第47話 穴の中に入ってみた

 森の中は月明かりもささずに暗くて不気味だった。私達が持っている松明は足元を照らす程度の物で、松明の灯りでは見渡せる範囲は物凄く狭く、何かあったとしても見落としている可能性の方が高いのではないかと思うくらいだった。それでもミサキは気にせずに痕跡を求めて先へ先へと向かっていった。私もミカエルもそれに続いて探しているのだけれど、いまだに夜明けは遠いようで辺りは暗く平静を保っていた。


「ねえ、もう少し明るくなるまで待った方がいいんじゃないかな?」

「大丈夫、見えなくても感じるから。それに、見えないときの方がそういった感覚が研ぎ澄まされるような気がしているのよ。マヤちゃんも一緒にお願いね」


 私にはミサキの感じている感覚というものがわからなかったけれど、それはミカエルも一緒だったようでお互いに顔を見合わせて軽くため息をついた。それからしばらく歩いていたのだけれど、ミサキは急に走り出してしまって姿が見えなくなってしまった。

 私はかすかに見えかくれしているミサキの姿を追っていたのだけれど、今までにないくらいの速さでミサキが走って行ってしまったため完全に見失ってしまった。ただ、私には見えなかったのだがミカエルにはちゃんとミサキの位置が把握できているらしく、ミカエルの案内のもとで私はミサキに追いつくことが出来た。


「ねえ、急に走り出したら危ないよ」


 私がミサキに話しかけても何の反応も無かった。何を見ているのかなと思っていると、とても深い穴が開いていた。松明を近づけても底が見えないくらい深い穴だった。これを見ているミサキを見ていると、この穴に入ろうとしているんじゃないかなと思ってしまったのだが、やはりと言うか、その予感は的中してしまった。


「天使君なら下まで行っても戻ってこれるでしょ?」

「何の妨害も無いのなら大丈夫っスけど、この中に一人で行って来いっているっスか?」

「私も一緒に行きたいのはやまやまなんだけど、天使君は私達を運ぶの無理でしょ?」

「確かに、ミサキとマヤだけなら余裕だと思うっスけど、鉄の人もいるから降りることは出来ても上ってくることは難しいかもしれないっス。上に上がるのは無理でも壁面を削って階段でも作れば大丈夫じゃないっスかね」

「じゃあ決まりね。マヤちゃんも行くわよ」


 ミサキに手を引かれてミカエルの傍へ行くと、私達の体は少しだけ宙に浮いていた。微妙に上下に揺れながら進んでいるのだけれど、不思議と酔ったり気持ち悪くなるといったことは無かった。体が上下に揺れて進んでいるのに、持っている松明の火が全く揺れていないのは不思議だった。私たちが浮いたまま穴の淵に近づいて行って、そのまま穴の中へとゆっくり進んでいった。下に降りているのは確かなのだが、上を見ても下を見てもどれくらい進んでいるのかが全く分からない。いつの間にか穴の中央付近に来ているようで壁面が見えず、どれくらいの速さで降りて行っているのかも分からなくなっていた。下に降りているのは確かなのだが、松明の火は相変わらず揺れることも無く、私が松明を持っている手を動かさない限りは同じ空間を照らし続けていた。


 あとどれくらいで底に着くのかなと思って足元を照らしていたのだけれど、下に降りているはずがフラフラと動きながら壁が近付いてきていた。壁に当たりそうになってはいたけれど、私達の体が壁に衝突することも無く、そのまま壁面沿いにゆっくりと下降していった。穴の中心からどれくらい離れたのかもわからないけれど、底に近づけば近付くほど広くなっているような予感さえしていた。

 そのままゆっくりと下降を続けていると、ついに地面が見えてきた。もう少しで底に着くのだと思っていると、足元の方から強烈な獣臭がこみあげてきていた。私は思わず口と鼻を覆ってしまったのだけれど、そんな私をよそにミサキはミカエルのそばを離れると物凄い速さで下へ落ちて行った。


 おそらく、ミサキが底に降り立った音だと思うのだけれど、物凄い衝撃音と同時に空を切り裂くような咆哮が聞こえてきた。私は思わず耳を塞いでしまったのだけれど、その時に思わず持っていた松明を落としてしまった。松明を落としたことに気付いたのは咆哮がやんでからなのだけれど、下を見るとそれほど遠くない位置に燃えている松明が見えていた。まもなく底に着くのだろうと思っていたのだけれど、不思議なことに獣臭はまだしているの鳴き声も咆哮も一切聞こえなくなっていた。

 もう少しで底にたどり着きそうだと思っていると、暗闇の中から出てきたミサキが松明を手に持って私達を照らしてくれていた。松明に照らされたミサキの表情は周りの雰囲気も相まってか、暗く感じてしまったのだけれど、底に着いた私に松明を手渡ししてくれた時にはいつもの表情に戻っていたと思う。


