第2話【フジワラ街-オオカワ】
## 00
コスカルメア村から徒歩2時間のところに、その街はある。
外敵の侵入を阻むため、設けられた堀にぐるりを囲われ、街中は街中であちこちを複数の河川が行き交う。ゆえに、区画の一つ一つは島と呼ばれ、橋や舟なくしてそこでの生活は成り立たない。橋下を見れば、積荷を運ぶ漕ぎ手のひたむきな姿が見られることだろう。
街に数ある橋の中でも、ひときわ装飾の豪華な橋がある。その橋の竣工記念碑には「龍神橋」と刻まれていた。
龍神橋が架かるのは、街の中央を東西に貫く広大な川、
商業活動も活発で、一部の区画の風光明媚な街並みは多くの観光客を惹き付ける。
第二の生を手にした転移者たちによって作られた街、オオカワとはそういうところだった。
## 01
その、オオカワの街の一角で人々の視線を一身に集める少女二人がいた。
「うう…………」
少女の名はユマ。金糸のような髪に
「これも慣れだ。がんばれユマ」
ユマの前を歩く、黒髪白衣の少女が言う。身長はユマより一回り小さいが、白衣という格好とその豊満な胸から、こちらもこちらで街ゆく人々の視線をかっさらっているのだが、当人にその自覚はまるでない。
「うぅ……でもぉ、でもぉ」
涙目になるユマを見て、ニールは困ったような顔になる。
「……まあ、いざとなったら言ってくれ。オレがもっと注目を集めるからさ。ユマのことが眼中に入らないくらいに」
「それって、具体的には?」
ニールは少しためらうような逡巡を見せたのち、つま先立ちでユマに囁いた。
「オレがハダカになる」
――がんばろう。ユマはそう思った。
## 02
ことの始まりは、ニールのある提案からだった。
「ユマ。これは提案なんだが、街に入るときは変身したほうがいいかもしれん」
「なんで」
オオカワの少し手前、入口まであと十数分ということころでのことだった。
ユマは怪訝そうな顔で理由を尋ねる。
「その服、祭祀用だろ? なのに灰や煤で全体的に薄汚れている。村に何かあったと、大騒ぎになるのは明らかだ」
数時間前、森へ向かい、メイグラーヤの不在を確認した二人は叔母を頼って村から2時間ほどのところにある街、オオカワへ向かうことに決めた。
その際、汚れたままではまずいということで川の水を使って多少は服も身体も洗ったのだが、それでもユマの祭祀衣装の汚れは落ちなかった。
だが、ニールのリュックの中には、今ニールが着てるワンピースのほかに服はなかった。そのためユマは仕方なく、薄汚れた生乾きの祭祀衣装を着て、ここまで歩いてきたのだった。
しかし、なぜそれを今になって言うのだろうか。
「大騒ぎになるって……そんなの当たり前じゃん。一夜でコスカルメア村が滅びたってことも神竜が何者かに攫われたってことも、とっくに街では大騒ぎになってるはずだけど」
神竜の恩恵を受けているのはオオカワもおなじだ。オオカワの人々にとっても、神竜が消えたというのは大事件だろう。
「……で、誰がそれを伝えるんだ? オレたちはここに来るまで、オオカワから村へ向かう人に一度として遭遇していないわけだが」
「あ」
そう。本来であれば、より詳細かつ正確な情報を求めて記者なりなんなりが村へと大挙して押し寄せてきてもおかしくはないのだ。
1000年もの間、神竜の権威と暴威に保護されて、「国は落ちれどコスカルメアは落ちず」という言葉まで生み出したあのコスカルメア村が滅びたというのは、オオカワのみならず世界中の人々にとっても大事件だ。それこそ、歴史がひっくり返るほどの。
「……これはオレの推測なんだが、おそらくまだ誰も、コスカルメア村が滅んだとは気づいちゃいないんじゃねぇかな」
「でも、煙が上がってるのとか、村のほうがいやに明るくなってるとか……あとあれ! あの、サカイって人のバンってやつ! あれとか、街の方に聞こえていてもおかしくないと思うんだけど……」
「おそらく、最初からなにがあってもいいように隠蔽用の結界が施されていたんだ」
そう言ってニールが白衣のポケットから取り出したのは、くすんだ色の石だった。
「それは?」
「結界作りに使う結晶だ。魔力が十分に込められた状態だと鮮やかな空色を示すが、使用後はくすんだ色合いになって、そのへんの小石と見分けがつきにくくなる。あらかじめ術式を込めておけば、あとはばら撒くだけでいいから昔の戦争ではよく使われたらしい」
「それを、昨日の人たちが使ったってこと?」
