第44話 扉の奥は森林でした

 扉を開けて中に入るとまた入口があったのだ。あの扉を管理するように言われてどれくらいの年月が経っているのか正確にはわからないけれど、こうして中に入ってみるとわからないことだらけなのだということが分かった。それだけでも大きな収穫だったのだけれど、なぜか扉の管理人である私も一緒に着いていくことになってしまった。それは構わないのだけれど、入口が二つあるのになぜか振り分けが男の子一人とその他になっている。二人ずつで別れればいいのだろうにこの人たちはあえてそういう感じに振り分けていたように思える。

 私にはよくわからないのだけれど、このタイプの入口は男女で別れて入るものらしかった。世の中には知らないことばかりなのだとつくづく思い知らされる出来事だった。


「ねえ、天使君は男の子の方じゃないの?」

「自分は天使なんで性別は無いっス。それに、あっちの入口は天使が入れないようになっているみたいなんで、どっちにしろ向こうには行けないっスよ」

「別にそれでもいいんだけど、変な目で見ないでよね」

「変な目ってどういうことっスか?」


 そんなことを言いながら暖簾の奥へと進んでいくと、そこは脱衣所では無かったので、ここが銭湯でも温泉でもないということが分かったのだ。なんと、温泉ではなく森の中だったのだけれど、気付いた時には私たちが通ってきた暖簾も入口もなくなっていた。


「ねえ、ここってどこなの?」

「私に聞かれても困るんだけどな。私はあそこの扉を管理していただけで中に入ったことは無かったんだし、扉の先に行ってしまうと戻れなくなるなんて知らなかったんだよ」

「そっか、そういうもんだよね」

「え、ミサキは納得するの早くないっスか?」

「環境に適応して順応するのはいいことだと思うんだけどな。天使君は逆に動揺し過ぎじゃないかな?」

「そんなことは無いっスよ。自分は二人を守るためについてきたといっても過言ではないっス。ルシフェル様にも何かあったらか弱いものを守れって言われているっスよ」

「あたしは別にか弱くないんだけどな。それにしても、お風呂じゃなかったならまー君と一緒に来ればよかったな」

「そうなると、誰かあっち側に行かないといけなかったっぽいんだけど、私かこの天使のどっちかってことになるよね?」

「自分は一人でも大丈夫っスけど、二人を守らないといけないってのがありますので、それはそれで離れられないというか、これがベストな選択なんじゃないかって思うっス」

「ねえ、天使君はあたしとまー君が離れ離れになるのがベストだと本当に思っているの?」

「そ、そんなことは無いっス。二人が離れていても気持ちは通じ合っているというか、会えない時間が二人の気持ちを強くするというか、なんていうんでしょうね」

「天使君さ、適当なことを言ってごまかそうとしてないかな?」

「それは誤解っス。自分はごまかそうとなんかしてないっス。本当っス」

「へえ、じゃあ、なんであたしとまー君が離れるのがベストだって言ったのかな?」

「そんな深い意味はないっス。言葉のあやっス。自分もお二人みたいに世界で一番お似合いのカップルみたいになりたいと思っていたから行ってみただけっス」


 私は戦闘向きではないのだけれど、ミサキと天使の戦闘能力を比べてみても、天使の方が圧倒的に強いことはわかる。それなのに、このミサキは言葉と態度だけで天使の事を威圧して委縮させてしまっている。単純な力とは違う強さもあるのかもしれないと思い知らされる出来事が続くものだと感心してしまった。


「それにしても、ここはどんなとこなのかわからないけど、魔物とか現れそうだし気を引き締めた方がいいんじゃないかな?」

「そうっスよ。ミサキも怪我したりしたら大変だからあたりに注意を払った方がいいっスよ」

「ごまかそうとしているみたいだけど、まだ話は終わってないんだけどな。そんなこと言ってあたしの気を逸らせようとしているのかな?」

「そうじゃないっス、これだけうっそうとしている森の中なんだし、開けたところにいったん出た方がいいっス。気のせいかもしれないけれど、この辺は獣臭が強くなってきているように思えるっスよ」

「何それ、もしかして、あたしのことを臭いとでも言いたいわけなのかな?」

「そうじゃないっス。って、ミサキの後ろから誰かが襲ってきてるっス。危ないっス」


 私は戦闘タイプじゃないので動けなかったのだけれど、木の陰から現れた人影は手に持っていた斧をミサキに向かって振り下ろした。天使はミサキを助けようとしていたのだけれど、少し距離が離れていたせいかミサキの頭上に斧が届くまでの間に間に合いそうもない。新しい世界にやってきてほんの数分も経たずに仲間を一人失ってしまったのかと思った。

