第18話 葵との約束


 土曜日の朝は、学校に行く日と同じ時間に起きる。


 洗濯機を回して、ランニングと筋トレと掃除。それから俺と蘭子の分の朝飯――昼飯は家で普通に作るつもりだし、買い出しは明日の予定だ。


 篠崎は今日も勉強と蘭子に会うためにうちに来たいと言っていたが。悪いと思ったが、適当な理由を言って断った。さすがに葵の件を、時間を区切ってきっちり終わらせる自信なんて俺には無い。


 朝食の後は、暫く蘭子と遊んで時間を潰す――俺もさすがに、葵が来るまでの時間に勉強しても集中なんて出来ないから。


 元気にボールと戯れる蘭子……勿論、俺のテンションが上がる筈もなかった。


 お腹もいっぱいになって、遊び疲れて眠ってしまった蘭子を、俺は自分の部屋にある柵の中へと連れて行く。


 そして階段を下りて来るタイミングで――玄関のインターホンが鳴った。




 インターホンが鳴った時間は、時間は午前九時ちょうど――


「よう、葵……約束通りの時間に来たんだな」


 予想通りの登場だったので、俺がモニターを確認もせずに玄関のドアを開けると――


「うん……当然でしょ? 颯太との約束を、私が破る筈がないじゃない!」


 ドアの前に立っている葵に――俺は思わず息を飲んだ。


 タンクトップみたいに肩で紐で止めただけのトップスは、ヘソ出しルックで……ショートパンツの下で、日に焼けた細い足が剥き出しになっていた。


「葵……おまえ……」


「何よ……せっかく颯太の家に行くんだから、私だって勝負服とか考えるわよ!」


 そんなことを言いながら――真っ赤になっている葵が、なんだか可愛いと俺は思ってしまった。


※ ※ ※ ※


 四度、俺のうちのリビングに葵を迎える――最初の二階は篠崎も一緒で、三度目は月曜日の朝だ。


 今日も俺が飲み物を用意する――さすがに二回連続でペットボトルの紅茶では格好がつかないから、今回は事前に自分でアイスティーを作っておいた。


 ミルクたっぷりの冷たい紅茶を、葵はストローで一気に飲み干す。喉が渇いてるのは緊張のせいか……まあ、俺も同じだけどな。俺は手持無沙汰で、コップに入れた氷を噛み砕きながら……葵に話し掛けるタイミングを計る。


 しかし――口を開いたのは、葵が先だった。


「それで……颯太? 結局、私の話について……どういう結論を出したの?」


 昔から葵はそうだ――俺に先回りして、答えを求めてくる。


「いや、悪いな……一週間考えても、答えは出なかった。だから……今日葵に、色々と話を訊いてから、答えを出したいと思っているんだ」


 俺の正直な告白に――


「ふーん……まあ、颯太だからね。こうなる事くらい、私も予想していたわよ」


 俯き加減で爪を弄る葵――中学二年の夏までの葵が、こういう仕草をするのは『どうしようかな』って迷っているときだった。だけど、今の葵が……同じとは限らない。


「それじゃ……葵、質問して良いか?」


「……ええ、良いわよ」


 葵はまた爪を弄る。


「……おまえは俺の事を好きだとか、傍にいたいって言ったけどさ……おまえが見ているのは、中二の頃の俺じゃないのか?」


 最初から直球の質問をぶつける――だって、これが俺の最大の疑問だから。三年近くも会っていないのに、俺の事を好きだとか傍に居たいとか……俺には信じられない。


「そうだよね……颯太がそう言うのは、当然だと思う……」


 葵はまだ暫く爪を弄っていたが――激しく首を振って、意を決したかのように俺を睨んだ。


「そんなこと言われてもさ……私にだって、良く解らないよ! 三年前と今の颯太が、どのくらい変わっただなんて!」


 下唇を噛み締めながら、葵は俺を見つめる。


「だけど……だったら、どうすれば良いって言うのよ! 私は颯太が好き! その気持ちは変わらないよ! だけど、三年間の颯太の事なんて知らない……ねえ、颯太! 私にどうすれば良いって言うのよ!」


 涙が流れる事なんて、葵は全然気にしなくて――『もう、どうすれば良いの! 解んないよ!』って、真っすぐに俺を睨んでいた。


 だけど……質問したいのは俺の方だ、ふさけるなよ……そう思った瞬間。俺は思わず、叫んでしまった。


「俺が悪いのは解ってるけどさ……だったら、俺はどうすれば良かったんだよ? 父さんも母さんも突然いなくなって……親戚の連中は、俺の事を可愛そうだって言うんだ! だけど……おまえらだけには言われたくないって、ずっと俺は思っていた。


 だって、あいつらは父さんの事も母さんの事も嫌いだから……そんな奴らの言う事なんて俺は聞きたくないから……俺は自分一人で大丈夫だって、言うしかなかったんだ! だから……葵にだって、おばさんにだって……頼る訳にはいかなかったんだよ!」


 ああ……俺は何言ってるんだよ、みっともないな……こんな姿を見せたら、父さんにも母さんにも笑われる――まったく、俺は最低だよな。


 だけど……突然、温もりが俺を包み込む。その正体は――葵だった。


「ごめん、颯太……私……全然颯太の気持ちなんて、解って無かったよ!」


 葵の温かい涙で、俺の胸がビショ濡れになる――勿論、不快じゃないけど……何か違う気がする。そうだ……悪いのは葵じゃない。


「葵……おまえが謝る必要なんてないよ。葵を拒絶したのは俺の方だから……でも、ごめん。今の俺には……葵の事が解らないんだ……」


 今でも葵は、俺の事が好きだって言ってくれるけど――俺自身が信じられないんだ。だって、俺が葵にした事は……あの親戚の奴ら・・・・・・・と同じような事だろう?


 だから、俺が葵を抱きしめる事は出来ない――俺のせいだって解っているけど、今の葵の事なんて俺は何も知らないから……そんな事をすれば、偽善のプールの中で俺が溺れてしまう。


「うん……そうだよね。颯太なら……そう言うと思ったよ」


 葵は涙をボロボロと流しながら――それでも真っ直ぐに、俺を見つめる。


「だから……今から、もう一度始めたいんだよ。全部もう一度……もう一度私が颯太を事を知って、颯太にも私の事を知って貰って……そして二人が好きになるの。そのくらいの希望は……颯太、私にも持たせてよ!」


 葵は懸命に足を踏ん張って立っていた。だから、俺も――もう一度始めようと決めたんだ。


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