「確証はない。昔使われたものをたまたま今朝、オレが見つけただけかもしれない。だが、そう考えるのが一番自然だ」
真剣な表情で、ニールは言う。
「どこに連中の仲間がいるかもわからない。昨晩の一件で、オレたちに抵抗する力があることはバレてるだろうからな……命を狙われる理由は十分ある。
だから、当分はあまり目立たないように行動したい」
「でも、ずっと隠れてられるワケじゃないでしょ?」
「ああ。だから、連中には借りを返しに行く。メイグラーヤを、神竜を奪還するためにな」
それはつまり、また戦うということだ。ユマは不安そうな顔になる。
ニールは、そんなユマの頭を撫でて言う。
「安心しろ。なにも死にに行くわけじゃあない。これでも、仲間はちゃんといる。オレが一人で連中と戦うつもりだと思ったのか?」
「本当?」
「ああ。連絡だってついた。そいつらにはオオカワに来てもらうよう言ってある。言葉も、一通りは教えてあるから数日中に着くはずだ」
その言葉を聞いて、ユマは少し安心したような表情になる。ユマの安堵した顔を見て、ニールもまた肩の荷が一つ減ったような顔になった。
「――まあ、だからと言って、それまで村のことを隠してはおけないだろうからな……その辺は、サイカ姉さんに頼んでみよう。あの人なら新聞社へのコネもあるし、」
「……そうだね」
「というわけでだ、そのミラクルステッキで変身してくれ。それならまだ、ユマが変わった趣味に目覚めたとしか思われずに済む」
「変わった趣味ってか変態になったって思われない!?」
「大丈夫だ。オオカワはフジワラの街だからな。あのくらいじゃ変態とは思われない」
「…………でも、それならいっそ、兄さんが変身すれば良くない? そのワンピースは私が着るからさ」
「それじゃあ試しに、そのミラクルステッキを貸してくれ」
ユマからステッキを受け取り、ニールは言う。
「変身」
しかし、何も起こらない。
「故障した?」
「違う。そのステッキは最初に使った奴にしか使えないようになるんだ」
ユマにステッキを返して、ニールはユマに頭を下げる。
「いざとなったらオレがなんとかするから、頼む」
「……………………じゃあ、変身」
## 03
そして、現在に至る。
「うぇぇ……みんなこっち見てるぅ……」
「ひっつくな、ひっつくな。これも慣れだ。あと、そうやって恥ずかしがってると余計に視線を集めるぞ。今はオレのが身長低いんだからなおさらだ」
「でもぉ……こ、こういうのあんまり得意じゃないぃぃ……」
ニールは肩をすくめて、
「わかった。覚悟はもうできてるからな。……脱ぐよ」
と、背中に手を回したのをユマは慌てて止めた。背をぴしっと伸ばして、
「わあああああ!!! やっぱ平気! 大丈夫! 大丈夫だから!」
「そうか? その割には顔の脂汗がひどいが」
「兄さんはさあ……軽々しく脱ぐとか言っちゃだめだから……ほんと」
はあ、とユマがため息をついたその時だ。
「あれ? もしかしてユマ?」
不意に名前を呼ばれた。
声の主は、ユマたちの知る人物であり、目当ての人だった。
「サイカ……おばさん?」
「おばさんじゃなくてお姉さんな。……で、こんなところでそんなカッコして、どしたの?」
ニヒルな笑みを浮かべて、サイカはメガネの奥の瞳をにやつかせた。ちょうど、新しいおもちゃを見つけた子供のように。
(……相変わらずだなあ、この人は)
変わりない、ということに少し安堵しつつユマはどう説明したものかと思考を巡らせる。と、サイカの横に1人、見慣れぬ少年がいることに気づいた。
少しだけ色素の抜け落ちた茶髪をしたその少年はユマの視線に気づくと、びくりと小動物のように身を震わせる。
「ああ、この子?」
ぽん、と少年の肩に手を置いてサイカは少年に自己紹介をうながす。
「あ、ええと……僕は、
「……というワケ。いやそれにしても斎賀くん、相変わらず挨拶が堅苦しいねぇ」
「そ、そんなこと言われても……」
少年――斎賀は気まずそうに下を向いてサイカから視線を逸らす。
気弱な少年、というのがユマの第一印象だった。
「で、そっちは? その格好はさておき、ユマと一緒にいるその子は誰なの?」
「ああ、えっと……」
(ど、どう説明したら……)
ユマはニールの目を見る。しかしニールは何も答えてくれない。
いつもならユマが困っているとき、それとなく助け船を出してくれるものだが、それがなかった。
どうして?とユマが疑問に思い、気づく。ニールの目が、ユマの背後に向いていることに。
ほどなくして、ユマの背後からサイカの名を呼ぶ声がした。