 思ったのだけれど、ミサキは自分の頭に斧が振り下ろされる直前でひらりと身をかわすと、その回転の勢いを保ったまま左手を陰に向かって振りぬいた。両手で斧を持っていた大男の顔面にミサキの左フックが炸裂すると、そのままの勢いで回転したみさきは右の裏拳を叩き込んだ。そのままミサキは右足に力を入れて踏ん張ると、地面に着きそうなくらいに右手を落としてから、大男の顎にめがけて右アッパーを決めていた。大男は斧を握ったままではあったけれど、そのまま前のめりになって倒れこんでしまった。

 ちょっと待って、確実にミサキの死角から攻撃されていたのに何であんなに綺麗にカウンターを決められるの?


「イライラしているからってやりすぎっスよ。この人はミサキの最初の左で意識飛んでたっス。オーバーキルになるっス」

「ちょっとやりすぎちゃったかも。でも、元をただせば天使君が酷いこと言うのがいけないんだよ。あたしがまー君と離れて正解だっていうからさ」

「そういう意味じゃないっス。今はそんな事よりもこの人の手当てをしないといけないっス。世界が変わると魔法が使えない場合もあるんっスけど、試してみるっス」


 天使は何かブツブツ言いながら大男の体に手を当てていた。手当てをするとは言っていたけれど、本当に手を当てるだけで何かしているようには見えなかった。しかし、そんな私の思いを知ってか知らずか、大男は意識を取り戻して怯えていた。私たち三人の体重を足しても大男の方が重そうなのに、今の様子だと私たちの方が大きく見えるんじゃないかってくらい小さく縮こまっていた。


「申し訳ありませんでした。ちょっと脅かすつもりでやりました。許してください」


 大男は本当は体が小さいんじゃないかと思うくらいに丸くなって土下座をしているのだけれど、ミサキと天使はどんな言葉をかけるか迷っているみたいだった。


「えっと、ちょっと脅かすつもりでこの斧を振り下ろすってどういうことっスか?」


 天使君はそう言って斧を持ち上げようとしているけれど、思いっきり力を入れているように見えるのに斧はピクリとも動かなかった。ミサキが天使をどかせて斧の前に立つと、その斧を片手でひょいと肩に担いでしまった。私は斧を持っていないんでその重さはわからないけれど、天使は両手で腰を入れても持てなかったし、あの大男も両手でしっかりと持っていた。それだけでも相当な重量があることがわかるのだけれど、それをあの華奢な体で軽く持ち上げるのは異常なことだと思う。

 大男はミサキが軽々と斧を持ち上げていることにさらに驚いていたけれど、天使も割と驚いていたように見えた。ミサキは肩に担いでいた斧を大男の方に投げたのだけれど、斧が地面に落ちた衝撃で私の体は大きく揺れた。近くの木にとまっていた虫や動物、木の実なんかも大量に落ちてきたのだけれど、ミサキは全く気にしていない様子だった。あの斧ってどれだけ重いんだろう?


 男は完全に委縮してしまっていたが、私達にここがどこなのか教えてくれた。

 ここは男が暮らしている集落から少し離れた森の中らしい。普段はここで木を切って薪を作ったり、生活に必要なものを採取していたりしているようだ。いつも通りこの森で作業を始めようとしていると、見慣れない人影が複数いることに気付いた。男の住む集落の近くに小高い丘があってそこには魔女が住んでいるとの噂だ。

 この男は魔女のうわさは聞いていたけれど、あくまで噂であって小さな子供を屋敷に近づけさせないための脅しのようなものだと思っていたそうだ。だが、森の中に急に私たちが現れたのを見た男は、私達が魔女なのではないかと思って襲い掛かったとのことで、中でも一番魔女っぽいと男が思ったミサキに向かって斧を振り下ろした。結果的にはミサキがターゲットにならなければ私が死んでいただろうし、天使君だって無事かわからない。ミサキには悪いけれど、私は魔女っぽい見た目じゃなくて良かったと心からそう思った。


