第1話【神竜略奪】・後
# 神竜略奪・後
## 05
「――アァ!? なんで燃えねェんだよテメェ!?」
ユマが祈りの言葉を唱えているその間、男――ヘルフレイムは苛立ちを覚えていた。
ヘルフレイムの手にした異能、それはあらゆるものを燃やしつくすという、至極単純でそれゆえに恐ろしい脅威の異能である。
村一つ、容易く滅ぼせる異能であることは先刻、確認済みだ。どんなに燃えづらいものでも燃やすこの力にヘルフレイムは満足し、全幅の信頼を懐いていた。
――なのに、なんだこれは。
ヘルフレイムの炎は、少女の服を焼き尽くした。Tシャツもグレーのパンツもすっかり灰に変わってしまった。少女だけだ。灰にならずこちらを睨みつけるのは。
少女の肉体は焼けたそばから再生が始まっていた。その速度があまりに速く、ヘルフレイムの目には少女が無傷でいるように見える。
「……
一糸纏わぬ姿の少女が言った。その右手をぎゅっぎゅと握っては開いてを繰り返し、
「まだ色々試してみる必要はあるが――いい能力だ。バカの相手には勿体ない」
涼しい顔で笑ってみせる。あからさまな挑発だった。
「チィイイッ! クソが!!」
そうとも気づかずに――ヘルフレイムは炎を消して、直接少女を殴りに行くことにした。
(どんなに頑丈だろうが、相手は女だ。こうなりゃ力すくで組み伏せて分からせてやる――)
想像して、ヘルフレイムは下卑た笑みをこぼす。下腹部に血液が集まり、ヘルフレイムはズボンにテントを張った。もはや彼の頭の中は少女を犯すことでいっぱいになっていた。
だから、その攻撃を避けることはできなかった。
――ぼとん。
その音に、ヘルフレイムは足元を見る。
腕が落ちていた。
ちら、とヘルフレイムは左腕を見る。
二の腕から先がなかった。
「あァッッ!!」
痛みは、遅れてやってくる。
「ガァァアアアアアアアアアアアッ!!! ン、な、ハァッ、な、ん、あ、アァ!!? あ、あああアリエネェ……ッ! そん、お、おおおお俺、う、俺の、腕っ」
その場にヘルフレイムは倒れて、転げ回る。
落ちた腕を拾い、くっつけてみようともしたが、無駄だった。炭化した先端部がこすれ合わさり、余計な痛みを招くだけだ。
「ぐ……ゥゥ。なん、なんなんだよっ畜生。コイツァ……!」
その時はじめて、ヘルフレイムは少女の向こうにいるユマの存在を意識した。
「…………あ?」
ユマはの姿は、先ほどとはまるで違っていた。
随所にあしらわれたフリル。手には子供のおもちゃみたいにチープなデザインのステッキ。ヘソを出した服装。ふわふわとした印象の短いスカート。
「……なんだ……その
それは、紛れもなく魔法少女と表現すべき姿だった。
## 06
「あ……ぇ?」
姿に対する困惑は、ユマの側も同じだった。
無我夢中で放った一撃、それがヘルフレイムの左腕を二つにしたことにも驚いたが、遅れて気付いた自分の服装にはもっと驚いた。
「あ、あの……? なに、これ」
顔を赤くして、ユマは少女に訊く。
「魔法少女だ」
「答えになってない!」
「なんかこう、魔法の力でかわいい格好に変身して戦う少女のことだよ」
「あ、そう……かわいい……」
そう言われて、ユマはもう一度自分の姿を確認してみる。
「…………これ、痴女ってやつなんじゃ」
「かわいいぞ」
「いや、痴」
「大丈夫だ。オレを信じろ」
「いや信じろって――――なんでハダカなの?」
「服は燃えた」
「あ、そうなんだ……」
(全裸に比べれば、まあマシかな……)
という方にユマの思考が傾いたその時、ヘルフレイムが叫んだ。
「だあああああ!! どいつもこいつも俺をナめやがってよぉ! 魔法少女だかなんだか知らねぇがぶっ殺してやるッ!」
滝のような汗を流しながら、ヘルフレイムがこちらへ歩いてくる。
「ユマ、さっきのもう一発、いけるか?」
「わ、わかんない……夢中だったから……」
「じゃあ殴るか切るかしてくれ」
「ざ、雑すぎない!?」
「しゃーねーだろ。戦闘は専門外だ。そのステッキは願えば刀にもなる。切るときはそうしろ」
半信半疑ながらも、ユマが試しに念じてみるとステッキは刀に変わった。
「なるほど……なら、」
ユマはステッキを刃のついていないただの棒にして、歩いてくるヘルフレイムに向けて構えた。身に染みついた構えだ。心がすぅっと落ちつき、意識が厭になるくらい冷たくなって、思考は明晰さを得る。だからごく自然に、それができた。
「――っ」
ヘルフレイムがステッキの間合に入ってきたその瞬間を狙い、ユマはステッキを振り下ろした。ステッキの先端は一分の誤りなくヘルフレイムの右手首を打つ。
「がっ」
竦んで後退したヘルフレイムを追うようにして一打二打三打。打って打って打つ。一つ打つたびにヘルフレイムの骨が砕ける感触がした。