「おおう、サイカじゃねぇか!」
「やあ、アキナイ。今日も景気が良さそうだ」
「へへ、まあな。おかげさまで、上手く行ってるよ」
あれこれとモノが山積みになった荷車を押して歩いてきたのはアキナイという中年の男だった。赤ら顔を人懐っこい笑みに歪めて、サイカと世間話をする。
と、話が一段落ついたところで彼はユマとニールの存在に気づいた。
「んん? あんれぇユマちゃんでねぇの。なぁんかヘンなカッコしてんなあ。神竜さまに見せるやつけ?」
「あ、いやそれはえっと……」
「でもなあ、女の子がお腹冷やすのはおれ、関心しねぇなあ。この、フリフリもなんだい? これ」
「………………」
アキナイの不躾な視線が艷やかな肌に突き刺さる。ユマはかあっと顔を赤くして、言葉を失ってしまう。
そこに、助け船を出す者がいた。
ツイツイ、とスカートの裾を引っ張って自己主張するのはニールだ。彼はメアリの目を見て言う。
「Hey, Yuma. Who's he?(ねえ、ユマ。この人誰?)」
「えっ」
突然、英語で話しかけられてユマは困惑した。
転移者のなかには英語が流暢な者もいないではない。しかし、転移者の大半にとっての第一言語は日本語である。第一言語を問わず、音声による意思疎通を可能とする翻訳術式もあるこの世界で、わざわざ英語を学ぼうという物好きはほとんどいない。
ゆえに、アキナイにもユマにも、ニールの言葉は理解できなかった。
それでも、否、だからこそ、ニールは英語で話し続ける。社交的な少女のように、声は高く、身振りはややオーバーに、そして、はじけるような笑顔で。
ニールはアキナイの視線が自分の方に向いたのを確認して、にこりと笑った。
「Hi! Very very very nice uncle!(こんにちは! とってもとってもとっても素敵なおじ様!)」
「お、おう?」
ニールに笑顔を向けられて、アキナイは顔をにま〜っとさせてだらしのない表情になる。その上、手まで握られてしまったのでより一層、締まりのない表情になってただでさえ赤い顔がぽうっと火のついたように赤みを増した。
ニールは握った手をすぐに離すと、指先を顔に向けて自己紹介をする。
「I'm Mary. I helped her, Yuma! She's very pretty and so kind! I loves her!(わたしメアリ! ユマに助けてもらったの! この子、とっても可愛くてとっても優しいから私、大好きになっちゃった!)」
そして、パン、と手を打ったかと思うと、
「Oh, yeah! Here, I'll tell you how she helped me.(あっそうだ! 今からどうやって助けてもらったのか教えるわ)」
ニールは周囲の困惑など無視して小芝居を始める。
右に少し移動して、
「This is me. "Oh, help me. help me. I'm thirsty..."(こっち私ね。『あ〜助けて、助けて。喉が渇いてるの……』)」
続いて左側に移動して、
「This is Yuma. "Wow!? Daijobu?"(こっちユマね。『わあっ!? ダイジョブ?』)」
「Oh, japanese!? Tasukete, Tasukete...mizu please...(えっ日本語!? タスケテー、タスケテー……ミズください……)」
「Kore mizu~. Hai dozo~.(これミズ〜。ハイドゾ〜)」
「(水を飲む音)……Oh~~~...Thank you very much! Arigato~Arigato~(ふぅ〜〜〜……ありがとうございます! アリガト〜アリガト〜)」
「Daijobu? Daijobu?(ダイジョブ? ダイジョブ?)」
「Daijobu~. Arigato~Arigato~!(ダイジョブ〜。アリガト〜アリガト〜!)」
最後に真ん中に戻って子首を傾げ、
「 ......like this?(こんなふうに、ね?)」
しばらくして、ニール劇場が終わったのだと気づいたアキナイが呆けた顔をして言った。
「あ〜なんかよく分かんねぇけど……ユマちゃんが助けたフジワラの子ってことかい?」
「あ、はい……そう、ですね…………?」
ユマは曖昧に返事をする。ニールの言葉――英語はほとんど何もわからなかったが、どうにか「ユマが少女(メアリ?)を助けた」というストーリーは読み取ることができた。
なぜか?