「あっちの方に細い通路があるみたいなんだけど、暗くて本当に何も見えないんだよね。だからさ、そっちに行ってみようよ」

「そっちに行ってみるのもいいと思うけど、他に行くところがないか一応調べてからにしましょ」


 私がそう提案すると、ミサキもミカエルも反対はしなかった。反対する理由も無いと思うし、私達は壁面沿いに一周してみたのだけれど、他に入れそうな場所は見つからなかった。慎重に通路の中に入っていくと、上と下に伸びるスロープが見つかった。どちらも壁面に沿って緩やかな傾斜になっているらしく、先は暗くて見えなかった。ここでボールでも転がしてしまうとどこまでも下っていきそうだなと思ってしまった。


「上へ行くか下へ行くか選ばないといけないっスね。自分は二人の考えに従って行動するっスよ」

「外へ出るのもいいかもしれないけど、もう少しこの中を調べた方がいいんじゃないかしら?」

「あたしもその方がいいと思うんだ。もしかしたら、下でまー君が待っているかもしれないしね」

「そう言えば、ミサキってなんでさっき一人で下に行ったの?」

「うーん、上手く言えないんだけど、下にいる魔物が探索の邪魔になると思ったんだよね。だから、鉄の人を使って一掃しちゃったよ」

「一掃って、いったい何をしたの?」

「えっとね、声が聞こえている方に向かって鉄の人を広げて、そのまま底まで下りて行っただけだよ。強力なプレスをかけたみたいな感じになってお煎餅みたいになってたよ」

「そっか、それで微妙に段差が出来ていたのね」


 そんなことを話しながらスロープを下っていると、どこからか水の流れるよう音が聞こえてきた。進むほどに気温が下がっているのか若干の肌寒さを感じていたのだけれど、ミサキもミカエルも平気そうにしていたので私もそこは我慢をすることにした。

 流れる水の音が少しずつ大きくなっていくのと比例するように、気温は確実に下がっていたのだが、さすがにここまで寒くなっているとミサキもつらいようで、私の傍に来てお互いに手を握って少しでも温めあうことにした。ミカエルは薄着なのに平気そうだった。


「何となくなんっスけど、このまま下るのは良くない気がしているっスよ。よくない気配が漂っているんっスよね。でも、ここは天使の自分がいるので安心してほしいっス」


 私は正直に言うと、その良くない気配よりもこの寒さをどうにかして欲しいなと思っていたのだけれど、それはミサキも同じ気持ちだったようだ。ゆっくりスロープを下っている私たちの方に何かが飛んできたと思ったのだけれど、ミカエルはそれを弾き飛ばすと同時にその方へと走っていった。私達もそれに続いて行ったのだけれど、その先には明かりがあるらしく私は暗闇の中に見つけた光に安心してしまった。

 光を見て気を抜いた瞬間、また何かが飛んできたのだけれど、今度はミサキから出てきた鉄の手でそれを防いでくれた。激しい金属音を響かせてそれは弾かれたのだが、落ちている無数の針を見て私は驚きを隠せなかった。


「ねえ、この針って長すぎない?」

「そうね、こんなに長いと刺さったら痛そうね」

「痛いで済めばいいんだけど、頭とかお腹に刺さったら死んじゃうんじゃないかしら」

「どうしてこんなものが飛んできたのかしらね?」


 私たちがそんなことを言いながらもミカエルを追っていると、開けた場所で神官の装束を身に纏っている魔物と対峙しているミカエルの姿がそこにあった。


「いい加減諦めて欲しいっス。お前ごときじゃ自分には勝てないっス」

「確かに、我ごときでは貴様には勝てないのは事実であろう。しかしだ、ここは貴様の力の源である神の力の届かぬ地。そのうえ、我の力が最大限に発揮される神殿となっておるのだ。貴様の仲間もろとも贄にしてくれようぞ」

「くっ、このままじゃ奴の言う通り自分の力を使えないままっス。どうにかして奴の力を抑えないと不味いことになりそうっス」

「貴様らのような異界の力を持つ者こそが最高の贄となるのだ。大人しくその身をこの祭壇に捧げよ」


 魔物が両手を広げて叫ぶと、どこからか無数の針が飛んできていた。その針は魔物の体から出ているわけではないらしく、前後左右と見えない位置からも無数に飛んできていた。私はミサキから出ている鉄によって守られているのだけれど、時々見えているミカエルの姿は体のいたるところに針が貫通していて痛々しいものであった。私はとても直視することが出来なかったのだけれど、それでもミカエルは私達を守ろうとしてくれているようだった。体を何か所も針に貫かれながらも魔物に近づいている様子は鬼気迫るものがあって、私はその光景をただただ見守ることしか出来なかった。