ヘルフレイムが膝をつく。その首の横にそっと、ユマは刀に変えたステッキを添えた。いつでも首を落とせるという示威行為である。
「詫びてください」
ユマは言った。
「この村のみんな、あなたが奪ってきたすべての命に」
ヘルフレイムはにやりと笑みを浮かべた。
大方、この手合いは「殺しはしない」だとかなんとか、そんな甘っちょろいことを鼻で笑うくせして、相手が言ってくれることを期待しているのだろう。
ユマはそう考えて、この期に及んでヘラヘラと笑う男に対し、一切の情け容赦を捨てる覚悟を決めた。
「わ、詫びりゃ……助けてくれんのかい?」
「ううん。殺す」
「あ……? じゃ、じゃあなんで」
「それがあなたの義務だから。だから詫びて、はやく。この剣がその首を落とす前に」
「ヒ、ヒィィィィィィ!!!」
ヘルフレイムは恐怖した。
さっきまで悲嘆に暮れていた、なにもできないでいたはずの少女にこれほどの覚悟が宿っていることに。それがなんであれ、人殺しを躊躇わず実行するような精神があることに。
幸いなのは、ヘルフレイムの勃起が依然、続いていたことだ。さもなくば彼は無様にも失禁していたことであろう。
そして不幸なのは、ヘルフレイムがすぐに詫びなかったことである。
「ちょっといいかい、お嬢さん」
「!?」
気配もなく、その男はユマの背後に立っていた。
思わずユマは飛び退いて、男から距離を取る。
ヘルフレイムの首から刃を離してしまったのだ。
「おうおういい動きしてんねぇ。武道やってんの?」
「誰……!?」
ユマの疑問に答えたのは、ヘルフレイムだった。彼は男の名を歓喜の声で呼ぶ。
「サ、サカイ! あ、危ないところだった……感謝するぜ。なあ見てくれよこの腕を。あのクソ女、俺の腕をちょん切りやがったんだ。表面が炭化してるから血も出やしねえ。なあサカイ、あんたの能力であいつを――」
「なぁ、ヘルフレイム……この状況はなんだ?」
酒井がドスのきいた声で問う。
だが、ヘルフレイムにはその意味が分からなかった。
「そりゃもうさっき話した通りさ。あのヘンなカッコした女と、そこのスッパダカの女の二人に散々な目に――え? ア、アダダダダ!」
ヘルフレイムの頭を酒井が掴む。万力で締められているかのように、ヘルフレイムの頭にきりきりと力が加えられた。
「そうじゃねぇ。そうじゃねぇよヘルフレイム。俺がお前に命じたのは『神竜を捕まえてっから、その間邪魔が入らねえように見張ってろ』ってコトだけだ。
なのに……なあ。この焼け野原はなんだ? ここにあった村は? 村人は? どこ行ったんだよナァ!」
「へ? ど、どこってそりゃあ……神の国とやらじゃねぇのか? この世界に神がいるなら、だが」
酒井はヘルフレイムの頭から手を離した。それから一歩下がり、
「もういい。よぉーく分かったよ」
「じゃ、じゃあはやくあのクソ女どもを――」
「テメェが自分の力振りかざしてイキってるだけのクソ野郎ってことは、よぉーく分かったぜ」
言って、酒井はヘルフレイムの股間を踏みつける。
「――ンッ!?」
「挙句、女を見りゃ犯すことしか考えられねぇとはな。……このケジメは、きっちりつけてもらう」
「ア!? ア!?」
ヘルフレイムの右手の中に、炎が生まれる。それはヘルフレイムの顔に近付いていき――
「お、おいサカイ! やめろ! やめてくれ! いやだ死にたくな――――――!!!!」
ヘルフレイムは、己の生み出した炎に包まれた。はじめはもがき苦しんでのたうち回っていたが、すぐにおとなしくなる。
「……せいぜい、死んで償うこったな」
酒井は燃えるヘルフレイムに一瞥もやらず、ユマを見た。
「でだ、お嬢さん。君はこの村の住人かい?」
「……は、はい」
「そうか、俺の仲間が取り返しのつかねえことをした。この通りだ。許してくれ」
酒井はユマに向かって土下座した。誠意も真剣味もある土下座であった。それを見て笑うことが、とても失礼な行いに思われるような。
「…………」
ユマはどうしたらいいのか分からないでただ、立ちつくすしかなかった。答えを求めて、ちら、と少女の方を見る。
少女は首を横に振るだけだ。
だから、ユマはこう言うしかなかった。
「そんな、謝られても……困ります」
下手人は目の前で裁かれた。ユマの方法よりもずっと無慈悲なやり方で。そして、当人からのものでないにせよ、謝罪だってしてもらえた。
だが、ユマの心にはすっきりとしないもやもやが残った。
「ま、そうなるよな」
酒井は頭を上げて立ち上がると、上物のスーツについた土や煤を払った。そして、
「許してやろうと思って許せることでもねえし、こっちもハナから許してもらうつもりなんてない。……ただまあせめて、このまま俺を逃がしちゃくれねぇか」
スーツの内側からおもむろに銃を取り出した。
「ユマ!」
「来ォい!