聡明なる皆様は既にお気づきのことだろう――そう、「大丈夫」と「ありがとう」、この2つの言葉が入っていたからである!
とある調査によると、
A: 大丈夫?
B: ありがとう。
この短いスキットから「AがBを心配している」という場面を描く日本人の割合は80%以上! そしてそれは、この異世界でもほとんど同様のことが言える!
以下はマイノスカラ国による最新公式調査「転移者についての意識調査〜龍和1010年度版〜」内の「あなたが知ってる日本語を可能な限り挙げてください」という質問への回答トップ10である。
1. ありがとう
2. 大丈夫
3. すみません
4. ハロー
5. はじめまして
6. どこ/だれ(同率)
7. たすけて
8. あれ
9. なに
10. かたじけない(5割が森の民による回答)
多くの日本人が"Thank you"と"Help me"を知っているように、ここ、オオカワの住民をはじめとするマイノスカラ国民もまた、「ありがとう」と「大丈夫」を知っているのである!
閑話休題。
「あ〜、んじゃあ、おれ行くわ……油売ってる場合でもねぇしな……」
アキナイが立ち去ろうとすると、その手をニールがさっと取る。ニールの異様に機敏な動きに、ユマは思わず目を見開いた。
一方でアキナイは顔をでろ~っとさせてニールを見る。アキナイは典型的なおじさんである。若い女の子に手を握られると嬉しくなってしまうのだ。
「Oh! You're leaving? I'll miss you... Then...(えっ! もう行っちゃうの? 寂しいわ……それじゃあ……)」
ニールは、少し腰をかがめてアキナイの頬にキスをした。にっこりと笑いかけて、
「See you later. Sayonara!(また会いましょう? サヨナラ!)」
「お、おう……んじゃあなあ……」
夢心地、といった表情のまま、アキナイはのそのそと歩き始める。
そうして、アキナイの背が見えなくなったところで、ニールは大きくため息をついた。
「はぁ~~~~。アキナイのおっさん、体臭やべぇな……」
その豹変ぶりに声を出して驚いたのは斎賀だ。
「ええっ!? な、なんなんですかこの人!?」
驚きのあまり、自制する余裕もなかったのだろう。隣で腕を組むサイカのシャツの裾を引っ張って、ニール指差しながら言った。
そんな斎賀にニールはむっとした表情で言葉を返す。
「初対面なのに失礼だな。人を指差しちゃいけませんってお母さんに教えてもらわなかったのか?」
「なっっ――いや、マジでなんなんですかこの人!?」
ニールの煽りを受けて、斎賀はさらに強くサイカのシャツを引っ張る。
「落ち着け」
サイカがシャツを引っ張る斎賀の手をビシっとはたき落とした。
改めて腕を組み直すと、メガネの奥の目を細めてサイカはニールに言う。
「キミ、ニールだろ。20年前に消えた」
「さすがサイカ姉さんだ。なんで分かった?」
「あの気持ち悪い素振りが、アキナイの意識をユマから逸らすことを目的としてのものだと分かってからはすぐだったよ。……もっとも、それでもまだ半信半疑だったんだけどね。その煽りグセで確信できた」
「……オレ、そんな風に認識されてたのかよ」
がっくりと肩を落とすニールと唖然とするユマ、二人の肩にぽんと手を置いて、サイカは言う。
「とりあえず、
「話が早くて助かるよ」
「あと、ニールに一つ言っとくことがある」
「?」
「純情なおっさんを誑かすような真似はやめなさい」
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