第19話 葵と俺の距離


 その日は結局夕方まで、俺と葵は二人で過ごした。


 勢いで色々とぶちまけてしまったから、冷静になると、どうしようもないくらいに恥ずかしい。だけど……そのおかげで、葵との距離が一気に縮まった気がする。


 俺たちは特別何かをしたとか、特別な事を話した訳じゃない。互いの学校の事とか、葵の部活や、俺のバイトの事とか――本当に他愛のないお喋りをした。


 二人が離れていた三年弱の時間を埋めるとか、そんな大げさな意味じゃくて。高校二年の榊原颯太と秋山葵が、相手について知りたい事を訊いて、自分の事を話しただけだ。


 だけど、話をしていて困ったのは、俺自身に関する話題が少ない事だ。俺がやってるのは、バイト以外は勉強とトレーニングだけだからな。


 バイトについては、キャストのお姉さんの事とか、葵に色々と突っ込まれたが。友達付き合いもないし、遊びにも行っていないから、話すネタがすぐに尽きてしまった。


 いや……本当は篠崎と出会ってから、俺の生活にも変化が起きている。だけど、今日葵に篠崎の話をする事は、さすがに俺も躊躇っていたが――


「ふーん……結局、颯太の友達って言えるのは、篠崎さんだけみたいね?」


 葵の方から篠崎の話を振ってきた。葵はテーブルに片肘を付いて、悪戯っぽく笑う。


「颯太は、私に気を使って篠崎さんの話題に触れないみたいだけど……話してよ。私は颯太と篠崎さんの事が知りたいの」


 そう言われたら、話さない訳にもいかない。俺は篠崎の事について葵に話をした。


「俺と篠崎が初めて会ったのは入学式のときだ。一緒に新入生代表のスピーチをしたんだけど――その頃の篠崎は、今みたいな感じじゃなくて。髪も黒かったし、化粧もしてなかったと思う」


所謂いわゆる、清楚系って感じ?」


「まあ、そうだな……でも、グラスも違ったから、それからは一度も話した事も無かった。まあ、同じクラスでも話さなかったかも知れないけどな」


「颯太は、学校では勉強ばかりしてるって言ったもんね」


「ああ、話をするのは教師に質問するときくらいだ……だから、篠崎とは特別知り合いってほどの関係でも無かったんだ。だけど、先週、バイト先でうちの学校の制服を着た子がナンパされてるのを偶然見掛けたんだよ。相手が結構強引だったから助けたら……その子が篠崎だったんだ」


「つまり颯太は、篠崎さんだって気づかなくて助けたって事?」


「ああ、全然格好が変わっていたし。俺の方は気づかなかったんだけど。篠崎が俺に気づいたんだよ」


「ふーん……だけど、颯太はバイト先だとバレないように、学校と全然違う格好してるって言ってなかった?」


「そうなんだよ。俺もバレない自信があったんだけど……そのとき篠崎は蘭子を構ってたせいで、友達と逸れてナンパされたんだ。蘭子を見たとき、俺は犬好きだから素に戻っちゃって……声で、篠崎は俺だって気づいたらしい」


「ふーん……颯太の声でね。それで?」


 今度の『ふーん』は、さっきトーンが違う。葵の機嫌が少し悪くなったのは、俺の気のせいだろうか。


「俺と篠崎は蘭子を拾って、俺のバイト先の店長に貰ってくれる人を探して貰う事にしたんだ。その後はナンパから助けたお礼って、篠崎から弁当を貰ったり。成績が悪いから勉強を教えてくれって頼まれたり」


「へえー……篠崎さんのお弁当を食べて、勉強を教える事にしたんだ?」


 いや、間違ってないけど――葵から敵意みたいなものを感じる。


「なあ、葵……篠崎の話は、これくらいで良いんじゃないか?」


 だけど、俺がそう言うと……不意に葵は、優しい笑みを浮かべる。


「ごめんね、颯太……ちょっと嫉妬しちゃったけど、私だって篠崎さんの事を悪く言うつもりはないわよ。だから……颯太と篠崎さんとの事は全部教えて」


 俺には、葵が嘘を言っているようには思えなかったから――


「それからは俺が勉強を教える代わりに、篠崎が俺の弁当を毎日作ってくれる事になって。昼休みと放課後に、図書館で篠崎に勉強を教えている。あとは葵も知っているように、先週の土日に蘭子の件でうちに来た事と、今週から蘭子の面倒を見て貰ってる事くらいかな」


 先週の土曜日に、葵がうちに来る前にあった事だけは……さすがに話す訳にいかなかった。


 篠崎の事を話し終えると――葵は『うーん』という感じで、考え込んでしまった。だけど、もう篠崎に対する敵意みたいなものは感じなかったから、葵が考えている間、俺は黙って待っていた。


 そして二十分ほどが経って――葵は不意に立ち上がると、何故か向かいの席から移動して、俺の隣に座る。


「おい、葵……なんで俺の隣に座るんだよ?」


 今の葵は肩もヘソも露出したトップスに、ショートパンツ。よく日に焼けた色々な部分が見えていた。これだけ近いと、どうしても、視線がそこに行ってしまう。


「別に良いじゃない。子供の頃だって、こうして隣に座ってたんだから……もしかして、颯太は私の事意識してくれてるの?」


 葵は揶揄からかううような目で見る――俺は反論できなかった。


「篠崎さんの事は……何となく解ったよ。篠崎さんと話すようになって、颯太は変わったんでしょ? 颯太が昔みたいに優しくなったのは……篠崎さんのおかげだよね?」


 葵に言われて俺は自覚する――その通りだ。篠崎と話すようになるまで、俺は他の奴になんて全然興味がなかった。


「私と颯太が仲直り出来た事だって……たぶん、篠崎さんのおかげよ。だから、篠崎さんには感謝してるけど……それとこれ・・・・・は話が別だから」


 葵はさらに近づいて来て――息が掛かるような距離で、じっと俺を見つめる。


「颯太が篠崎さんの事をどう想っていても……私だって諦めるつもりはないからね?」


 俺と葵は再び始めたばかりの筈なのに――距離感がおかしいと俺は思っていた。


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