「異界の天使と言えども我の造りし結界内ではその力を存分にふるうことも出来ぬか。これは良いことを発見することが出来たな。貴様らのその命を贄にすれば、再び我が神をこの世界に降誕させることも不可能ではないだろう。喜べ、貴様らはこの世界の終わりを告げる鐘となるのだ」

「そんなことはさせないっス。今のままじゃ、自分の力は発揮できていないっスけど、このまま終わらせることは出来ないっス。ミサキ、マヤ、ここは自分が命に代えても抑えるんで二人はこの場から逃げるっス。早く逃げるっス」

「せっかくの獲物をみすみす逃がすわけがなかろうが、貴様らの運命もここで終わり、我の神の供物としてその生涯を閉じよ」


 魔物の言葉と同時に無数の針がミカエルの体を貫いていた。もう完全にミカエルの意識は無いようで、宙に浮いたままではあったけれど、その頭は力なく垂れ下がっていた。そして、魔物が持っている杖に光が集まると今までとは比較にならないくらい大きな針が出現していた。その針はドリルのようにゆっくりと回転しながら私たちの方へと進んでいるのだが、次第に回転スピードを上げて轟音とともに私たちの方へと飛んできたのだ。私達の前に跳んできた巨大な針を動けないはずのミカエルがその身を挺して守ってくれた。


 と思っていたのだけれど、その針を鉄の手ががっちりと抑え込んでいた。ミカエルは先ほどまでの戦いで負った傷と出血のせいか意識を失っていたのだけれど、それでも私達を守ってくれようとしたのだ。


「ねえ、天使君って本当は強いって知ってた?」


 ミサキはそう言ってミカエルと抱きしめると、その身に刺さっている針を鉄で包み込んで一つ一つ優しく抜いていた。不思議なことに針が刺さっていたはずの場所に傷は無く、ミカエルの出血も止まっていた。

 私は鉄の力でそんなことも出来るのかなと思っていたのだけれど、ミカエルの体が治っているのは自己治癒力のお陰にも思えた。その証拠に、ミサキと鉄が離れていてもミカエルの体は修復されつつあったからだ。


「天使でも悪魔でもないただの人間風情が我にたてつくというのか言うのか。笑わせるな、貴様ごときでは我に届かぬぞ」


 魔物の攻撃を避けることもせずにミサキはただ真っすぐに歩いているのだけれど、その攻撃はミサキに届くことは無かった。魔物とミサキの距離が近付けば近付くほど攻撃は熾烈になっているのだけれど、その攻撃はミサキに届くことは無かった。

 ミサキと魔物は手を伸ばせば触れ合えるような距離にいたのだけれど、魔物は少し後ろに下がって距離を開けていた。ミサキは再び距離を詰めようとするのだけれど、魔物は再び後ろに下がるということを何度も繰り返していた。魔物は壁を背にしないように少しずつ角度をつけて避けていたのだけれど、そこに無いはずの壁が現れたことによって魔物は逃げ場を失ってしまった。


「なぜ貴様に我の攻撃が当たらぬのだ。たかが鉄の分際で我の攻撃を防ぎきることが出来るはずがない。なぜだ」

「本当は誰にも言いたくないんだけど、どうせあんたはここで死んじゃうんだからいいかな。特別に教えてあげるよ。私の鉄って、成長するんだよ」

「成長……何を言っているんだ?」

「私の鉄って、餌を与えれば与えるほど質量も重量も増加するんだよね。その餌ってのは、別に鉄じゃなくてもいいんだよ。あなただって何を食べても成長するでしょ?」

「つまり、我の攻撃を餌としていたということか?」

「そうなんだよね。ごちそうさまでした」


 ミサキは壁を伸ばして魔物を包み込むと、その身を鉄の中へと飲みこんでいた。悲鳴さえ聞こえない魔物の最期はあっけないものだった。


 私達はミカエルの様子を見守っているのだけれど、傷は塞がっているのに目を覚ます様子は見られなかった。何がいけないのかと思っていると、魔物がいた場所に水晶が現れていた。その水晶は光を吸収するように暗く輝いていたのだけれど、その光の中にミカエルの力もあるような気がしていた。私は水晶に触れようとしたのだけれど、ミサキがそれを制して鉄で水晶を包み込んでしまった。

 魔物や針の時とは違って水晶は簡単に吸収することが出来なかったようなのだが、水晶を包み込んでいたことでミカエルの力を奪うことも無くなったらしく、ミカエルは意識を取り戻していた。


「あれ、二人は無事なようっスけど、あいつはどうしたんっスか?」

「あの魔物なら天使君のお陰で倒すことが出来たよ」


 ミサキはそう言ってウインクすると、私もその言葉にうなずいていた。

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