことは一緒だった。


「しっかしまあ、本当、連中の目的はなんなんだろうな」


 にわかに生まれた重い沈黙を破ったのは、ニールだった。


「多くの転生能力者を擁して、神竜を捕まえて……この世界にケンカ売りに来てんのは間違いねぇけど、そうまでして求めるモンがなんなのかまではやっぱり分からねぇな」


「……まあ、そういったことについてはこれから先、戦っていくうちに探るしかないだろうね。して、まずは何をする?」


「とりあえずは基盤を固めたい。何をするにしても、基盤となる生活がガタガタじゃどうにもなんねぇからな。ユマとオレの服、あと一応靴も欲しいな。ユマのは祭祀用で走るのには向かないし、オレはまあ、流石にずっとブーツってのは辛いからな」


「了解した。で、昨晩の一件は? まだ私たち4人しか知らない情報のはずだがそれについてはどうする?」


「それについては、報道の専門家の意見を聞いて決めたい」


 サイカがはっとした表情になる。それから、呆れ混じりの笑みで


「キミ。さては最初からそれが目当てで私を頼ったな?」


「ちゃんと衣食住込みで頼りにしてるよ」


「可愛げのないやつめ。……それじゃあ、そのに会いに行くとしようか」


 これで、一通りの話は終わった。そう言わんばかりの空気が漂い出す。


 斎賀は昼食―結局、自分は一玉しか食べなかった―の後片付けをしよう立ち上がる。


「ねぇ、」


 そこで、ユマが言った。


「だいたいのことは分かったけどさ、結局、兄さんのその体は、どういうことなの?」


 一同の視線がニールの体へ向けられる。黒髪の、女性らしい丸みを帯びた小柄な肉体。無論それが、ニールの本来の肉体であるはずがない。


 サイカがからかうように言った。


「まさか、転生機とやらを使って自分の肉体を人間の女の子の姿にデザインした――とは言わないだろうね。今日の私はどうも、冗談のつもりで言ったことが本当になりやすいみたいだから少し怖いんだけど」


 ニールは首を横に振って否定する。


「そんなじゃねぇょ。これは、向こうで出会ったオレの助手の体だ。メアリ・フジワラ――あいつの体とオレの体が、ちょっとした事故で入れ替わっちまったらしい」


「ほうほう。となると、キミの体をしたメアリくんがこの世界に来てるというわけか」


「その、はずなんだがな……」


 ニールはお手上げだ、と言わんばかりの様子で天井を見る。


「どこにもいねぇんだ。オレが転移した場所の近くに転移してきてるはずなんだが、今朝、村の周辺を見てみてもそれらしい人影はなかったし、連絡もつかねぇ。最悪、昨日のアイツに、村人と一緒に燃やされたことだって考えられる」


 はあ、とニールがため息をついた時だ。


「あ」


 ユマがなにかに気づいたような声を上げた。


「あの、兄さん。もしかしたらその人、今ニホンにいるのかも……」


「? それは…………――。ユマ、まさかとは思うが、オレを見つけたのって……」


「うん。夕方、森の中で倒れてるのを見つけた」


 それを聞くや否や、ニールはぶつぶつと独り言をつぶやき始めた。そして、結論づける。


「――なるほど。ユマの言うとおりかもしれねぇな……」


「でしょ?」


「とはいえ、どこに転移したかもわからねぇし……あいつ、大丈夫かな」


## 05


 勉強一辺倒の生活に嫌気が差した竹林たけばやし嗣彦つぐひこが父の実家の裏山で見つけたのは、長い金髪の印象的な男だった。


 外国人かと思い、近寄ってみて驚いたのは横長に伸びた耳だ。


 まるで、ライトノベルに出てくるようなエルフがそのまま飛び出してきたかのような姿に彼は驚く。


「し、死んでるのか……?」


 人形のようによくできた、生き物とは思えぬ静謐さを持った顔を覗き込んで、嗣彦はつぶやいた。すると、その人形のような顔の眉間ににわかにシワが生まれて口からは声が発される。


 突然のことで、嗣彦は思わずひっくり返ってしまった。


「うっ…………What's happened?」


 頭を抱える指の隙間、切れ長の瞳が嗣彦を見つめる。顕微鏡を覗き込んでいるかのような冷徹な眼差しに、息が詰まる。


「…………っ!」


「……君は」


 言葉を失くした嗣彦に向けて、彼――否、彼女――メアリ・フジワラは問いかける。


「まさか、竹林家の方ですか? タケバヤシグループで知られた」


 この時、竹林嗣彦はまだ知らない。この出会いから怒涛の一週間が始まることを。


 ましてやその時間が、彼の人生を大きく変えることになろうとは、考えもしなかった。

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