「それはわかったんだけど、いきなり襲い掛かるのはダメだと思うよ」

「全くもってその通りです。それに関しては何も言い訳することもありません。でも、なんで俺の攻撃が分かったんですか?」

「フフフ、それは内緒だよ」

「もしかして、本物の魔女……だったりします?」

「残念だけどこの人は魔女じゃないっス。君が言う魔女の定義がわからないんで答えようがないかもしれないっスけど、このミサキは魔法が使えないんで魔女とは呼べないっスよ」

「魔女じゃないのに死角からの攻撃をかわせるって、もしかして、武神様ですか?」

「あたしはそんな偉い人じゃないんだけどな。ねえ、そんな事よりも、お腹が空いたんで何か食べるものもってないかな?」

「すいません、今日は家に帰って昼食をとろうと思っていたので今は何も持っていないんです。よろしければ、俺の家に来て何か召し上がりませんか?」

「ええ、いいんですか?」

「はい、せめてもの罪滅ぼしに何かごちそうさせてください」


 私たちは男の後に続いて森を抜けた。意外と広い森ではあったけれど、外に出るとすぐ近くに小さな集落が見えていた。きっとあそこにこの男の家があるのだろう。

 前を歩く男と天使が何か話していたので、私は気になっていたことをミサキに聞いてみた。


「ねえ、なんであの攻撃が分かったの?」

「二人には内緒だけど、マヤちゃんには教えてあげるね」


 そう言ってミサキが右手を私に見せてくれた。何の変哲もない右手だったのだけれど、しばらく見ていると軟体動物のようにウネウネと動き出した。その動きは何か気持ちの悪いものだったのだけれど、少しずつ人のような形になって、最終的には小さな人の形になっていた。


「ね、これで分かったかな?」

「いや、全然わからないけど、どういうこと?」

「そっか、マヤちゃんは見たことなかったんだね。これは鉄の男なんだけど、あたしのペット兼守り神みたいなものかな。いざというときは私の代わりに攻撃を受けてくれるんだよ」

「そうなんだ、って、全然わからないよ」

「ま、話せば長くなるんだけど、この鉄の人があたしの事を守ってくれているんだよ。さっきも攻撃が来るのを教えてくれたんだ」

「へえ、じゃあ、その鉄の人がミサキの体を動かして攻撃をかわしつつ攻撃もしてくれていたんだね」

「違うよ。鉄の人は教えてくれただけだよ」

「え、それって、ミサキは攻撃が来ているのを教えてもらっただけで、交わしたのも攻撃したのも自分の意志でってことなの?」

「そうだけどさ、攻撃の瞬間はあたしの手を守ってくれていたから、相手に与える衝撃は強くなっていたかもしれないな」

「じゃあさ、あの斧を持っていた時は鉄の人がサポートしてくれていたんでしょ?」

「うーん、なんていえばいいんだろう。鉄の人は私が危険な時は守ってくれるけど、斧を持つのは危険なことではないと思うんだよね。だから、あれはあたしが普通に持っていただけだよ」


 私はこっそりとあの斧を持ってみたんだけど、持ち手の下にもぐって全身の力を使っても全く動かなかったんだけど、そんなに身長も変わらないミサキのどこにそんな力があるのかと気になってしまった。


「ミサキはあの鉄の人を常に体に纏っているっス。だから馬鹿みたいに力があるんっスけど、本人はそれに全く気付いていないっス。たぶん、転生した時に見た目が大きく変わらない体になってしまっているからわからないけど、それがなくなったら素手で鉄を切り裂けるくらいの筋力はあるんじゃないかって思ってるんっス。マヤもそこんとこを覚えとくといいっスよ」


 私もずっと見た目は変わっていないと思ったんだけど、それは老化していないだけであって成長はしていないと思う。それに比べて、ミサキは見た目は変わらないのにどんどん成長しているようだった。少なくとも、あんな大きな斧を片手で軽々と持ち上げられるくらい強いことは覚えておこう。あの大きな男でも両手で持たないと歩けないような斧をミサキはあの華奢な体で軽々ともっているのだから。


 私たちが集落に着くと、男はその辺にいた人に何かを言っていた。そこにいた人達はどこかへ行くと、しばらくして置くから老人を連れてきた。きっとこの集落の代表の人なのだろう。


「ようこそいらっしゃいました。こちらで食事の用意をさせていただきますので、どうぞ」


 老人は終始物腰が柔らかい感じだったのだけど、それが普段からそうなのかミサキがあの斧を片手で持っているからなのかはわからない。

 ただ、出された食事はどれも美味しいものだった。

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