第15話 文也さんの事と日曜日夕方


 子犬を飼うと決めたから、貰い手を探してくれている文也さんに早く伝えなければいけないと――俺は二人を残してリビングに戻って、すぐに電話を掛けた。


『どうした、颯太? おまえから電話を掛けて来るなんて珍しいな?』


「あのさ、文也さん。子犬の飼い主を探して貰っている件だけど……やっぱり、うちで飼っても良いかな?」


 自分から頼んでおいて、我ながら随分勝手な言い草だと思ったが――


『颯太、それは構わないが……どういう心境の変化だ? おまえは一人暮らしだから、犬を飼う余裕なんてないって言ってただろう?』


 文也さんが言っているのは今回の事じゃなくて、もっと以前からの事だ。一人暮らしの俺に文也さんはペットでも飼えと何度も勧めてくれたが、俺は全部断っていた。


「いや、今回は――」


 正直に答えるのは……結構恥ずかしかったが。相手が文也さんだから、本当の事を伝える。


「友達が手伝ってくれるって言ってくれたんだ。その友達も犬好きだからさ……一緒に犬の面倒をる事にしたんだよ」


 俺の言葉に、文也さんは暫し無言だったが――


『颯太……その友達が、やっぱり手伝うのが面倒だって言ったら、どうするつもりなんだ?』


 当然訊かれる質問だと俺も思っていた。


「そのときは……俺一人で面倒を見るよ。そのくらいの覚悟がなかったら、俺だってこんな事は言わない。だけど……友達がそんなことを言うなんて、俺は思わない」


 篠崎とは入学式のときに初めて会って、偶然再会したときには別人みたいになっていた。だけど、たった数日だけど一緒に過ごしてみて、篠崎なら信頼できると俺は思った。


 例え、それが結果的に誤りになったとしても――俺は絶対に後悔なんてしない。どうして、そんな風に思えるのか自分でも解らないけど……篠崎には信頼するだけの価値があるんだって俺は思う。


『ふーん……そうか』


 電話越しの文也さんは――何だか笑っているようだった。


『ところで、颯太……その友達って、篠崎さんの事か?』


「……ああ、そうだよ」


 直接会って、篠崎と一緒に子犬の事をお願いしたのだから……文也さんなら当然察していると思うから、下手に誤魔化すつもりなんてなかったが……


『もしかして……篠崎さんって、今颯太の家にいるのか?』


「……」


 無言が肯定の意味になる事は解っていたが、否定する事に何の意味もない。


『そうか……ついに颯太にも春が来たんだな。篠崎さんは結構可愛かったけど……なあ、颯太? エッチな意味で、何処まで行ったんだよ?』


 揶揄からかうような文也さんの声に――俺は溜息を付く。


「あのさあ……文也さん? そういうセクハラ発言は、相手が俺でも止めた方が良いと思うよ?」


『だったら、颯太……俺を訴えてみるか? 俺は颯太の本音を訊けるなら、別に構わないけどな?』


 どこまで冗談なのか解らないような発言――声だけでも、文也さんが余裕の笑みを浮かべているのが解る。だけど、そういう事じゃなくて……


「文也さん、ありがとう。今度、色々と教えるよ……セクハラ関係以外の事ならね」


「何だよ、颯太……俺が聞きたいのは、むしろそっち・・・の方なんだがな」


「ハハハ……おっさん、黙れ!」


 俺はいきなり電話切る――これ以上、揶揄からかわれるのは面倒だった。




 俺の部屋に戻ると――葵と篠崎が普通に喋っていた。


 話の内容までは解らないが、葵も篠崎も笑顔なのに……葵の目だけが爛々と輝いていて、挑発しているように見えるのは気のせいじゃないだろう。


「榊原君……ちょっと電話が長がったけど、大丈夫だった? えっと、その……ワンちゃんの事じゃなくて……」


 真っ先に迎えてくれた篠崎が、心配そうな顔をする。そこまで言わなくても、篠崎が俺の事を心配してくれている事は解っていた。原因は文也さんに揶揄からかわれたせいで、俺がちょっと機嫌の悪い顔をしていたからだろう。


「いや、子犬の事は解決したし、俺の事も大丈夫だ。あとは……まあ、そんなに大した話じゃないよ」


 篠崎の事を文也さんに感づかれた件は、俺だけの問題だ。それに文也さんが考えているような事は、起きる心配なんてないのだから。


「そう……だったら、良いんだけど……」


 篠崎はイマイチ納得してない様子だったが、それ以上は詮索しなかった。


「話は変わるけど……ねえ、榊原君? ワンちゃんを飼う事にしたんだから、名前を決めないとね?」


 雰囲気を変えるためか、それとも言葉通りの意図なのか、俺には解らなかったが。


「まあ、そうだよな……飼うつもりなんて無かったから、全然考えてないけど」


 それから暫く、俺と篠崎は子犬と遊びながら、色々と名前を呼んで子犬本人の反応を確かめた――いや、犬相手に何やってるんだよって自分でも思っていたが、篠崎も楽しそうだから構わなかった。


 俺たちのそんな様子を、葵はちょっと呆れた感じで眺めていたのだが――


「もう……あんたたち、いつまで犬と遊んでるのよ? そんなに面白い?」


 さすがに途中で飽きたのか、一緒に加わって来た。


 それから、さらに小一時間――子犬の名前は『蘭子らんこ』に決まった。


 適当に呼んでいた中で、一番反応が良かったのが理由だが……ちなみに蘭子らんこはオスだ。だっから『わんこ』でも良い気がするが……




「そろそろ良い時間だから……俺は夕飯の支度を始めるけど、篠崎はどうする?」


 六時を少し回った頃に、俺は篠崎に声を掛けた。


「え……どうするって?」


 篠崎は素直に首をかしげる。


「いや、一人分も二人分も一緒だから……夕飯を食べてくなら、用意するけど?」


 こんな事を俺が言い出したのは――夜遊びを繰り返していた篠崎が、家で真面まともに夕飯を食べているのか怪しいと思った事と。家に送っていたときに……篠崎が見せた表情に、ちょっと察するモノがあったからだ。


「え……良いの?」


「ああ、全然かまわない」


「うん……ありがとう! 私も手伝うよ!」


 篠崎は嬉しそうに笑うが――こんな事を言ったら、もう一人がどんな反応をするかも、俺には想像がついていた。


「颯太……なんで、篠崎さんだけ――」


「いや、そんなこと言ってないだろ――葵もうちで飯を食っていくなら、おばさんの許可を貰えよな?」


 葵の文句を遮って、俺が先手を打つと――ポニーテルの幼馴染が眩しいくらいに輝く。

「おまえさ……期待してるなら悪いけど、そんなに大した飯は出せないからな?」


 勿論、そんな事を葵が期待しているとは思わないが――


「あ、あんたね……私と篠崎さんが食べるんだから、少しは真面まともなモノを出しなさいよ。なんなら、私が手伝っても……」


「いや、良いよ。久しぶりに一緒に飯を食うんだし、今日は俺が作るよ……篠崎も座っててくれ。俺一人で十分だからさ……」


 俺の言葉に葵も篠崎も素直に従う――俺の作戦勝ちだな。


 葵と篠崎は仲直りしたいみたいだけど、少なくとも葵の方には、まだ確執みたいなものがある事は解っていたから。もし三人で料理とかしたら……収拾がつかなくなると思ったんだよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る