すかさず、酒井は天に向けて銃弾を放つ。銃声が二人の耳をつんざく。
すると、大気中を重く響く飛行機械がやってきた。回転翼で空気を切るそれは、ヘリコプターだ。
下ろされたタラップを掴んだ酒井は、ヘリコプターとともに夜の闇の中へと消えていった。
追うこともできたかもしれない。だが、敵戦力は不明。酒井の能力も判然としない状況でヘリに突撃するのは、蛮勇が過ぎる。
二人はその姿を呆然と見送るしかなかった。
## 07
満月の下、グラーヤの森の近くに二人の少女がいた。
一人は煤と土に汚れた祭祀衣装に身を包んだユマで、もう一人は白衣の下にグレーのワンピース――リュックサックだけはユマを助けに行く前に邪魔だと下ろしていたので焼かれずに済んだ。グレーのワンピースは、リュックサックに入っていた着替えだ――を着た転移者の少女だ。
真剣な表情で、少女は言う。
「驚かないで聞いてほしいんだがユマ、オレはニールだ。お前のお兄ちゃんだ」
「うん。なんとなくそうなんじゃないかって思ってたよ」
「……本当に驚かれないと少し残念だな」
少女――ユマの兄のニールは不服そうな顔で横になった。
酒井が去ったあと、二人は臭気たちこめる焼け跡から出た。そして、村と森の間の小さな草原を今宵の寝所とした。
二人は星を見上げながら、全てが焼けてしまった村の跡地で話をする。積もる話も、疑問も、たくさんあった。けれどユマの口から一番に出たのは、感謝の言葉だった。
「……ありがと、兄さん。私を助けてくれて」
「なに、当然のことをしたまでだ」
「でも兄さんがいなかったら私、あの男に燃やされてたかもしれない」
「…………」
「ねえ、」
「なんだ?」
「あの人達、何者なんだろうね」
答えを期待してのものではなかった。ユマはただ、なんとなくそう呟いただけだ。
だが、ニールは答えた。
「――敵だ。俺たちの、いや、世界の」
「世界の敵……?」
しかしそれ以上を話すつもりはないらしく、ニールはユマに背を向けた。
「疲れてるだろ。今は寝ろ。あの酒井とか言う男、神竜を捕縛すると言っていた。村が滅んだ以上、確認するまでもないことだろうが……念の為だ。朝になったら森に、神域に行くぞ」
「う、うん。分かった……」
返事をして、ユマは目を瞑る。そうして瞼の裏に浮かぶのは、これまでの人生のすべて。すなわち、この村での出来事だった。
いやなことも、いいことも、色々なことがあった。
一緒にいて楽しい人も、苦手な人もいた。
けれど今は、もう。そのすべてが炎に奪われて灰になった。
ユマが毎日寝起きする寝台は灰になり、服もこの、祭祀衣装のほかは灰になった。
厳しい祖母も、ユマの失敗を笑み一つで流す女中も、ユマへの好意がだだ漏れになっていた少年も、ユマに対して気さくに話しかけてくれるおじさんも、みんな死んだ。
家畜の鳴き声さえ、もう、聞くことはない。
「う…………」
涙が流れていた。
嗚咽は止まず、隣りで眠るニールの邪魔になるからと声を抑えようとしたら、ますます止まらなくなった。
しかし、ユマは気付く。
その嗚咽が、自分一人分だけではないことに。
横目で伺ったニールの小さな背中は震えていた。
そのことにユマは安堵して、もっと泣いた。泣いて泣いて泣き続けて、涙も枯れた頃――ユマは眠りにつく。
二人の涙を、月だけがやさしく照らしていた。
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