第9話 日曜日の襲撃


 土曜日は深夜までバイトしているから、日曜日の朝は遅い。


 今日もいつものように、十時頃まで寝ているつもりだったのだが――


『ピン、ボーン!』


「うーん……今、何時だよ?」


 時計を見ると午前九時過ぎで、文句の言える時間じゃなかった。


 俺は寝ぼけた顔で一階に降りる。昨日はそのまま出てしまったが、うちのインターホンはカメラ付きだ。


 モニターを覗くと――何となくそんな気はしていたが、ポニーテールの幼馴染、秋山葵あきやまあおいが立っていた。


「何だよ、葵……どうしたんだ?」


 昨日、葵は怒って帰ってしまった。三年ぶりに話した幼馴染みの事が、気になってなかったと言うと嘘になる。


「……はい、これ!」


 葵は目を背けたまま、紙袋を差し出す。開けてみると、中にはラップに包んだサンドイッチと、牛乳のパックが入っていた。


「お母さんが持っていけって……」


 不機嫌な口調が、何となく葵らしいって思う――そう言えば小学校の頃は、よく葵と喧嘩したよな。


「ああ、ありがとう……おばさんにも礼を言っておいてくれよ」


「解った。じゃあ……」


「おい……ちょっと待てよ!」


 立ち去ろうとした葵を、俺は引き留める。


「……何よ?」


 葵は睨んでくるが、ここで文句を言えば昨日の二の舞になる。


「せっかく朝飯を持って来てくれたんだし……コーヒーくらい出すよ」


「え……」


 俺がこんな事を言うと思わなかったのか、葵は驚いていた。


「コーヒーって言っても、インスタントだけどな」


「まったく、颯太は……お客さん用に本物のコーヒーくらい、買っておきなさいよ」


 文句を言いながらも――何故か、葵は嬉しそうだった。


「でも、私は幼馴染みだから……それで我慢してあげるわよ」


「ああ、悪いな……俺は二階で着替えて来るからさ、葵はリビングで待っていてくれよ」


「はいはい、勝手に上がらせて貰うから……颯太は、さっさと着替えてきなさいよ!」


 俺が着替えて戻ってくると――葵はキッチンに立って、お湯を沸かしていた。


「颯太もコーヒー飲むわよね?」


「ああ、頼む……何か、全部やらせて悪いな」


「今さら、何言ってるのよ……子供の頃は、私の方が颯太の家のキッチンに詳しかったんだからね」


「……そうだったな」


 葵は俺の母親と仲が良かった――葵は俺がいないときも勝手に遊びに来て、母親と一緒にクッキーとか色々と作っていた。確かに小学生の頃は、毎週のように葵と母親が作ったお菓子を食べていたな。


「はい、颯太。コーヒー……ミルクはどうする?」


「せっかく牛乳を貰ったし、それを入れるか……葵も入れるだろう? おまえは……ミルクなしじゃコーヒーが飲めないからな」


「……うん、ありがとう」


 二人分のコーヒーカップに牛乳を注いでいると――葵が俺の方を見ていた。


「颯太、覚えていてくれたんだね……私がコーヒー苦手なこと」


「いや、悪い……正直に言うと、さっき思い出したんだ。葵はコーヒーよりも、他のモノが良かったよな?」


「ううん、いいや……颯太と一緒が良い」


 葵が、ちょっと照れた感じで言う。


「……そう云うところも、変わってないよな。葵は昔から食べ物とか飲み物とか、いつも俺に被せて来ただろ?」


「五月蝿いな……ほら、うちのサンドイッチを、ありがたく食べなさい!」


 忘れてたとか、俺って本当に薄情だよな……コーヒーの事だけじゃなくて。


 葵に言われるままに、サンドイッチを頬張る――ベーコンと厚焼き玉子の味に、俺は懐かしさを覚えた。


「美味いな……おばさん、俺の好物を覚えていてくれたんだ。後で、本当にお礼を言っておいてくれよ」


 俺の台詞に、何故か葵が悪戯っぽく笑う。


「その必要はないわよ……だって、それ私が作ったんだもん」


「え……だって、おまえさっき……」


「ホント、五月蠅いなあ……黙って食べなさいよ!」


 頬を染める葵に対して、抵抗できる余地などなく――俺が食べているところを、葵は満足そうに眺めていた。


「ごちそうさま……本当に美味かったよ」


「当然でしょ。この私が作ったんだから!」


 葵は得意げに言うが――不意に真顔になって。


「あのさ、颯太……昨日の事、ごめん……」


 何について謝っているのか、俺にも直ぐに解った。


「ああ……篠崎の事か」


「うん……確かに私、嫌な感じだったよね? 颯太に怒られても仕方ないよ」


 こんな風に素直に謝られると、文句など言える筈もなく――


「俺も言い過ぎたよ……だけど謝るなら、俺じゃなくて篠崎にだな。俺からも伝えておくけど、今度会ったら自分で謝れよ」


「うん……ねえ、颯太。篠崎さんって、また颯太のうちに来るの?」


 葵は俺とは別の高校に通っているから、篠崎との接点はない。だから、篠崎に会う機会を探っているのかと思って、俺は答える。 


「ああ……たぶん近いうちに、また子犬に会いに来ると思う」


 しかし、何故か葵の機嫌が悪くなる。だけど、今日は我慢しているようで、文句の言葉は出て来なかった。その代わりに……


「颯太って……篠崎さんと付き合ってるの?」


「……ブッ!」


 俺は飲み掛けのコーヒーを思いきり吹き出す。


「ちょ、颯太……汚いな!」


「おまえが変なことを言うからだろ……」


 葵がティッシュの箱を持ってくる――ティッシュの置き場まで、こいつは覚えているだな。


 俺は零したコーヒーを拭きながら、心を落ち着かせて話を続けた。


「葵は勘違いしてるみたいだけど……俺と篠崎は話すようになったのだって、ここ最近なんだよ。偶然、一緒に子犬を拾って。お互い犬好きの友達ってだけで……」


「でも……篠崎さんは颯太のうちに遊びに来て、勉強も教えてあげたんだよね?」


「まあ、そうだけど……逆に言えば、それだけの関係だな」


 昨日の和室の事とか、篠崎を可愛いと思ってしまった事は――話すつもりはない。秘密にするとか、そういう事じゃなくて……正直に言えば、自分でも篠崎に対する気持ちが良く解らないのだ。


「ふーん……」


 疑わしそうな目の葵――しかし、よく考えてみれば。どうして俺が葵に詰問されているんだ?


「ねえ、颯太……篠崎さんが来る日が決まったら、私にも教えてよ」


「ああ、良いけど……葵は篠崎に謝るんだよな?」


「……ええ、そうよ。もう一度会って、きちんと話を聞かない・・・・とね!」


「おい……話をする・・・・の間違いじゃないのか?」


 今度は俺が疑わしそうに葵を見るが――


「勿論、昨日の事については・・・・・・・・・謝るわよ……だから、絶対に教えなさいよ!」


 葵は悪戯っぽく笑って、念押しする――何かを含むような感じに、俺は一抹の不安を覚えていた。

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