第32話
「……は?」
かろうじてビオの口から漏れた疑問符を相槌として、ミトラは話を続けた。
「グレンさんには地方で伝説に残るような竜を上回る力があり、油断なく事を進める頭もある。
今このとき、彼が中央以外で何かをするにあたって障害となり得るものは殆どないでしょう。
彼がその気になれば、物理的にも経済的にも政治的にも、惨状と呼ばれる状態を生み出すことが可能です」
「……そんなことをするような人間には見えなかったけれど」
「気が変わったらそれでおしまい、というのはぞっとしない話でしょう」
「それは、中央にいるらしいほかの人間でも一緒じゃないの?」
ビオの問いかけに、ミトラは少し悩むような間を置いてから答えた。
「……実はそうでもないんです。
今回の件で現れた竜を倒すような実力者は、私の把握している範囲でもかなりの数が存在します。
彼よりもうまくやれるかどうかはさておき、倒すだけなら出来る人材は豊富にいるといってもいいでしょう」
だったら、とビオが口を挟もうとするより先に、ミトラの言葉が続いた。
「しかし、その人材のほとんどと、彼との間には大きな違いがあります。
それは、しがらみの有無です」
一息。
ミトラは本当に困ったと言わんばかりに表情を歪めてから続ける。
「グレンさんには借金がありません。
物損の賠償、必需品の購入など、冒険者稼業にはお金がかかる部分が多いはずなのですが、彼は非常に堅実でしたたかでした。
――あなたも冒険者稼業をしているのなら、それがどれだけ凄いことなのか理解できるでしょう?」
ミトラに問いを投げかけられて、ビオはミトラが語るグレンの凄さには感動すら覚えた。
冒険者稼業は命の危険と隣り合わせである仕事が多く、その見返りとして報酬金額が大きく設定されていることが多い。
まとまった金があって次の日には死んでいるかもしれないなんて状況になれば、宵越しの銭は持たないという思考になる者が殆どだろう。
そうでなくても、冒険者という職業で黒字を維持し続けるのは難しい。
それは、ミスタンテという街ですらそうなのだ。
中央ならばその傾向はもっと強くなっていることだろうと、ビオには簡単に想像できた。
今回の竜退治のようなすさまじい依頼が当然のように出回っていて、報酬だって膨れ上がっているのだろうし。その金額に比例して命の危険だって大きくなっているはずだ。
命の危機というものがすぐそこにあって、金と物が揃っている状況で堅実に過ごすなどということは、少なくともビオからしてみれば正気の沙汰とはとても思えなかった。
ビオの表情から理解が及んだことを察したミトラが、話を継いだ。
「中央にいる殆どの冒険者は、一度でも仕事に成功してしまったら死ぬまで止まれなくなります。
だから外に出て行くことがない。
他所で何かを面倒事を引き起こすかどうかなどという心配をする必要もない。
しかし、グレンさんだけは違います。
……私も、それはもう長い間、冒険者という生き物を見てきましたが。彼ほど綺麗に降りることができる人間は見たことがありません」
もっとも、と付け足して。
「お金で縛ったところで本当に動きを制限できるかどうかは怪しいものですがね。
無いよりはマシ、という話です」
ミトラはそう語ったところで、語り終えたことに少しだけ満足したように吐息を吐いた。
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